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寄せられたコメントと私の意見

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★つい先日から、Facebookに、NPO The Good Times のグループのページを作った。

NPOの仲間たちがいろんな意見やコメントを下さる。 

その中の一つ、片山敬済さんのこんなご意見と提案は、非常に面白いので、

私も忌憚のない意見を述べさせて貰っているが、果たしてどんな進展になるのか?上手く回ればオモシロイと思っている。

 

以下に、そのやりとりをご紹介してみる。 

‎[質問と提案です]
三木市にはとても立派な防災公園があります。117以降に高速道路整備と共に、食料の備蓄倉庫として建造されました。 県内のどこで自然災害が発生しても救援体制を整える、いわば兵庫県のへそとして位置づけられた訳です。 「防災都市、安全の街、三木市」をアピールする街興しイベントを、恒常的に立ち上げれないでしょうか?

 

こんな提案が片山敬済さんから寄せられたのは、3日ほど前のことである。それに対して私はこんなコメントで返した。

総合防災公園は非常に立派です。防災設備とともにスポー ツ公園というイメージもあります。恒常的なイベントを神戸電鉄などと絡ませてやることはオモシロイと思います。ただ、三木が旗を振るのは難しいような気もします。

例えば災害をテーマに市民マラソン(ハーフマラソンなどの毎月でも出来るようなゆるーいルールの市民参加型の)でも企画されて、それに三木が乗るというのは出来ると思います。公園内のコースは既にマラソンも実施されていてよく出来ています。神戸電鉄に乗って参加される方の参加料を安くしたりすると、粟生線問題の解決にもなり神戸電鉄も応援してくれるでしょう。

旗を振られるのはBERTがいいと思います。その応援は『粟生線の未来を考える市民の会』でも『三木さんさんまつり』のメンバーでも『緑が丘こども会』でもいっぱい考えられます。小さな市民マラソンからスタートすればいいのです。広報などは引き受けます。片山さん、直ぐ企画してやりましょう。リスクないのがいいと思います。旗振って貰えばフォローします。  

 

防災公園はその環境もいいし、県の施設だし、三木の人たちよりも県民主体で三木がフォローするという方が自然のような気がした。少々無理でも毎月でもやって、神戸電鉄に乗って集まるようなことを考えると、今の神戸電鉄粟生線問題なども、自然に上手くいくにでは、と思ったりするのである。BERTはバイクによる災害時の救援体制の仕組み構築なのだが、地震と防災公園は結びつくし、地震の時に走って逃げる体力増進とでも何でも『へ理屈付けて』繋げばいいのである。バイクという、ちょっと特殊なイメージが小さな市民マラソンというイメージで、少しでも一般市民の方の中に入っていくことはいいことだと思っている。

 

伊藤 智寿 片山さん、はじめまして。三木市出身のいとうと申します 。
防災に絡んだ話なのですが、古谷さんもご存知だと思われますかえっこバザールを企画している+arts(プラスアーツ)というNPO団体が防災とアートを絡めたワークショップを関西を中心に展開しています。これもよくできたシステムを持っていて、子供連れのご家族が防災について考えながら遊べるものです。今後の展開を考えるとこういった実績のあるワークショップを持ち込むことで、防災都市としての三木市が認知される方法だと考えます。

優れたワークショップはシステムで自走するんだなあと。

 

 下記URLにて活動が参照できますよー

NPO 法人+arts

http://www.plus-arts.net/

ご参考までに。

NPO法人プラス・アーツ www.plus-arts.net

  

★昨日の朝、伊藤智寿さんから、こんなコメントが飛び込んできた。

ここで紹介されている『かえっこバザール』を三木で初めてやった、その時はまだ学生さんだった。それを60おじさんのファンのKakogawalionyaさんが気に入って、加古川の商店街でやったりした。そんな繋がりの若い好青年である。

 

片山 敬済 素敵なイベントを沢山開催されてますね。アートと街づく り、アート防災という切り口がイイですね! このような活動がドンドン浸透して行けば自然と「常に備 えよ」の意識が高まりますね。   古谷錬太郎 伊藤さん、しばらくです。元気ですか。『かえっこバザー ル』がやってるNPOですか、それならそのシステムはい いこと間違いないですね。   古谷錬太郎 片山さん、伊藤智寿さんとは、『かえっこバザール』で繋 がりました。これは非常に楽しくよくでしたシステムです 。伊藤さん、当時防災公園のビーンズドームで、『かえっこバザール』やろうかと言ってたの思い出します。明日お会いしたときにでも、また。 片山 敬済 それは楽しみです。伊藤さんはバザールかイベントのお手伝いをされた内部の方なのでしょうかね? 古谷錬太郎 かえっこバザールは、日本国中誰でもやろうと思えば誰でもやれるシステムです。三木で最初にやったのが伊藤さん、二番目にそれをならってやったのが、先日お会いになったkakogawalionyaさんです。 片山 敬済 なるほど、経験者としての貴重なお言葉とご提案を頂けたことは、BERTにとって大事な指標となります。

 

★とこんなやりとりをやってたら、大西英樹さんからこんなコメントが届いたのである。大西英樹さんは三木の市会議員さんである。

 

  大西 秀樹 ご無沙汰しています 。いい提案だと思います。
具体的に何か、こうすればと言うのは直ぐには出てきませ んが、せっかくある施設の活用をしなければと思っていま すので、何か一歩踏み出せればと思います。
以前、コミュティーデザイナーの山崎亮氏が仰っていたの は、そこに行けば絶えず誰かがいるシステム作りをしていろんなファンを増やしていくことだと仰っていました。   古谷錬太郎 大西さん、この件後押しお願いします。旗振ろうとしているのが三木の人でないことがいいと思っているのです。外の人が認めるようないい施設が三木にあるのです。世界一の舞台と言えるのですから、そこで末端の市民が主役のイベントや催しに、行政が協働する方向が本来の市民協働だと思います。世界一とは行かずともまず兵庫県一の仕組みづくりを目指せばいいと思っています。三木の花火や、マラソンもその一つという位置づけがいいと思います。私はNPO The Good Timesという全国的な仕組みと仲間達で応援しようと思っています。勿論その中には三木の人たちもいっぱいいます。従来のちっぽけなタテ型の発想から脱皮するチャンスです。大阪の橋下さんがその見本を示してくれいます。仰るように『いろんなファン』が意味があるのです。よろしくお願いします。

 

★ここのところは、私の本音の部分である。

どうも、日本の企業も、行政も、口ではいろんなことを仰るが、

やっていることは、企業の利益追求や、選挙民の顔色伺った票読みみたいな活動が多すぎるのである。

なかなか簡単には行かないが、こんな話は、少々やんちゃな、橋下徹さんや、片山敬済さんのような異色の人の方が旗振りには似合っていると思っている。

実は今日午後から、この話の続きをやろうとお誘いを受けているのである。

私も、こんな途方もないような話は大好きで、こんなのは『ダメモト』なのである。リスク管理だけ上手くやれば大丈夫である。伊藤さんや大西さんのように賛成してくれる方もいるし、

このコメントのやりとりに『いいね』と賛意を示して頂いている方もいるので、何とかなるのでは?と思っている。

『難しい』と思うことをやるからオモシロイのである。

 

BERTは、バイクによる災害救助対策の仕組みだが、仕組みは立派に創らねばならぬが、災害がしょっちゅう起こって忙しいようなことでは、これもまた困るのである。平時に常に忘れられぬように、市民と一緒に楽しく遊びながら、その組織が充実していけばいいなと思っている。

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』という基本コンセプトにも、

活動の目標『新しい公共』にもぴったりだから、手伝ってみようと思っているのである。

 

 

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平成11年(1999)6月5日 現役生活最後の年 66歳

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★札幌の2年間は、この年の6月5日で終わった。

同時に私の現役生活は終わったのである。ずっと自分史を書いてきたが、その大部分が会社の生活であったが最後の2年間も全力投球できた2年間であったことがホントに幸いであったと思う。

札幌からの帰郷は飛行機を使わずに22時間のエクスプレスの旅を家内と一緒に楽しんだ。

駅には会社の人たちが大勢見送りに来てくれた。

見送られてた汽車の旅などこれで2回目、いずれも勤務地からの帰郷の旅で1度目は仙台から戻った時、

そしてこの時の札幌が2度目である。

新婚旅行などで駅の見送りの風景などはあったが、自分の結婚式のときには、そんなの全然なかったので、この2回の見送りは、よく今でも覚えている。

 

2回ともその主体になっていたのは、現地の人たちであったことが非常に嬉しかったのである。

会社の上下関係などを通り越して、一緒に働いた仲間として見送って頂いたような気がしている。

 

★特に、札幌の場合は、たった2年間の短い期間だったのに、この後3年間も顧問として厚遇頂いたし、その後また、社員の九州旅行にも誘って頂いたりして、ホントに良かったと思っている、

『くも膜下』の後の診断も兼ねて、その後も3カ月に1度中村記念病院の診察も兼ねて札幌を訪ねていたし、何となく69歳まで会社にいたのではないかと錯覚してしまうのである。

