2006年(平成18年)73歳、この年から生活のパターンが変わった。
★2006年、73歳。 今から6年前である。 この年から、私の生活が新しく始まったと言ってもいい。 現在の日常生活のパターンはこの年の延長線上にある。 カワサキ時代からお付き合いの仲間たちは除いて、今いろんなところで関係している人たちは、すべて2006年以降にご縁が出来て出会った人たちである。 疎遠になっていた昔の仲間たちとの交際も復活して、今は不思議なくらい日々が活発なのである。...
View Article日本一美しいまちをめざして(2006年、自分史)
★昨日に続いて2006年73歳の自分史である。 6年前のことだからこのころのことになると日記を頼らずともよく覚えている。 この年三木に新しいし薮本吉秀市長が生まれた。 三木に住んで35年を越えてはいたが、それまでは三木市の行政など一切関心なく、三木市はまさにベッドタウンで夜寝るために戻ってくる町であった。...
View Article高質な?「わがまち」緑が丘
★三木の緑が丘町に住んで、もう40年にもなる。 全国の方からみると。『三木って、どこ?』という感じだろうが、神戸と一番長く境界線を接している神戸の隣町なのである。 今から40年も前に、大和ハウスが一帯の丘陵地を造成して広大な宅地を造ったのである。 造成をするときは、水利権があって、以前の山水が流れた通りに勾配を造らねばならぬようで、平らなところは殆どないなだらかな坂道の住宅街である。...
View Articleカワサキワールドな1日でした
★昨日は、カワサキワールドな1日でした。 朝から、三木のまちを、thiraiさんとカバン屋さんの3人で出発して、神戸、灘の金谷秀夫のお店『山ぼうし』を訪ねることから始まりました。 スタートから最後まで、写真のアルバムは、こちらです。 土曜日はお休みなのに、特別に店を開けて頂いて、こちらで昼ご飯を。 登山さんは一度お店をお邪魔したしたことはあるそうですが、確り繋がったのは今回初めてのようでした。...
View Article昨日の散歩
★先日、『高質な?わがまち緑が丘』と題して、散歩のブログをアップした。 最近、一念発起して、1時間の散歩にチャレンジしている。 78歳もあと4日ほどだし、少しだけ体重を落とした方がいいかなと思っているのである。 今体重は81キロ台までは落ちた。2キロほどは落ちたのである。...
View Article人の進路
★入学試験の季節である。 息子の方の孫が大学入試で、なんにも言って来ないので、どうなっているのかと思っていた。 息子や娘の入試の時も、その成否に不思議なほど関心がなくて、『何とかなるだろう』と思っていたし、 若し、『何とかならなくても』そんなことは『大したことでははない』とも思っていた。 人の進路はいろいろあって、大学でも入社でも、それによって『方向』が幾らか変わるかも知れぬが、...
View ArticleKAZE
★ KAZEの機関誌が送られてきた。 二輪車の方がVOL .220 JET SKIは、VOL. 206 である。 カワサキの現役を離れて、もう10数年にもなるが、時代もどんどん変わって、当時にあったものもどんどんなくなってしまった。 今残っているものは、と言えば何があるのだろう? SPA直入 と 岡山のショールーム、 玉津の部品庫、ぐらいなのかも知れない。...
View ArticleNPO The Good Timesの団体会員プロジェクト
★NPO The Good Times の団体会員に一昨日は、 SRS400 500 SNS というヤマハのSR400 500関係のグループが参加された。 どちらかというと、二輪はカワサキ系だと思われているので、カワサキ以外の方が大歓迎である。 『異種、異質、異地域をみんな繋いで・・・』という基本コンセプトから言ってもその方がいい。 NPO The Good Times...
View Article女性の買い物
★家内は車の免許を持っていない。 だから、ちょっと遠い所とか、重い荷物のある買い物とかは、私が専ら運転手を務めている。 もう何十年もやっているから買い物などに付き合うのも、特に苦にもならないのである。 と言いながら、現役のころまでは、間違いなく『夫唱婦随』で、手伝いはするのだが時間や場所など決めたりするのも、私が主導権を持っていた。 ★ところが、いつのころからか、...
View Article79歳の誕生日
★昨日、79歳の誕生日を迎えた。 はるけくも、生きてきたものだと思う。自分でも79歳とは信じ難いのである。 父も52歳、伯父も50代で、祖父も知らないし、母方の伯父たちも早く亡くなってしまって男はなかなか70までは生きれないものだと思っていたのである。 そんな中で女性は結構長く生きるものだと思っていた。 祖母も当時は珍しい102歳まで生きて、確か100歳では知事さんがお祝いに来られた。...
