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明石公園と明石の想い出    雑感

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★ 明石公園の樹木が伐採されているというニュースが流れた。
 1600本以上の大きな樹の伐採を進めているらしい。





  これが伐採前と伐採後の写真だが、





 市民団体が見直しの要望書を出したようだが、 作業はそのまま進められるようである。
 私にも沢山の想い出のある明石公園なので、ちょっと惜しい気がする。 








★突然、明石のことを書いているが、 私の本籍は「明石市上ノ丸2丁目720番地」で生まれ故郷なのである。 いまはそんな住所は残っていない。
 これは祖父の別荘時代で伯父も父もまだ学生時代の写真なのだが、 爆撃で家も焼失してしまったし、 写真も焼失してしまって、残っているのはこの1枚だけなのである。

   
 この明石公園に隣接した右の赤い部分なのだが、 いまはこんなに沢山の家が建っていて、それぞれの番地になっている。  かってはその一画が文字通り公園に隣接していて、 いま競輪場になっているところも城の外堀だったのである。 時代とともにいろいろな変遷はあるのだが、 思い出だけは変わらずに残っている。
    
      公園の外堀を望んだ風景だが、 この池でよく魚釣りなどしたものである。    




 明石公園の明石球場は、戦前からある歴史のある球場で、 戦後も王・長嶋の時代までは巨人が春のキャンプをやっていたし、 私の明石高校時代はこの球場で練習をしていたので、想い出いっぱいなのである。 当時は結構強くて甲子園にも出たのもいい思い出の一つである。
    

 子供の頃の明石公園もよく覚えているが、 戦時中の空襲でこんな背の高い松はみんななくなってしまっていたのだが、



 それから70年経って、樹もそれなりに大きくなっていたものを、 また伐採するのは惜しい気もする。
 この写真も、戦前の明石公園で「園公石明」と右から左に書かれている。
 


 これはお城のほうから明石の町を望んでいるのだが、 昭和25年(1950)の 昭和天皇の行幸の時には この場所から下の広場に集まった市民に手を振られたのである。
 私の高校2年生のことだった。
   
★ そんな明石城主は築城以来いろんなお殿様が変わっているのだが、 越前福井藩から移って来た松平城主が明治まで10代続いたとか。 わが祖先も福井からお殿様の家来としてやって来たと、子供の頃にはよく聞かされたものである。   戦時中のことだが伯父は明石で「錦江ホテル」というこんなホテルも持っていたのだが、 このホテルが当時の川崎航空機に来る軍の人たちの宿舎に接収されることになって 川崎航空機工業との関係もできたのである。
      
   そんなご縁から、私は川崎航空機工業明石工場に勤めることになったのである。
 今ではこの三木が一番長く住んだ土地にはなったが、 いろんな想い出はやはり『生まれ故郷の明石』が一番多いのである。 
 そんないろんなご縁のあった明石や明石公園なのだが、 明石公園の樹々は伐採されると消えてなくなってしまうのだが、 『想い出』だけは確りと残り続けるのだろうと思っている。

 でも、明石のことも何度かブログにもアップしているのだが、 ひょっとしたら、これが最後になるかも知れないのである。

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