この2年間で、北海道川重建機の業績などが顕著によくなったとか、そんなことは一切なかったと思う。

そう言う意味での貢献は一つも出来ていない。

 

その後どうなったかは、よく解らないが、

就任した当時の一種独特の経営体質は間違いなく一変したと思うし、特に中堅の若手社員の方たちへの人事待遇などはシステムとして幾らか変わったと思う。

開発局から来られた松田さんもタダ名前と顔だけで貢献されるのではなくて、会社の企画の中枢として、その資質にあった仕事を担当して頂けるようになったのである。

旧い会社だから、いろんな地元の方々や銀行などとの関係もあったが、この方たちからは、川崎重工にいたということは、いいように受け取って頂いた。特に二輪業界の、従来の国内企業とはちょっと違った先進的な発想は、非常に珍しく新鮮に映ったのか、官庁、銀行、建機業界の方たちと、オモシロイお付き合いをさせて頂いたのである。

 

日本社会はいろんなことを、官庁はこうだ、お役人はこうだ、大企業はと、いろいろ枠にはめ込んでしまうことが多いのだが、

どんなことでも、『常識で考えたら』を基本にしているものだから、この2年間も一切建機業界の風習に染まらずに、自分のスタイルで押し通せたことが、非常に大きな自信になったし、

川重建機の人たちもそれなりに新しい世界を経験できたのはよかったのだと思う。

その後どのように変わったのか、詳しくは知らないが、2年という歳月がちょうど良かったと思っている。

あと2年もいたら、もっとドラスチックに変えたいと思うようなところが、いっぱい出てきたに違いない。

そんな構造的は改革みたいなものを若しやってしまったら、それがホントにいいのか悪いのか?ちょうど大阪の橋下さんのように次の段階に進まざるを得なくなってしまうはずである。

 

★そんな現役最後の、札幌の2年間であった。

1999年、北海道はプロ野球は圧倒的に巨人ファンばかりであった。

札幌ドームは工事中でまだ完成はしていない。

札幌駅もまだ工事中、道央の高速道路もまだ開通していない。

そんな時期だった。

アレからもう10年以上も経つ。

 

★一度北海道もゆっくり訪ねてみたいなという気持ちもある。

何よりも自然がいい。

食い物も旨いという。

確かに、旨いものはいっぱいあるのだが、戦後育ちなのか、口いやしいのか、北海道でなくてもどこで何を食っても旨いと感じるのである。

 

その中で敢えて言えと言われたら、

タラバがに。 タラバは蟹ではなくて、エビだそうである。あの足の身の豪快さがいい。

蟹の身をせせって食うのは、もう一つ性に合わないのである。食うのが面倒なのである。

その点、タラバの足は豪快にかぶることが出来るのである。

 

魚は、北海道の人は、白身の魚よりは、脂っこい魚を好むようである。

北海道の米もそうだが、少し本土の人と味覚が違うのではと思ったりした。

 

★ ちょうど42年間、顧問の3年間も入れると45年間、会社と関係のある生活をした。

100%以上満足した現役生活で、もう一度やり直せと言われても、この通りでいいと言い切れるオモシロイことこの上ない会社生活だった。

指示されて15回職場を変わっているが、前任者の引き継ぎをして業務を進めたことはないと言っていい。そのうち10回は殆ど新しい職場で自分の思う通りのことをやることが出来た。

上司から仕事のやり方を指示されたことも皆無である。何故か上司が経験しないようなことばかりをやってきた。

 

だから、形通りの決められたことをするのは、全く苦手だと思う。

この3年ほど、また新しく昔の仲間と、NPO The Good Times など、何をやってるのですか?と聞かれると、答えに窮してしまうような、あまり世の中に存在しないような法人の経営を結構広い分野でやっている。

月の経費が5000円しか発生しないような法人はあまり世の中には存在しないのである。こんな事が出来るのも、45年間の貴重な経験のお陰なのである。

これで、自分史会社の45年間も一応終わったが、全然書ききれてはいないような感じもする。

あとどうするかは、また考えてみたい。

会社生活の自分史は、この年末とともにこれで終わって、以降年金生活の生活に移っていきたい。

仕事のスピード雑感

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★毎日、大阪の橋下徹さんのニュースが全国区で流れている。

都構想だとか、地方から政治を変えるとか、大きな話題で取り上げられてきたが、

この一両日は大阪市役所の仕事に戻って、そのスピード振りが話題である。

 

行政でも、会社の仕事でも、一般にそのスピード感のなさは、時代のテンポに全く合っていないような気がしてならない。

どうも、自分自身がせっかちな性分で、トロトロしているのは嫌いなのである。

それ以上に、『最大のコストは時間である』 とは、もう何十年前の現役のころからそう思っていた。

いろんなところで、『コスト計算』などやっているが、そんな暇があったら、もっとどんどん先を急げと言いたいのである。

 

人件費が、大きなコストだという認識は、どなたにもあるらしい。

だから、人員削減や、給与のカットなどには、至って熱心なのだが、

同じ仕事でも2倍の期間が掛ったら、その人件費は2倍になったという感覚があまりない。

そのあたりが誠に不思議である。

 

会議でも、議会でも、そこに出席している人たちの時給を計算して、全部で幾ら掛っている会議なのか一度計算してみたらいい。

一番無駄なのが、あまり実質的な効果もない会議や議会のような気がしてならない。

それがないと、ホントに企業や行政は成立しないのか?

中小企業などでは、取締役会などみんな書類で片付けているところはいっぱいある。そんなことしている暇はないのである。

大きくなれば、それを形だけでもやりたがる。

 

★日本でも、仕事が滅法早いところはある。

各企業の生産現場は、世界一の時間管理がなされている

だから、日本の生産管理体制は世界一だと言ってもいい。

 

ダメなのは、ホワイトカラーや、エラそうにしている中間管理層やトップと言われる人たちの方である。

だから『現場は一流、トップは三流』などと言われるのである。

スピーディーな判断が出来ないトップや計画ばかり作っている企画マンが多すぎる。

書類を作ることや、それに印鑑を押す事が仕事だと思っている人たちが多すぎるのである。

そして、その人たちの給与が結構高いのである。

 

★橋下さんの仕事は早いから気持ちがいい。

2年も掛る決定を2日でやったなどと新聞に報道されているが、それはともかく、何事も期限を切ってやるのがいい。

 

若いころ、二輪のレースの世界にいた。

スタートラインに決められた時間につかなかったら、失格である。

競争は秒の単位で争われるのである。 勝ち負けは明白だし、負けたら次のレースまでに対策を建ててまた頑張る世界なのである。

常に、目標のリミットは決められていて、それに間にあわなかった人やグル―プは失格、競争に参加すら出来ないのである。

 

企業競争などと口では言っているが、大企業に勤めている人たちに、あまりそんな意識はなくて、競争の本質が解っていないのではなかろうか?

1期4年では出来ないというような首長は、

『4年間で何かをしよう』としているのではなくて、『4年間市長を、出来れば8年間』市長の椅子に座っていたい人たちなのである。

 

★私も現役のころ『あんたはのぞみ』だが、『各駅停車に乗ろうとする』人たちが付いていけないとよく言われたものである。

でも、そんなことあまり心配しなくていい。

人間は、だんだん環境に慣れて、そのうちテキパキ仕事をする方が楽しくなるそんな生き物である。

ホントに昔だが、高校生の頃、神戸港の沖仲仕、いわゆる当時のアンコと呼ばれるアルバイトに行っていた。

港の停泊料は高価で船は予定の時間になったら、積荷を残してでも出港してしまうのである。

アンコの作業は時間までに全て完了するように、テキパキと行われる。だから他の仕事に対してアンコの時給は圧倒的に高いのである。

 

そんな当たり前のことが解っていないリーダーが多すぎるような気がしてならない。

 

★いまは、 NPO の仕事か、遊びか、趣味かもう一つ、解らぬことを、仲間と一緒にやっているが、

一緒に集まっている人たちも、意外に対応の早いのが集まっている。

 昔のレース仲間もいっぱいいるので、早くやるというのが、習性にになっているのかも知れぬ。

 

★突然、写真だが、

先日、ちょっと紹介したBERT (Bikers Emergency Resuponse Team)という災害対策チームの会合を神戸で、昨日開催した。

片山敬済さんは、世界チャンピオンだから、早いのは当然だが、他のメンバーも心地いほど発想もいいし、対応もいい。

このスピードは、間違いなく橋下さんよりは早いかもしれない。

 

私のヨコの女性は今年の春、『カワサキの想い出そして未来』で中心的な役割を果たしてくれて、つい先日、関西テレビの番組で『人間国宝』に認定された腰山峰子さんである。

仕事が早いだけではない。鈴鹿サーキットを確か2分40秒代で走りきるライダーでもある。バイクに乗せても、そのあたりの男性ライダーはついていけない『人間国宝』なのである。

