★人間生きていく上でいろんな悩みがあるものだという。 然し、自分の人生を振り返ってみて「悩みごと」など全くなかったような気がする。
自分自身のことについては、子供のころから、 「何になりたい」というような欲が全くなかったように思う。 進学についても、就職についても、 何となく周囲の人が決めてくれた道を歩んできたし、 社会に出てからも、自分の進む道は周囲の人が決めてくれたようなところがあった。 別に高い給料を貰っていたわけでもないが、 「給料が安い」などと思ったこともないし、「金を貯めよう」と思ったこともない。 逆に「金で苦労した」こともない。 20歳代後半からずっとリーダー役だったが「出世欲」などは皆無で、 お金に対しても地位に対しても何故か「欲がなかった」のである。
振り返ってみると、「自分のために」というよりも、 「周囲の人」や「二輪の末端ユーザー」を視野に、動いてきたようなところがあって、 現役時代は二輪の販売関係が主だったのだが、 販売台数や利益の追求なども勿論やったのだが、 むしろ、販売店自体の強化、販売網のあり方などの「仕組み構築」などに専念していて、 それらは「自分自身のこと」ではなかったので「自分の悩みごと」にはならなかったのだと思う。
何事も現状よりは「よくなる方向」を目指したので、 常に何事に対しても楽観的に「大丈夫」と思ってしまう性格と、 仮にできなくても、それは「現状維持」なのだから、 困ることは全くないと割り切っていたのだと思う。
★家庭的にも子供の教育など家事を含めて、家内が殆どやってくれたし 子供の進学や就職も結婚問題もすべて 私は横から見ていただけで、相談などには乗っていないのである。
一言でいえば「恵まれていた」というか「運がよかった」のだと思っている。 ただ、考えようでは「運が悪かった」とも言えるのである。 子供の頃は、結構な資産があったし、朝鮮での電力事業などに関わっていたのだが、あの敗戦ですべてを失ってしまっているのである。 若し、戦争がなかったら全然違った人生になったことは間違いないが、 どちらがよかったかは、よく解らない。
★いろいろと変化のあった時代を生きてきたので、それなりの多くの経験が出来たし、 一生懸命生きてきて「悩む暇」などなかったのである。 現役時代は結構ムツカシイ難題に直面することが多かったのだが、 なんでも「大丈夫」という「太平楽な性格」なので悩みに繋がったりしなかったのだと思う。
あと1か月で89歳になる。 いまはお陰様で家内も元気でいて「悩みごと」など全くないのだが、 ひょっとすると今からの人生で「悩みごと」が生じる可能性はあるような気もする。 「年金生活」だが、金銭的には多分問題はないだろうが、 いまから「悩みが出来る」としたら、健康問題かなと思っている。 なんでも「大丈夫」というのが口癖だが、 家内とどちらかに「健康問題」が出たら「大丈夫」とは言っておれないだろうから、 それは「悩み」に繋がりそうである。
勿論健康には留意していろいろやってはいるが、 いつかは限界も来るのかなと 最近は何となくそんなことを思うようにもなった。
いつまで『大丈夫』と言い続けられるのだろう?
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