View Article今、住んでいるまち
★ 今私たちは、昔は人が住んでいなかった場所に住んでいる。 それも何万人の単位で住んでいるのである。 ★昔はこの一帯は丘陵地、三木の旧い町から見たら山だったのだろう。 40年ほど前に大和ハウスが大掛かりな宅地造成をやって、みんなどこからかやってきたのである。 最近、一念発起して毎日歩いている。...
View Article『みっきぃ情報ミュージアム』スタート
★この3月から、 三木市の情報ポ―タルサイト 『みっきぃ情報ミュージアム』がスタートした。 兵庫県が後押しする『ひょこむ』というサイトがあるが、 このシステムをベースに造られている地域SNSである。 このシステム構築を担当されたのが、三木市広報のJJさんという、NPO The Good Times のメンバーであったことから、 検討過程からずっと興味、関心もあって、見てきたものである。...
View Article2007年春、74歳自分史
★川崎航空機に入社(昭和32年、1957)以来日記をベースに時系列に綴ってきた自分史だが、既に2006年分までは記述している。 2006年は73歳で、つい先日79歳になったのだが、 時系列で追っかけるのは、このあたりで中断して本稿を最終としてちょっとお休みを頂きたいと思っている。 2006年に、三木市長の薮本吉秀さんに出会って、生まれて初めて市政なるものもヨコから眺めることにもなった。...
View Article新しく出会った人たちとの協働
★この数年ネット関係で毎日が明け暮れている。 その中でも最近はFacebook と相対している時間も長い。 個人でもやっているし、 NPO The Good Timesページもある。 その個人のトモダチは、いつの間にか312人にもなった。 300人も越えたので一体どんな人たちがいるのだろうと思って、分類をしてみたら次のようになった。 A. 会社勤めの現役時代から知っていた人...
View Article孫がきた
★受験勉強でずっと遊びに来れなかった孫が、やっと試験も終わって朝早い便でやってきた。 伊丹まで迎えに行く。 8時ごろの伊丹空港もうこんなに人がいる。 そういえば現役のころはずっとこんな時間の飛行機で東京を行き来したものである。 何年振りかで見る孫は、当たり前の話だが少年の面影は消えかかっているが、まだ幾らかは幼さも残っているように思えて妙に安心したりした。...
View Article孫が来た ?
★鎌倉から孫がやってきた。 滅多に遊びに来ないので、ネット関係も孫のことで全展開である。 昨日のブログもFacebookでも、紹介した。 夕方からは二人だけで三木総合防災公園を散歩した。 志染の石室 史跡としてちょっと有名なのだが、 三木総合防災公園の散歩道から行かれる人は、まだ少ないのだろうと思う。 12月から3月の間に見られる『黄金の水』はひと際金色に輝いていた。...
View Article育てるということ
★なぜか、『生き物』が好きである。 生きているものは、育っていく。 放っておいても育つが、育てるためには、まず育てる対象を明確にしなければならない。 全てを育てようとすると、すべてがダメになってしまうのである。 人間の社会でも、学校の入学試験などは、ある意味育てる対象を絞っているとも言える。 植物で言えば、『間引き』をして育てる対象を絞るのと同じ理屈かも知れない。...
View Article瓦礫処理
★東日本大震災の『瓦礫処理』の話、野田総理が全国での受け入れを示したことで、その受け入れ対応などいろいろとマスコミを賑わしている。 放射能があるから受け入れ拒否などは、これは論外だと思う。 困っている時はみんな援け合うのが当然のことではある。 放射能のない岩手県と宮城県の瓦礫であって、福島県の瓦礫のことではないはずである。...
View Article愛のバトンリレー in みっきぃふれあいマラソン
★昨日は小雨降る中、みっきぃふれあいマラソンでした。 その舞台で繰り広げられた『笑って遊ぼうミキランド』のメンバー達による東日本大震災への『愛のバトンリレー』 沢山の人たちが参加してくれました。 その半日のアルバムです。 愛車のスクーターでバトンを現場に運んだのは、三木の井上章二さん、こんな多彩なスタッフが出迎えました。 いつも、ちょっとおしゃれな井上さんですが、...
View Article明石のまち 、 三木のまち
★明石で生まれ本籍も明石である。 戦前は朝鮮、今のソウルにもいたし、仙台にも札幌にも住んだこともある。 今、住んでいるまち三木がもう40年近くにもなるので、一番長く住んだまちになるのだが、 明石は中学、高校、大学時代を過ごしたし、勤めもカワサキの明石工場であったこともあって、 人生で一番馴染みのある町は明石ということになるのかも知れない。...
View Article