みんなNPO The Good Times のメンバーさんでもある。

BERTは、全国展開だが、昨日の話は、『三木防災総合公園』を舞台に繰り広げようとする楽しいイベントのコンセプト談義だったのである。

骨子もコンセプトも実施スケジュールの概要も殆ど決まった。

Facebookに秘密のグループ(承認制のグループ)『笑って遊ぼうミキランド』がもう立ちあがっている。

今はまだ、この写真に載ってる5人だけだが、そのうちトモダチ招待しますので、よろしく。

 

これくらいのスピードで動かぬと、オモシロくないのである。

 

人それぞれやりたいこと

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★人それぞれ、やりたいことはその人なりにいっぱいあるのだろう。

『自分がやりたいことがやれる』ということが、『人生の幸せ』なのだろう。

そこまではいいのだが、その『やりたいことがマチマチ』なのである。

『価値観が多様化』しているから、『マチマチ』が更に細分化されているのだと思う。

 

ただ、そのやりたいことが、『社会性のある、理念ミッション』をベースにしたものか、

所属する団体やグループの共通の目標、例えば数値目標などの具体的なものか

ただ、『何かが出来る権力の座=役職に就きたい』という個人的な願望か、

単なる『個人的な願望、家庭のこと、趣味の類』のようなものなどいろいろあって、一言で言うのは難しいのである。

 

★人生を振り返ってみて、

子供のころは、圧倒的に『遊びたかった』だけのような気がする。

戦後、食糧難になって、『腹いっぱい食いたい』と思った時代もあった。

高校時代は、『野球一筋、優勝したかった』

大学入試は、別にどちらでもないとと思っていたのだが、結果的には、通って入学した。

大学時代も、高校時代に輪を掛けて『野球が8割』あと何だったのか、思いだせない。

この時代が一番金が欲しかったのかも知れない。何のために?買いたいものもあったし、遊びたかった。母子家庭で授業料が免除だったし、奨学金も貰っていたから、小遣いを貰って学校に通っていたようなもので、アルバイトもしていたし、結構裕福であった。金がちょっとあるともっと欲しくなるものである。ただ、家からは1円も貰ったりはしていない。

就職してからは、初任給が12000円の時代だから、学生時代に比べて一転苦しくなった。幾ら望んでみても給料以外に金の入るところもなく、金のことは諦めて、仕事に興味が出たというか、その目標を達成したかった。これは大なり小なり退職するまで続いた。

人並みに、結婚したいとそれが目標の時代もあったし、レースに勝ちたいなど、若いころの目標はよかったなと思う。

30代以降は、会社の仕事が9割で、家庭は1割ぐらいかなと思う。

給料は全額振り込み、家内任せ、小遣いなどは一切貰わず、出張旅費の残りで十分まかなえた仕事の内容が続いたから、金とは一切無縁になった。ただ、家はそんなに楽ではなかったはずだが、金が欲しいと思ったこともないような気がする。

やりたいことは、次々にいっぱい出てきて、それを追っかけてきたが、3年に1度の頻度で新しい職場に替っている。一切希望など言ったこともないし、『やれ』ということをそのままやっていただけだが、結構オモシロイ新しい仕事ばかりが多かった。その中で自分のやりたいようにやってきた。

『何になりたい』と思ったことは、理事になって役員が目の前に来た時は、一瞬考えたが、どう考えても役員会などの退屈さの方がイヤで、どうでもいいと思っていたら、『技監』という想いもしなかった事務屋の技監にして頂いて、これは職位として最高によかった。

 

★そして定年後、いっぱい自由な時間があって、何もしなくても年金が入ってくる生活は最高である。

ホントに自分のやりたいことがやれるのである。 

現役時代、何故アレくらいのことに情熱を燃やしたんだろうとも思ったりする。その時は、大きい仕事と思ったことも、考えてみると大したことでもないのである。

そんなに、一生県命やらなくとも会社などは潰れもせずにちゃんとやっていけている。

人の力もあるのだろうが、それ以上に金の力も大きくて、普通にやっていても何とかなっているのである。

良かれと思って造った仕組みなども壊しても、大したことはない。

 

薔薇を育てて花を咲かせたり、

小さな5センチの鯉が5年もすれば立派に育つ。

『育てる』ということは、私のやりたいことの基本のような気もする。

そんなの大したことでないと思うう人もいるだろうが、やっている本人にとっては重大事なのである。

 

現役のころは、もっと上手くなりたいと思ったゴルフも、定年になったら幾らでも練習する時間が出来ると思っていたのに、さっぱりやる気が湧かないのである。

仮に、70台で回れてもプロになれる訳でもないし、『70台で回った』と威張ってみても、それを聞いてくれる、話す相手がいないのである。

よく考えてみると会社にいたころは、スコアが良かったら会社の中で優越感に浸れたりしたのだが、定年後はそれがナイ。

 

★6年ぐらい前から、突如パソコンをやりだして、ブログを書きだしたり、いままで見向きもしなかった行政の中を覗いたり、3年前からはNPOを作って、『トータルシステム』を創って、情報発信などやりだしたら、これはいままでにないオモシロさである。

昨日あたりは、もう一つのブログで、こんなことを書いているが、結構一生懸命なのである。

別に、1円の金儲けにもならぬが、やっていることは結構大きくて、社会性もあり、退屈はしない。

と言って、リスクも殆どないし、NPO法人と言っても月に5000円の経費、年間10万円の収入があれば、経営は十分安泰である。100万単位の収入になると、余ったお金は申請のあったところに差し上げるという、なかなか気分のいいNPOなのである。

 

先日の神戸電鉄の『粟生線の未来を考える市民の会』も、テレビや新聞社が取材に来たし、

今回のバイクを使った災害救助の全国ネットシステム、BERT(Bikers Emergency Pesponce Team)も、ともに社会性があるし、

マスコミに取り上げられたりするから、オモシロイのである。

如何に大きくてもメーカーや一企業では、或いは一行政ではやれないことがやれるということは、『やる気』にさせてくれるのである。

 

そんなことを楽しんでいる、昨今なのである。

 

 

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潮流、海流発電 雑感

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★もう2年も前から

『潮流、海流発電』について、このブログの中にカテゴリーを作って、追っかけてきた。

 

このシリーズの一番最初は2009年6月8日、『日曜日に会ったおもしろい人』から始まっている。

私は事務屋で技術の難しいことはさっぱり解らない。

海の話だし元海兵で、元川崎重工の副社長高橋鉄郎さんに、鈴木清美さんを6月10日に神戸の川重本社で、お引き合わせすることから、私の『潮流、海流発電』話は始まっている。

その後元社長の田崎さんにも紹介したし、明石の技術研究所を訪ねて技術屋さんたちといろんなお話をさせて頂いたりもした。

いろんな経緯があったが、

この『ノヴァエネルギーの潮流、海流発電』は、その後、その事業としては、そんなに上手く行っているとは言えないのは事実である。

ただ、この原因は、

そのシステムのコンセプトの問題ではなくて、現在の国の補助金制度の弊害というか、ベンチャー企業には2億円の助成が出ても、むしろそれが経営の問題点を浮き彫りにしてしまうのである。お金はそのまま使えないし、そのお金を目当てにいろんな人が群がってきてしまうのである。

然し、その基本コンセプトは、非常に優れていると、私は今でもそう思っている。

 

ごく最近、川崎重工業が正式に『潮流、海流発電の分野に進出することになったようである。

こんなイメージ図が出ている。

 

★ 2年前と今とでは『自然エネルギーに』に関する関心度が全然違っていて、いまは完全に追い風に乗っている。

2年前にも『潮流、海流発電』に興味を持ったのは、

ノヴァエネルギーの鈴木清美さんの『潮流、海流発電』の基本コンセプトに共感したからである。

 

太陽や風力と言った自然エネルギーに比べて、比較にならぬほど安定した『潮流』

24時間止まることなく一定方向に流れる『海流』

そのエネルギーを、

船長さんの経験から、海を知り尽くしていて、

且つ船やそれに付随する既に出来あがっている碇やスクリューや、いろんなシステムを応用して、

回れば電気は発生するという理屈から、その回転体を作って

流木や藻など何が流れてくるかも知れない『そんな海の中でも大丈夫な形』の回転体にして、

それを数多く作ることで、発電量を増やし、且つ物体のコストを下げて、

 

『原発に匹敵する、安い電気を大量に作ること』

 

という、技術的にはそんなに難しくはなくて、

むしろ事務屋にもよく理解出来るコンセプトに共感をしたのである。

 

★私の故郷、川崎重工業が『潮流、海流発電』の分野に乗り出して頂いたことは、大いに拍手なのである。

そして発表された記事などには、重工業として手掛けたいろんな分野の技術を集積して、今回のプロジェクトに臨もうとされていることもいいと思う。

この問題に、2年以上も付き合ってきたので、何となく事務屋だが、『一種のカン』は働くのである。

そんな『カン』を頼りに、思うところを忌憚なく述べさせて頂くなら、次のような点をどのようにお考えなのであろうか?

