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KMC50周年と浜脇洋二さんそして、カワサキ二輪事業

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★一昨日の会合の議題である。

 

 

 その4番目の議題がKMC創業50周年記念行事、今年はKMC50周年なのである。

50年前とは旧い話だから、現役諸君ももう一つお分かりにならないだろう。カワサキの二輪事業はその5,6年前がスタートと言っていい。

その頃のことを話せる人は、どんどん減っていく。

 

  

 

戦後の空白があって川崎航空機工業、定期採用再開で入社されたトップグループの中のお二人、浜脇洋二さんと大槻幸雄さん、多分昭和28年の入社だから、私よりは4年先輩なのである。

 

大企業の事業の歴史など、そこに関わった人たちはみんな一つの駒でしかないと云えばその通りなのだが、浜脇洋二、大槻幸雄のお二人がおられなかったら、カワサキの二輪事業は間違いなく異なる道を歩いたに違いないのである。

私が入社した昭和32年には、大槻さんは日本ジェットに出向中で確か34年ごろお帰りになったのだが、その時の大槻さんの机と椅子は、当時財産課にいた私が都合したのでよく覚えている。

浜さんは、本社企画におられたのだがその頃は本社企画は明石工場にいたので入社したころよく碁など打ったのだが覚えておられるだろうか?

浜脇さんが二輪に関係されたのは、本社企画としてブラジル市場やアメリカの市場調査からどんどんハマりこんで、とうとうご自身でアメリカ進出を当時の川崎航空機のトップを動かして二輪事業に引きずり込んでいったのである。

 

★そのスケールというか迫力は見事であった。

そんな浜脇さんを後ろで支えたのは3社合併で社長になられた四本潔さんだった。未だ係長のころから常に会社トップを説得して新しい事業を立ち上げていったのである。

KMCは、今年50周年を迎えるのだが、その初代社長は当時の本部長岩城良三常務なのだが、実質社長は浜脇洋二さんであったことは周囲みんなが認めるところなのである。

KMCを立ち上げてから、販売会社であったにも拘わらず即座に社内に技術部門R&D を創ったり、さらにはネブラスカにホンダより5年も早くリンカーン工場を立ち上げたりしたし、ニューヨーク市場からの資金調達を目指すなど、そのスケールは、一サラリーマンとしてのレベルを遙かに超えていたのである。

商品開発も二輪車だけでなくジェットスキーやスノーモ―ビルの開発・生産・販売を目指したりしたのだが、四本社長退陣後は、川崎重工内、特に本社部門でもいろいろあって、KMCを退陣し、その後川重のニューヨーク社長など務めるのだが、そんなサラリーマン然とした職種には飽き足らず、日本BMWの社長に転身されて、カワサキからは去られてしまうのである。

そんな浜脇さんだったが、KMC時代一緒に開発したZ1との関連で、大槻幸雄さんが会長を務めるゴルフのZ1会のメンバーとしてカワサキの連中とも繋がっているのである。

 

  

 

★私は大槻幸雄さんとはレースなどを通じて密接に繋がっていたのだが、浜脇洋二さんとは仕事上では全くと言っていいほど関係はなかったのだが、いろんなことはあるにせよ『浜脇洋二』さんは好きだったし、ある意味『憧れの人』だったのである。 

私がBMWを乗り継いでいるのも、浜脇さんが日本BMWの社長をされてからのことなのである。ちなみにそれまで乗っていた車は、ホンダアコードでカワサキでは、とかくいろいろ言われたりしたが『本田宗一郎』さんも私は『憧れの師』と仰ぐ方だと思っていたからである。

私が浜脇さんと何らかの関係が出来たのは、4年ほど前、Z40周年の記念行事をアメリカで当時のアメリカ人たちを集めてReunion(同窓会)を開いたのだが、その会合に大槻さんがぜひ出て来いと引っ張り出されてからである。浜脇さんからは『古谷はなぜ関係あるのか?』と言われたりしたのだが、大槻さんに引っ張って頂いて、浜脇さんとも何となく確りと繋がったのである。

日本の一般のサラリーマンの発想から言うと桁外れと言うか、枠が外れていて、今回のKMCの50周年も当時のアメリカ人を中心に浜脇さんを囲んでReunion を開催することになっている。

前回のZ1のReunion は、当時のKMCも協力してくれたのだが、主催はあくまでも浜脇・マセックなどの有志が主催だったのだが、今回は川崎重工としても公式にKMC50周年は開催する方向のようで、一緒に合同しての開催の方向で進んでいるのである。

昨日集まったメンバーの中でも百合草・野田くんたちはKMCの社長を務めた人だから、勿論招待枠に入るのだろうが、キヨさんや、メーちゃんもKMCには大いに寄与しているし、スタート時点では種さんも色濃く噛んでいるのである。そんな出席メンバーなどについての意見交換など、忌憚ない意見などが述べられたのである。

 

★浜脇洋二さん、若かりし頃、開発・生産・販売も、資金調達もアメリカでと、そんな壮大なシステムを考えられたのは、『二輪事業の展開は大企業のメーカー体質ではムツカシイ』と思われたに違いないのである。

二輪業界から『自動車殿堂入り』を果たされているのは

ホンダの 本田宗一郎さん

スズキの 鈴木修さん

ヤマハの 川上源一さん

カワサキからは誰も入っていなかったのだが、川崎重工業の職位で言うと部長格の浜脇洋二さんが選ばれているのである。 みなさんそれぞれ経営のプロである。

 

 

    

開発・生産もメーカーはプロが担当しているのだが、現在の『大企業・メーカ体質』では本来の事業展開にならないのは、『経営のプロ』が育たないからである。

健全な黒字経営を目指すだけなら、出来るのだろうが、自動車殿堂入りを果たすような人は普通では現れないのである。

二輪事業を本来の姿で展開するには、浜脇さんが描いたような大企業のメーカー体質からは脱皮した、少なくとも別会社方式で、日産のカルロス・ゴーンさんのような、プロの経営者が必要なのだろう。

今のままでは経営に一番大事な『本社機能』と『経営者』が育たない仕組みになってしまっているのだが、この枠を壊すのはなかなかムツカシイ。

 

昨日の年寄りの会合で、飛び出した話の一つは『川重はなぜ航空機を造らないのか?』大槻さんも、百合ちゃんも、『航空機』にあこがれて、川崎重工業ではなくて、『川崎航空機に入社』したのである。

そんな年寄りたちの話は、なかなか壮大ではあったが、もうその実現は難しい。

現役諸君の誰かが、浜脇洋二さんや大槻幸雄さん、百合草三佐雄さんのようなオモシロい発想を持ってほしいものである。

事業など、『トップ』独りでその方向は変わる と私は思っているのである。

 

 

  

 

 


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