★家内は車の免許を持っていない。
だから、ちょっと遠い所とか、重い荷物のある買い物とかは、私が専ら運転手を務めている。
もう何十年もやっているから買い物などに付き合うのも、特に苦にもならないのである。
と言いながら、現役のころまでは、間違いなく『夫唱婦随』で、手伝いはするのだが時間や場所など決めたりするのも、私が主導権を持っていた。
★ところが、いつのころからか、
『夫唱婦随』は、『婦唱夫随』に変わってきて、最近はすべて家内の言う通りに動いている。
特に自分でコントロールしなければならない『仕事』など皆無で、すべてが自由時間だからだろう。
昨日は、久しぶりに神戸の西神に買い物に行きたいという。
途中、ちょっと野菜を買いたいなどと言うので、付いて行ったのである。
★まず、農協がやっている『六甲のめぐみ 屋台村』 である。
西神の入り口にあって、新鮮なのか、安いのかいつも賑わっている。家から車で15分ぐらいのところである。
中は結構広くて、
野菜などもいっぱいある。
同じ野菜でも出品している農家ごとに少しづつ違うから、選ぶのに大変なのである。
男の客もいるが、圧倒的に女性が多い。
いつも思うのだが、女性はなぜ、買うモノを簡単に決められないのかと思う。
兎に角、手にとって触ってみる。重さをはかっているのか、手触りで判断するのか?
手にとって、選んでそれで決めるのかと思ったら、そうでもないのである。
また棚に戻したりする。
『安くていいものを』というのはそれでいいのだが、広告のチラシなど持ち歩いて『広告の品』ならそれでいいのである。
『広告の品は安い』と言うのだが、『それが幾らだったか』は、覚えていなかったりする。
このトマトも、手には取ったが、
このかごに収まったのは、そのトマトではない。
そんなことで、これだけしか買わないのに、時間だけは結構掛るのである。
総額が2000円ほどだったから、やはり安いのだと思うが、一番高かったのは、私が取ってきた『いちご』550円だった。
出たところに、魚屋があって、
メイタかれいが2匹で1000円、あぶらめは2匹で500円、写真では解らぬがどちらも生きて動いていた、明石の魚である。
この下に『あかナマコ』を売っていた。
これは1匹200円、これも生きていたから『このわた』ツキである。
私は『ナマコ』は好物で、買いたかったが、今からそごうに買い物なので諦めた。
★そこから5分ほどで、西神そごうである。
流石に、デパートは綺麗だが、昔のような活気はない。
紀伊国屋の本屋で、家内は3000円ほど本を買い込んだ。読書家である。
最近デパートで、写真を撮ったりすると、注意されることがある。本屋さんもカメラ禁止と書いてある。
店内を撮るのではなくて、本の中身を携帯で撮ったりするからダメなのである。
★デパートに行っても、流石に最近は、服などには関心が少なくなった。
その分、出費は少なくていいのだが、何かケチくさくて、
駐車料金1時間半の中で買い物をしなければというのである。
1時間半もあれば、十分だと思うのだが、一番時間が掛ったのは、本を選ぶ時間だったので、服をみる間がなくなったのは、私のせいではない。
デパ地下はなかなかの盛況である。
ここで昼と、夜との分を買い込んだ。
私は、食うものは、特に何でもいいので、すべて家内任せである。
こうでもナイ、ああでもナイと、いろいろ迷ったうえで、結果はまあまあ一般的なものを買って帰ったのである。
この頃は、家内もホントに金を使わなくなったと思う。
使うとすれば、髪のセットや化粧品が一番大きいのかも知れない。
その『女の買い物』も、こんなレベルなので、ケチケチした年金生活も十分楽しいのだが・・
★孫が、大学に受かったので、お祝いをしなければと言っている。
『もう最後だから、10万円ぐらい・・・』などと、言っていた。
こんなことも任せきりで、『一切タッチはしない』のだが、日頃の買い物の仕方など見ていると、1桁間違っているのでは? と思ったりする。
大学の入学祝など、世間相場は幾らなんだろう?
こんなことブログに書いたら、アメリカの娘が、
『うちは未だ高校だけど、そんなに貰ってない。でも将来30万円入る。』と思ったりするかも知れない。
そのころになったら、そんなこと忘れてしまっているかも知れない。
女性の金の使い方は刹那的で、金額の大小にかかわらず、その時判断することが『正しい』と信じている節がある。
野菜を選ぶときは『10円』の単位だし、
孫の『入学金』には、そんな基準がなくなってしまうのである。
大した散財でもなかったが、ご機嫌で戻ってきた。
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