順不同に粗っぽく素人の意見を申し上げるが、素人の意見も結構当たるのである。

 

『安い電気を大量に』の『安い』というところが、基本コンセプトから抜け落ちている。

発電などというのはそんなに難しい技術ではないのである。

子供が作る風車からでも発電する。回転すれば発電するのである。

出来るだけ、例外のないどこでも通用するシステムを考えるべきである。

従来既にある技術を繋ぎさえすれば、それで十分なのである。

 

 複雑極まる海の底に構造物を固定するという発想は、『個別対応になるので安く出来るはずがない』と思ったりする。

電力の消費者は勿論企業もあるが『一般大衆』がその対価を支払っている。

世界で一番高い水準の電気代を支払っているのは、掛ったコストをそのまま電気代に上乗せする従来の『電力会社優遇の仕組み』がそうさせているのである。

原発に代わる新しい自然エネルギーによる発電は、『安い電気』を目指して欲しいものである。

是非、潮流、海流発電の基本コンセプトの第一に『安い電気』を第一に取り上げるべきである。

 

それともう一つ、海の底に構築物を設置する方式で、果たして原発に代わる、原発を上回る発電量が確保できるのだろうか?

 

★この4つの回転体が回って発電する。回れば子供の作る風車でも発電する。その形状や羽の形は幾らでも改善すればいいのである。

その形態は、流木や海を流れてくるものが仮に当たっても大丈夫の形態になっているという。風車のような形状はそんな物体にぶつかると壊れる可能性大である。

津波の引いた後の水の流れのいっぱいの『瓦礫』にも対応できるものであって欲しい。

それは想定外では、東京電力と同じである。地震―津波―停電は避けなければならない。

 

この回転体を繋いでいる縦長の物体は、実は縦長の船なのである。

こんな形で浮いているのは、中には海水が入っているだけなのである。タンカーなども空の時には、海水を入れて調整するのは常識なのだそうである。

 

そして、このタテ型の船を固定しているのは、『碇』で留めているというのである。

大丈夫か?と聞いたら大丈夫と言っていたが、実は碇だけでは大丈夫でなくて、淡路の岩屋では流れてしまったのである。それ以降碇のほかに大きなコンクリートの錘と併用することで対応している。

 

タテ型の船は作れるか? 

その船は碇と錘で留めれるか?

回転すれば電気は発生するか?

これがもし『Yes』なら、潮流発電も海流発電も簡単なのである。

 

私は川重でも二輪部門の出身である。

トータルの仕組み構築は専門の分野だし、量産でコストがどれだけ下がるかもよく解っている。

川崎重工業の中で圧倒的に売上高の多いのは、航空機や船ではなくて一番単価の安い二輪部門なのである。

発電さえすれば、その数を増やせば原発の発電量と同じにするのも簡単である。数が増えたらその製造コストは考えられないほど安くなる。

海流発電は如何に広い面積を使っても、土地代のような費用は発生しない無償なのである。

 

川重が一番得意の造船と、量産事業のソフトノウハウが抜け落ちて、難しいことにチャレンジする技術屋さんの発想になってしまっている。

これは、『安い電気』をどのように創りだすかという、単純な事務屋の発想が要るのでは、と思ったりする。

月の経費はタダの5000円というNPO法人を私は今経営している。多分そんな法人は世界でも珍しい。何故そんなことが出来るのか?

それは、既にあるものを上手に繋ぎ合わせているからである。

発電など、大した技術ではない?

わざわざ難しいことをしなくても、今ある技術を繋ぐだけで大丈夫、出来る。

物事の発想の仕方が少しおかしい。もっと単純で大丈夫である。

技術屋さんはむしろ、送電の新しい技術などを研究して欲しいものである。

『海の底に建造物を造る』この発想はどう考えても頂けない。

『そんなの簡単、安く出来るよ』と仰るのなら、大賛成である。

その費用は、一般大衆が負担する『電気代』に転化されるという非常に社会性の高いプロジェクトであることを忘れないで欲しい。

 

川崎重工業のOBとして、世界に胸の張れる素晴らしいプロジェクトに育って欲しいと願っている。

個人的には、原発はもういらない、原発に代わるどんどん発展性のある量産事業の仕組みがベースにあるべきだ。

この事業の担当は『量産事業の二輪車部門が一番適している』と私自身は思っている。

他の重工業の事業部では、原発に代わる発電システムには育たないと思っているのである。

 

船と量産事業の二つのノウハウを持っているのは川崎重工業だけである。

発電などそんなに難しいものではない。

基本コンセプトは、あくまでも『安い電気』であるべきで、

それを生み出すシステムは『既存のノウハウの組み合わせ』が一番安いはずである。

 

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これは繋がるかな?

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★Facebook のいいところは、いろんな人にお会い出来ていろんな意見交換などすることと同時に、

『これはいいな』と思ったことを、自分なりに紹介出来て、どんどん繋がっていくことである。

同時に、その人がそのことについて、『どう思っているのか?』がある程度解ることである。

 

私が、こんなブログの世界に入り込んだのは、樋渡啓祐さんの影響なのである。

そのころはまだ樋渡さんは今のような有名人でもなかった。

まだ、市長さんにもなっていない高槻市役所の市長公室長だったころ、樋渡さんの書かれた『ブログ、ブログ、ブログ』という文章を読んで、ブログを始めたのである。

雑感日記では、そのほとんどを自分のその時々の『雑感』を書いている。

自分の正直な想いを書いているだけで、『それでどうしよう』ということは殆どないのが、現役時代との差かな、と思っている。

 

★然し、たまには、これは是非世の中に受け入れて欲しいし、『世の中の流れになればいいな、更にはその方向に動かないかな』と思うこともある。

昨日書いた『潮流、海流発電雑感』などは、

 

本音でどなたかが、その方向で動かれたら、日本もいい方向に動くのに と思ってこの2年間思っていたことなのである。

それが、わが故郷、川崎重工業が手掛けるというのである。

だが、その方向は私などの感覚とちょっとズレていているが、普通一般的な参入の方法で、私の発想の方が異色なのはよく承知して言っている。

 

然し、これは日本のエネルギー問題なのである。

単なる新技術開発というレベルを超えて、『新しいエネルギー』を『原発』という従来の基本システムから、『それに替わり得る新しいカタチ』に変えるべきだと思っている。

折角、そんな可能性のある『新しいカタチ』をベンチャー企業が何年も掛って研究し提言しているのである。

私は素人だが、この発想は日本のエネルギー問題を大きく変えることの出来る可能性を示していると思っている。

 

 

★どなたかが、賛同してその情報発信をして頂けないかな、と昨日はずっと考えていた。

そんなところに飛び込んできたのが、私のツイッターにに対しての、ぼっけもんの修さん、藤田修司さんのこんなコメントなのである。

以下二つは、Facebookにコメントされてきたのである。

 

久しぶりに『潮流、海流発電雑感』わが故郷川重が取り組むというニュース。http://t.co/WZlb4GKX  基本コンセプトに『安い電気』と『原発を凌駕する規模』が抜けている技術屋さんの発想?『海と船と二輪の量産事業』を組み合わせたら簡単。子供の風車でも電気は発生する。

<form class="live_340673279276646_131325686911214 commentable_item autoexpand_mode" action="/ajax/ufi/modify.php" enctype="application/x-www-form-urlencoded" method="post"> </form>

 

藤田 修司 エネルギー確保は国家の基幹問題と思います。ぜひ安価で 安定した大量の電気を、自前で作る仕組みに作り上げても らいたいと思います。 そのためにも、技術者の発想と事務屋の発想をうまく役割配置したいものですね。 大規模固定構造物を作らないところが売りの一つでしたか らね。海底構造物は駄目ですね!
発送電を分離して、プラント製造事業から電力量産事業の 視点に変わる仕組みにしないといけないのではと思います 。
やっぱり事業の一部に衆知を生かして参加してもらう仕組みは、世論への働きかけとしても、事業の社会的意義からも不可欠でしょう。
大阪、神戸の関西発祥の日本のエネルギー事業としてスタートさせたいものですね。 山本 靖 私の近隣、北九州市でも関門海峡の潮流で発電する試作品の開発を始めています。 今のところ九州工大で造られているタイプはプロペラ型ではなくて水車をケージの中に組み込んだ形に成っていて、製作した物を海底に設置固定するというやり方ですので大掛かりな海底構造物は必要ありません。 ただ、素人目にも海草を含めた漂流物、ゴミなどがケージに絡みつく事への対策が出来るようには思えません。 その点ではマグロ型の回転体は有利だろうなぁと思っております。 北九州は製造業の街なので新しく需要のある生産物...が開発できれば潤うのですが、現実的には製鉄所などから出る副生水素などや廃熱を利用した発電の方がスグにも稼動できるというのがいつも出る話です。 一部のエネルギー特区では色々と実験的なエネルギー供給をしているのですが、全体としては電気に関する規制が全ての開発の足を引っ張っていると思います。 それでも、川崎重工のような製造業が潮流発電に関わる事は意義があるし、発電コストに関しても量産部門の考え方でブレークスルーを期待しております。 

 

★藤田さんのコメントで勇気を貰って、更に山本さんからもコメントを頂いて、

この方に意見を聞いてみようとこのブログを書いている。

その方は、佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長である。

樋渡さんは、孫正義さんなどと組んで、太陽光発電など、自然エネルギーにも大きな関心をお持ちである。

太陽光発電も勿論いいのだが、『原発に代替出来るか?』という点ではちょっとそのスケールが足りないし、狭い日本の国土が問題である。

太平洋の黒潮利用の『海流発電』は幾ら広大な面積を使っても大丈夫だし、土地代など一切掛らないのである。

それを『量産事業の発想』で展開すれば、コストはどんどん安くなり、発電の効率化もどんどん進むはずである。

車やバイクと同じでどんどん効率のいいものに置き換えていけばいいのである。

 

こんなトータルの仕組みの発想は技術屋さんからはなかなか出てこないのである。

その樋渡さん、昨日はFacebookにトモダチ5000人の上限に達して、困っておられるのである。

ちょうど2日ほど前に、片山敬済さんを紹介したので、5000人以前で間にあってよかった。樋渡さんは片山敬済さんのBERTにもトモダチ参加して頂いているのである。

 

古谷錬太郎さんが樋渡 啓祐さんの近況アップデートをシェアしました。 樋渡 啓祐   今日、友達が上限の5000人に達しました。僕は、何回か書きま したが、集団行動ができずに保育所中退、協調性が無く高校の時ひ きこもり、未だに実生活の友人はほとんどいないなど、孤独に愛さ れる人間です。感情は爆発するわ、敵への攻撃は容赦ないわ、その くせ、持続力はほぼゼロ。気分もコロコロ変わる。 そんな人間がね、Facebookの世界で、 宋 純江さんを始めとする素晴らしい皆さんと知り合える。そして、いろん な意見を教えてくれるし、また、困ったときにはしっかり手を差し 伸べてくれる。人生が前とは比べられないほど豊かになりました。  しかし、これ以上、友達を増やせない。うーん、どうすればいいん だろう。 片山 敬済 確かに残念ですね。個人ではなく団体ならば作れますがね ! 古谷錬太郎 FBの仮説に5000人ものトモダチ作る人居ないと思っ たのでしょう。その想定外が日本人だったのは、『いいね 』ですね。

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★こんなこと書いておけば、必ず樋渡啓祐さんに繋がるのがネットの世界のよさである。

樋渡さんは忙しい方だが、ちょっと厚かましく、お願いをしてみようとこんなブログをアップしているのである。

 

こんなプロジェクトは、基本コンセプトにさえ間違いがなければ、政治家が、国が旗を振って引っ張るべきだと思いますが・・・

国を挙げてその方向に歩めばいいと思うのですがなかなか難しい問題です。

 

樋渡さんのご意見なら、『流れになる可能性』があるのではと思って、こんなブログ書いています。

確か、橋下さんも、原発反対、『瓦礫賛成』でした。

橋下さんが、ちょっと言って下さるといいですね。

 

 

 ★これは、つい先日の神戸での写真です。

たまたまですが、藤田修司さんと3人で写っています。

 

他の方が仰ることは幾らでも『リツイート』出来ます。

要は、仰っている方の『信頼度』なのです。

 

年末お忙しい時に、すみません。

 

 

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今年を振り返って

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★ 大晦日である。

12月はスタートの年にしよう と決心して望んだ12月、間違いなくいいスタートが切れた。

1月から、全力疾走出来る態勢になっていると言っていい。

然し、大晦日である。1年を振り返ってみることもまたいいのかなと思うのである。

 

★今年は東日本大震災を抜いては語れない。3月11日は地震が起こったあの時間から、家にいてずっとテレビを見ていた。

ずっと昔だが仙台に4年いて、東北の殆どを知っていたから、その土地が見るも無残に押し流されるさまは、特別の想いで見ていた。特に住んでいた仙台のまちは、ずっと昔から人が住んでいた土地は殆ど大丈夫で、津波にやられたところは、殆どが昭和40年以降新しく開発されたところばかりであった。

原発問題もそうだが、自然の猛威に対する備えというか、まさに想定外だったのだろうと思う。何度も津波に襲われた三陸でもその対策が機能しなかったし、仙台地区は津波など人々のアタマの中になかったに違いない。

● 直接関係があったことは、3月末、宮城県知事の要請を受けて、出発したバイク救援隊に関しては、その前段階からNPO The Good  Times で、初期の広報活動を担当した。3月4日、『カワサキの想い出、そして未来』に来てくれた、全国オートバイ協働組合連合会の吉田純一会長からの要請があったからである。

● そして、いま、BERT というバイクによる災害救援の全国組織の設立にも、NPO も吉田純一さんも関与しているのである。

●『カワサキの想い出、そして未来』でのオークションの一部は、支援金としてボランタリー活動プラザみきを通じて寄付をした。

● テレビ番組『旅サラダ』を当初青森でやろうとしていた 岩城 滉一から、ロケ地がダメになったので、急遽大分のSPA直入はダメですかと頼まれて、ロケ地を直入に変更したりして、旧交が暖まった。

● これが秋の袖ケ浦の『チームイワキ』の出場になり、総合優勝して、チームマネージャーの高木さんと知り合い、彼の仲介で前述のBERTを手伝うことになったりした。

直接は何も出来なかったが、間接的にはいろいろなことが、繋がるものである。

 

 

★NPOも2年目を迎えて、その目標を『新しい公共』としての活動展開であった。

● 3月に開催した『カワサキの想い出、そして未来』の大成功が弾みをつけたことは間違いない。

● 夏には、念願の海外進出が実現して、アメリカと日本が繋がった。 DANTHREE のホームページである。

● 『粟生線の未来を考える市民の会』もその中枢メンバーは、NPOの会員さんである。

● 関東の団体会員With Me が主催したマル耐には、Good Times Racing チームを造って参戦したし、『チームイワキ』は総合優勝を果たした。

● ごく最近は、BERTというバイクによる災害救援チームの全国組織化を支援して、その関係で『笑って遊ぼうミキランド』というFacebookページを立ち上げたばかりである。

● 特筆すべきは、『孫文を語る会』(理事長田崎雅元元川重社長)は、昨日そのホームページもまだ未完成だが、この程度にまでは出来あがった。

これは、まさに『新しい公共』として、特筆されるものになるだろう

 

 ★これらの活動のベースは、全てネットシステムが支えてくれている。

●昨年からスタートした『ツイッター』は、昨年10万人のフォロワーを持つ規模となったが、今年は更に増えて、いま20万人を少し超えたところにいる。これが、NPO The Good Times の基本的な情報発信力として、支えてくれているのである。

● 今年新たに、ネットシステムとして加わったのが、Facebookである。従来の日本の最大のSNS mixi を完全に抜いて、先進企業ハみなこぞってFacebook ページを持っているし、佐賀県武雄市はそのホームページを止めてFacebookへの完全移行に踏み切ったのである。

その威力は『凄まじい』というのが当たっている。

昨日の私のブログは、樋渡さんがタグ付けされて、一挙に全国でこんな話題になっている

私個人も、NPO The Good Times も、私の周りの人たちは、みんなネット人間で、毎日自然にお会いしている。実名だからどんどん繋がるのである。私のトモダチも全国に250人、KMJに人たちともライダー仲間も、勿論一般の方たちともどんどん繋がっていくのである。

 

★個人的なことで言うなら、

今年は白内障の手術から始まった。

目の前が、考えられないほど明るくなって、ゴルフのボールもよく見えるようになったのに、夏ごろから2度、足の筋肉を痛めて、最近まで歩くことも辛かったのである。柔軟性などは、今でも20代の若さを保っていると威張ってみても、痛めた筋肉の治りが遅いのはやはり歳かなと思う。

 

今年は78歳、来年は最後の70代の1年である。

母も102歳、家内は74歳、家族の平均年齢は84.6歳である。

この1年、まあ元気に生きられたのは幸いであった。

いい1年だったと思う。

明けましておめでとうございます

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新しい年が明けました。

今年も頑張ります。

 

 鎌倉から送られてきました。由比ヶ浜の初日の出です。


2012年 新春

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★2012年の新春

我が家は、三木。

息子家族は、鎌倉。

娘一家は、California Ivine にいる。

おばあちゃんは、102歳、特別老人養護施設にいる。

息子家族は、孫が大学入試の勉強中で帰省せず、息子一人が戻ってきた。

鎌倉の由比ヶ浜の初日の出が送られてきた。

1日遅れだが、アメリカカリフォルニア ラグナビーチの初日の出、今ツイッターにリンクされてたのから…今から5時間ほど前である。

 

特老にいる母と鎌倉から戻った息子である。

これは日本時間、1月2日5時、アメリカは1月1日元旦の朝、11時とか言っていた。

SKYPEでの通話の時に、画面を写した写真である。

流石、カリフォニア 正月だというのに、孫たちみんな半そでである。

滅多に登場しないお父さんも登場した。

幾ら喋っていても無料、いい世の中である。

 

みなさん、改めて『明けましておめでとうございます』

繋がるネットの世界、遠山清彦さん

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 ★明けましておめでとうございます。

元旦の朝、沢山の年賀状を頂いた。

今年初めて頂く方もいる。

この2枚の年賀状、

上は、ホンダのファクトリーチームに関係されていた、『渡辺信義』さん。

そして下は、『チームイワキ』の高木さん。

昨年秋、袖ケ浦の3時間マル耐でもお会いしたし、その後も、そして今年も大いに繋がることだろう。

 

★ 『カワサキの想い出、そして未来』の第2弾を今年の秋、東京で開催する予定なのだが、

今回はホンダさんを中心にヤマハ、スズキさんにも声を掛けて、大いに盛り上げようと計画している。渡辺信義さんは、その主宰者なのである。

勿論、NPOの関東総括インターナショナルトレ―ディングムラシマの村島さんや、雷神マッハの蘇原さん、まっしまさんやマル耐を主催したWith Me の丸山浩さんなども主力メンバーで、みんな1月20日、有馬泉卿荘での新年会に出席されることになっている。

このプロジェクトは、関東でのNPO The Good Times の今年の活動の中心になるだろう。

 

★ そして関西は盛沢山の活動になるのだが、その中で今年からの活動になるのが、

BERT によるバイクによる災害救助活動組織化で、

その一環としてスタートするのが、三木総合防災公園を舞台に展開しようとしている『笑って遊ぼうミキランド』なのである。

このBERTの活動は、片山敬済さんが主宰されている活動なのだが、

Facebookで、私と片山さんを繋いでくれたのが、チームイワキの高木さんなのである。

 『笑って遊ぼうミキランド』は将来全国で展開されるであろうイベントのトップで走ろうとしているのである。

 

 

★昨年暮れ、久しぶりに『潮流、海流発電』のことを書いたら、

武雄市長の樋渡啓祐さんが、取り上げて頂いて、全国のみなさんから多大の関心を寄せて頂いたのである

 

単なる素人のおじんが発する情報発信が確実に万の単位の方の目に触れたりするのである。

ネットシステムのよさと同時に、それを繋ごうとする方たちの善意と行動力である。

 

 

★ そんななかで、『遠山清彦』さんに繋がった。

公明党の国際局長を務める国会議員さんである。

 

下にあるようなコメントが交換されただけではなく、

遠山清彦さんから、『お会いしたいとのメール』を頂いたのである。

やはり樋渡啓祐さんの力はスゴイなと思う。

ひょとしたら、何かが動くかも知れない。

この問題については、民主党の高橋昭一さんも2年も前から高い関心をお持ちである。

樋渡さんを始め、このような40代の政治家たちが、ネットの力を使って、素早く動いて欲しいものである。

 

 

遠山 清彦 潮流発電、私の友人が来年から本格的に取り組み、私も応 援します。関門海峡や鳴門海峡など、候補地は、意外と多 い。   樋渡 啓祐遠山 清彦代議士、コメントありがとうございます。さすがですね。 ぜひ、 古谷錬太郎さんのご提案よろしくお願いします。ちなみに、何回か書 きましたが、遠山代議士は僕と同年、最も、信頼し、期待 する政治家です。僕は政治家大嫌いですが、この人は例外 。みんな、よろしくお願いします。  古谷錬太郎 樋渡さん、遠山さん、有難うございます。このプロジェク トに2年前から前向きに取り組まれたのは公明党です。こ のシステムを実現するためには、ベンチャーでは無理で、 造船など大手が動かないと無理だと思います。東日本大震 災で日本のエネルギー問題は新しい局面に入っていますの で、国を挙げての推進になればと思います。コンセプトは いいのですから、事業化できるかどうかの目途を国が旗振 って進める姿勢に期待します。  遠山 清彦 古谷さん、貴重なご意見の数々、ありがとうございます。 今年から、自然再生エネルギーによる電力供給の大拡充に 向けて、日本は動かざるをえません。私たち政治家も、あ らゆる可能性に注目して、取り組んで行く時にあります。 共に頑張りましょう!

 

 ★ 大晦日から元旦にかけて、この話で他にも現実的な動きがあって、忙しかった。

ホントに繋がるものである。

反応される方は、みんな40代の若手である。

日本の政治もこんな若手のスピード感で、ネット社会の中を突き走って欲しいものである。

 

私も今年は79歳になる。最後の70代である。

もうあまり時間がナイから、トロトロする人たちと付き合っている時間はナイ。

新しい発想で、アタマの回転が速く、行動力のある人を選んでお付き合いしたいと思っている。

NPO The Good Times も、今年で3年目を迎える。

 

遠山さん、ホントにお会い出来るだろうか?

 

 

 

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2012年はどんな年になるのだろうか?

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★今年の『三が日』も何となく過ぎた。

『さんがにち』は漢字でどう書くのかと思ったら、書くとすれば『三箇日』で『三賀日』ではないようだ。

『松の内』は15日までだと思ったら、『7日もしくは15日まで』とあった。意外に知らないことが多い。

 

初詣に行くでもなく、家でパソコンと向かい合っている時間も結構長かった。

元旦は終日サッカーのテレビ番組を見ていたように思う。

正月番組がつまらなかったので、サッカー番組に自然とチャンネルを合わしたのかも知れない。

息子が一人帰省していたが、どこに行くでもなく、普通の話をして、普通に酒を飲んで、なにしに帰省したのかな? と思ったりした。

来る時は、飛行機が取れなくて、羽田ー那覇ー伊丹と乗り継いで、帰りは3日は空席がなくて2日の7時台で戻っていった。社員は無料だが空席がないと乗れないのである。

 今年は孫は大学受験で帰省どころではなかったようである。

息子独り戻ってきたが、家内はやはり私一人の時よりは、料理を作るのも張りがあるようで、あれこれと動いていた。

そんなことで明けた2012年だが、

今年はどんな年になるのだろう?

 

★まず、自分のことだが、3月には79歳になる。

考えてみると70代の最後の年なのである。

最近の60代は還暦を迎えても尚現役みたいなものである。70代になっても、私の場合、60代の延長で決して年を取ったとも思わずに過ごしてきた。

パソコンに出会ったのが70代になってからだし、ブログだ、ツイッターだ、或いはFacebookなど、ネットの世界にも関連が出来て、

日常も、ネットの世界で接触する人たちも、30代、40代の自分の息子より若い人たちが圧倒的に多いのだが、私自身はそんなに違和感もなくて、全くトモダチのような付き合い方をしているのである。

でも、80代となると、これはまさに老人である。

その80代にはあと1年、今年しかない、70代最後の年なのである。

 

★そんな1年だから、今年は『ちゃんとやりたいな』と思うのである。

『ちゃんとやりたい』とはどんなことなのか?

今年1年くらいは、まだ体力的にも、精神的にも大丈夫だと思うので、自分の思うように『自分流で』動きたいと思っている。

 

ただ、現役のころと、決定的に違うのは、全てのことが『別に出来なくても』

特にどうということはないのである。

出来なくても、誰からも文句も出ないし、決して怒られたりはしないというか『ノルマ感』は全くないのだが・・・

それでも『がんばる』のは性格か? 趣味の範疇のような気もする。

 

★ やりたいと思っていることは、結構大きいテーマなのである。

いま手元にあるものは、

A.  『孫文を語る会』  これは孫中山記念会の公式活動の支援活動。

B. 『二輪ファクトリーライダーと一般ユーザーの集い』  今回は東京でホンダさん主体に、『カワサキの想い出、そして未来』の第2弾なのである。。

C. 『粟生線の未来を考える市民の会』  神戸電鉄粟生線の廃線問題を存続の方向で考えてみようという市民の動き。

D. 『BERT  バイクによる災害支援組織の確立活動』  片山敬済さんが主宰する大きな活動の支援。

E. その 『BERT』 に関連して、三木防災総合公園を舞台に『笑って遊ぼうミキランド』 というイベント展開。

F. その他、ボランタリー活動プラザみきやe-音楽@みき、アメリカでのDANTHREE活動などの会員さんのプロジェクトの支援

などなど、新しくまたいろんなものが出てくるかも知れない。

 

 ずらっと項目を並べたが、

それぞれのプロジェクトにそれぞれの『キーパーソン』が居て、そのプロジェクトの成否はその『キーパーソンたち』の動き方次第なのである。

それを支援しているのは、『新しい公共』を目標に掲げている『NPO The Good Times のトータルシステム』なのである。

私自身は、『やりたい人たち』の『やりたいと思うこと』をよりうまく展開できるように支援するだけなので、そんなに難しいことではない。

それぞれのプロジェクトがの『キーパーソンたち』は既に決まっている。

あとは、『笑って遊ぼうミキランド』の三木側の『キーパーソン』だけで、意中の人は既に居る。本気になってくれるかどうかがkeyなのである。

 

★日記は20才の時からだから59年目を迎える。

今年から、5年連記の日記帳が新しくなる。

5年目は83歳である。83歳まで生きてるだろうか?とホントに思ったりする。

 

今年は結婚50周年も迎える。

自分のやりたいことを、勝手にやっているのもいいが、家内のことにも、もう少し…と思ったりするが、これがなかなか難しいのである。

夫婦というのは、不思議なもので、50年も一緒に暮らすと、お互いの関係は一種独特のモノになる。

どうすればいいのか名案もないが、気にするだけでもいいのかも知れない。

 

★世のなかの景気や、政治の動きなども、関心はあるのだが、今更どうして欲しいなどという希望などあまりない。消費税が上がっても上がらなくても、私自身はそんなに関係はないようにも思う。

政治に対する関心を、もっと若い人が持つべきである。

若いころ、殆ど政治に関心も持たずに投票にも行かなかったが、その結果、日本の政治は変わらなかった。

若い人が政治に関心を持たない従来のような投票率では日本の政治は変わらない。今回、大阪が変わろうとしているのは、若い人が投票したからである。

ひょっとしたら、今年は選挙があるかも知れぬが、若い人は自分のこととと思って、いい政治家を選んで欲しいと思っている。

 

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もうそんな歳なんだ

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★1月2日は父の命日である。

もう60年前のことである。高校3年のこの日に父が亡くなった。

昭和27年、まだまだ戦後で、マイシンなどの薬も高くて保険などなかったし、注射1本が、今は高級住宅地になっている明石上の丸の土地1坪の値段もした。

3年も寝ていたので、伯父が土地を1000坪も売って、薬代を賄ってくれた。

父が亡くなって、治療代が要らなくなったので、『大学へ行け』と、就職をする積りだったのに急にそれから1ヶ月ほど勉強して大学入試を受けたのである。

私を大学に行かせるために、父は急にこんな正月に亡くなったのでは、と思ったりする。

 

正月はいつも父と伯父の墓参りだが、今年は2日に行けなかったので、昨日明石まで行ってきた。

父は52歳、伯父も60歳で亡くなったので、それに比べたら私は長く生きている。

未だ若いころは、70歳までは生きられないと思っていた。

20才の時日記を書きだしたのも、肺結核になって空洞が出来て、自分もそう長くは生きられないと思ったことも日記を書くきっかけの一つになっている。

今年は79歳になる。

そう言う意味では、十分すぎるほど長生きをした。

 

★ 伯父も、父も早く亡くなったのに、私の祖母は102歳までの長寿であった。

母は今年103歳になる。

お陰さまで、祖母と母のDNAを引き継いでいるのかも知れない。

今は至って健康である。

不思議なほど、『死ぬ』なんて思ってはいないのである。

今年新しく5年連記の日記帳のスタートなのだが、5年目は83歳、多分大丈夫だと思っている。

そんな風に、太平楽なところがいいのだと思っているのだが・・・

 

★昨日、突然訃報が入った。

高校の野球部の1年後輩の池内君が亡くなったというのである。

昨年は、同じ年次で川崎重工でも一緒だった大塚健哉君が亡くなった。

昨日連絡をくれたのも、野球部の同期の仲間だが、私の同期の連中も4人を残してみんな亡くなってしまった。

もうみんなそんな歳なのである。

 

池内のお葬式は今日なのだが、そこに集まる野球部の連中も、多分知らぬ顔が多いのだろう。

彼は野球部のOB会の会長なども長くやってくれたので、野球部のOB達は沢山参列するのだろうが、

私などが知っているメンバーが少ないのである。

そんなことを思うと、何となく寂しいのである。

 

★だからというわけでもないが、

昨日は墓参の帰りに、ちょっと高級な回転すし屋に寄った。

 

生きているうちに、旨いものも食えるときに食っておかなくてはということからかも知れない。

確かに、旨いのだが、高いと言っても回転寿司である。

家内と二人で、16皿も食って、支払った額は4000円ちょっとだったから、

贅沢といっても知れているのである。

 

★寿司と言えば、

明石高の野球部の猛烈な支援者が、明石の菊水の本店の親父さんだった。

現役時代、よくお世話になって旨い寿司を沢山食わせて頂いた。

 

今は、菊水支店(最近は菊水支店とは言わなくなってしまった)の方が有名になっているのだが、

そんなこともあって、菊水本店の支店として西明石に出した『菊水』には現役時代よく通ったものである。

亡くなった大塚もよく行っていたし、同期の野球部の連中とも何度か行ったがみんな亡くなってしまった。

 

ここの寿司の旨さは、また特別なのだが、カウンターに座ると一人1万円ぐらいは覚悟しておかなくてなならない。

ただ、どんなに口の肥えた客を連れて行っても大丈夫である。

 

家内もプライベートで何度か連れて行ったが、やはり現役時代は気持ちが大きかったのかも知れない。

生きているうちに『旨いもの』などと言うのなら、『菊水』ぐらいに行けばいいのだが、なかなかその気にはなれないのである。

 

★人間不思議なもので、ゴルフに1回行けば1万円は掛ると思っているので、それを払うのは何ともないのである。

最近は、寿司は一人1000円も払えば食えるというのが常識になってしまっているのである。

昨日は、久しぶりに墓参りに行って、ちょっと贅沢ないつもの倍くらいする回転寿司を食ってきた。

 

もう歳なんだから、生きているうちにもう一度ぐらい、『菊水本店の支店』の寿司ぐらい、食わねばなるまい。

そう言えば、息子の嫁の『ノンちゃん』に、『菊水の寿司』を食わしてやると言っているのだが、まだその約束は果たしていない。

早く行かないと、もう歳なんだから、約束不履行のまま死んでしまうかもしれない。

 

墓参りから、そんなことを思っていた。

 

 

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リーダー論いろいろ、雑感

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★『リーダー』にもいろいろある。

必ずしも、『エライ人=リーダー』ではないのでは、と思っている。

大企業などで、『エラクなっていく人=職位が上がって所謂出世をする人』の中には、勿論『リーダー』もいるだろうが、むしろ『リーダーには適さない方』が出世をしていく場合の方が、圧倒的に多いように思っている。

逆に言えば、『リーダーの資質のある人』は、大企業のような確立された組織の中では、出世などするのは難しいのではと思ったりする。

私が尊敬する『本田宗一郎』さんは、本田技研を自ら創られたから、ああなったので、若し大企業に就職されていたら、多分何処かで『はじき出されて』いたような気もする。

だから、安定した大企業のトップに、『リーダーシップ』など求めること自体が無理なことだし、政治家でも野党の時はアレだけ鋭かった菅さんも、『リーダーシップのカケラ』もなかったのである。

『リーダーの資質を持っている人』をエライ人と言おうとするところに無理もある。

暴走族のリーダーや、やくざの親分は、ある意味間違いなく『リーダーの資質』は持っているのである。

 

★人はいろいろなのである。

私が、『ネットの世界』が好きなのは、いろいろあるが、みんなヨコイッセン、『誰がエライ』とか『誰が上だ』などと言わない点なのである。

人それぞれ、いいところがあるのだから、それを生かして生きていけばいいと思う。

社長など、エライ人だと言ってみても、辞めたらただの人である。そんな仮の職位にみんな目が行くからおかしいのだと思っている。職位の低い方の方に、むしろ「エライな」と思う人はいたようにも思う。

私が、変わっていたのだと思うが、

現役のころも職位の上の人は、職位が上だということは認めてはいたが、それがエライ人とは一度も思ったことはないし、社長と話をしてもほかの方と全く同じように話をさせて頂いたように思う。かしこまって特別の言葉や態度で、人と話をしたことなど、一切思い出せないのである。

普通一番かしこまらねばならぬとされる、『入社試験の面接』も殆ど普通の雑談のように喋れたのである。事実野球の話など全く雑談のレベルが殆どで、時間だけは普通の人の2倍も掛ったのである。人事課長さんの最初の質問が『君は成績悪いねえ』で始まったのが良かったのである。成績の話から、直ぐ野球の話に移ってしまったのである。

当時、社長であった砂野仁さんに『君、面接だけはよかったよ』と言って頂いたりした。

 

★新春の大西宏さんのブログに、『乱世のリーダーの選び方』がアップされていて、オモシロく納得して読ませていただいた。

 『なぜ、日本ではバカだけが出世するのか?』  などという強烈な言葉も飛び出すが、

それはさておき、政治の世界で、リーダーになるまえはそれなりに存在感があった方でも、リーダーになったとたんにガッカリするということが続いています。また大企業といえども、エリートとして育ち、現場のリーダー時代はたとえ活躍された過去があったとしても、企業経営者になると、いかにも駄目な経営者が多いかかをまざまざと見せつけられてきました。

 と言われていて、確かにその通りだと思う。

 しかし、どのようなタイプのリーダーであっても、優れたリーダーは、理念やビジョンを自ら考え、また生み出し、語れる人たちだということは共通しているように思います。たとえ、誰かに知恵は借りたとしても、最後は人に任せず、自ら理念やビジョンを考えだすリーダーの人たちの言葉には力があります。人を惹きつけます。また人が動きます。 

  などとも言われていて、私などは、どちらかと言えばそんな部類に入るのだが、

必ずしも『そんな形のリーダーがエライ』などというような風潮があるとすれば、それは必ずしも肯定するわけにはいかないのである。単なる『人の性格』なのである。

その人が、乱世のリーダーとしてはいいのだが、平穏無事な時代には必ずしもリーダーとして適任かどうかは解らない。

大企業などでは、乱世に強いリーダーよりも、安定期を上手に操縦するリーダーを求めた時代が長く続いたのである。

そんな時代は、もう過ぎ去ってしまっているのに、それに気づかずに同じようにのんびりと過ごし過ぎたのが問題なのだと思う。

今は、政治の世界も、大企業もやはり『乱世』と言えるであろうから、大西宏さんの論旨もまた正しいのだろうと思うのである。

 

 

 

 

★昨年暮れから、強烈な『リーダーシップ』を持つ片山敬済さんに出会って、それを手伝おうと思っている。

二輪世界GPチャンピオンに輝いた個性豊かな人物だが、その想いは強烈で、オモシロい。

少々やんちゃな面もあるが、そんな一面がないと世界一などにはなれないのである。

やろうとしていることはBERT こんなことなのである

 

この片山敬済さんを、支えようとその意思を明確にしている人がいる。

全国オートバイ協同組合連合会会長の吉田純一さんである。

彼はカワサキの出身で、政治家の所謂大物政治家先生方とも対等にお付き合いしている、世の中の常識で言えばエライさんなのである。カワサキのグループの中で一番エラクなったのは、吉田純ちゃんではないかと、私は本音でそう思っている。

現在の肩書きもエライし、今でも『純ちゃん』と周囲に呼ばせるところもエライし、この組合を大阪、兵庫からスタートして全国組織にまで成長させたその実力もエライと思っている。

だけど、彼のサラリーマン時代の考課は、最低だったのである。別に仕事が出来なかったのではなくて、タイムカードを打たなかったので、遅刻扱いになって、勤務評定が最低だっただけである。独立してタイムカードなど関係のない世界では、それこそ彼独特の『リーダーシップ』を発揮して、今日の地位にいるのである。

昨年春、被災地の宮城に真っ先にバイクの救援隊を組織し、自ら現地に乗り込んだのも『吉田純一』さんなのである

 

そんな人たちと組んで、今年はBERTの推進について、手伝おうと思っている。

片山敬済さんの一途に『強烈なリーダーシップ』

吉田純一さんの『純ちゃん独特のリーダーシップ』

それを支えて繋ぐ『私流のリーダーシップ』 で今年を歩んでみようと思っているだけのことなのである。

 

『リーダーシップなどなくても』世の中に立派な人はいっぱいいるし、人それぞれなのである。

世間で言う職位が高い人を『エライ人』と言いたがるたがる人は、

『リーダーシップがある人』がエライと錯覚してしまうのだと思う。

学問が専門の学者さんなど、リーダーシップなどあまり必要ないのではと思ってしまう。

 

 ★書いていて、何だか解らなくなってきた。

大体、人をエライとか、エラクないとか言うこと自体がナンセンスである。

といいながら、本田宗一郎はエラかったなと思ったりしている。

橋下徹さんはエライなとも思う。

『そんな人たちが好きだ』と言うことなのだろうか?

 

 

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遊び半分ではいい遊びは出来ない

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★ 『遊び半分ではいい遊びは出来ない』 とソフト会社を作って、専門に『遊び』をフォローしていた時代があった。

もう20年以上も前の話だが、現役時代、一番楽しくオモシロい時代であったのかも知れない。

でも、なかなか日本人には受け入れられにくいコンセプトであったのかも知れない。

日本人の発想のベースは『額に汗する勤勉』だったリ、『力を合わせて頑張ろう』の方が受けがいい。

 

放っておいても自然に売れる仕組みを作って、自然に無理なく売れるように仕組むのが最高だとずっと思っていた。

その一番のベースは『売れる商品の開発』なのである。

極めて嗜好性の高い商品であるバイクなどは、『売れる商品』は、放っておいても、幾らでも売れるのである。

W1, Z2, FX400, そしてZEPYREというカワサキを代表するヒット商品の時代に、営業を担当していたので、バックオーダーの中で過ごした営業の時代が長かった。

 

もう一つは、『販売網のネットワーク』をどのように仕上げるか?

バイクもジェットスキーも、末端のユーザーに接してくれているのは、プロの販売店なのであって、中間のセールスなどではない。

一番、売りたいのは、セールスではなくて販売店なのである。

全体の販売体系そのものが『トータルの仕組み』なのである。

 

バイクや、ジェットスキーにはレースも付き物で、1台のマシンにライダー、メカニックなどチームを形成し、沢山の人たちが集まって楽しんでいるのである。

新車と、それを買ってくれた人しか、視野に入っていないところが問題だと思っていた。

楽しくオモシロい遊びの世界を演出すれば、より多くのバイクやジェットスキーは売れるはずだと、

一般のライダー達が気軽に走れるサーキットSPA直入りを作ったり、バイクやジェットスキーのユーザークラブKAZEの組織し、ジェットスキーのレース機構JJSBAなど、トータルの『遊びのシステム構築』に熱中していたのである。

 

★海外のレースにいち早く参戦し、鈴鹿に日本で初めてサーキットをつくり、安全運転コースも創って、本気で『遊びの世界』に取り組んだのは本田宗一郎さんである。

その結果、日本は世界一のバイク王国になったのである。

ただ単に、バイクを造り、それを売る、そんなレベルを超えた『遊びの世界』への理念を本田宗一郎さんは持っていた。

そんな、2輪事業の原点みたいなコンセプトを、誰かが受け継いでいかねばならないと思っていた。

ただ単に、モノを作って売るだけなら、他のオモシロくない業界と同じになってしまうのである。

二輪や、ジェットスキーは、そんな一般業界とは完全に差別化された動きがあって然るべきである。

 

レースの世界もどんどん先鋭化して、一般ユーザーと無縁のモノになりつつある。

そんな時代に、昨年秋、突然『マル耐』が袖ケ浦サーキットで行われ、大好評であった。

そんなことを言っても、なかなか今のメーカーの人には解らないのでは? と思ったりする。

多分、ご存じないし、そんな情報収集力もお持ちではない。

然し、その場には、ホンダさんの現役の方が一人だけだがおられたのである。ホンダサンですら『周囲の人に誘っても関心がナイ』と嘆いておられた。

かってホンダのファクトリーにおられた渡辺信義さんもいたし、たまたまだがカワサキのOB達もそこにいたし、『チームイワキ』も参戦していた。

私は初めてお会いしたのだが、今小林ゆきさんがロングインタビューをしている松下佳成 さんも、全くサーキットを走ったことのないアマチュアライダーとそこで一緒に走ったりしたのである。

 

『マル耐』丸山浩さん率いるWith Me 主宰の3時間耐久、『遊び心』いっぱいの楽しいイベントなのである。

好評に応えて、今年のスケジュールが、4月と11月に決まって発表されたのである

練習走行会も含めたら、毎月開催なのである。

 

★その丸山浩さんのWith Meは、NPO The Good Times の団体会員さんである。

NPO The Good Times は、20年以上も前の『遊びのソフト会社のコンセプト』を継承している法人で、当時のメンバー達もいっぱいだから、

ある意味『遊び会社』なのである。

 

1月20日の有馬での新年会には、そんな遊びのプロたちが集まる。

関東からもホンダファクトリーの渡辺信義さんも、With Meの丸山浩さんも、袖ケ浦に集まったメンバーたちの再会なのである。

今年は、地元三木では、三木総合防災公園を舞台に、『笑って遊ぼうミキランド』も5月と9月に開催だし、なかなかオモシロい年になるかも知れない。

秋には東京で渡辺信義さんが、『カワサキの想い出そして未来』の第2弾を、ホンダのファクトリーのメンバー中心にやろうと計画中である。

 

NPO The Good Times のメンバー達が中心のイベントで、NPO自体はその仕組みで応援しているだけである。

With MeもそんなNPOの仲間だから、こんな広報も手伝っている。ツイッターやFacebookでも展開するから、その情報は20万人を超えて伝わるのである。

 『やりたい人』が集まれば何でもできる『いい時代』になった。

『仕組み』さえ上手に利用したら、メーカーさんが出来ないようなことでも出来る、オモシロい時代なのである。

 

今日は13時から、三木総合防災公園で、『笑って遊ぼうミキランド』の中心メンバーの顔合わせである。

いよいよ仕事初めである。

ただ、『遊び半分では、いい遊びは出来ない』  そんな遊びのプロたちの世界なのである。

 

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笑って遊ぼうミキランド

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★『笑って遊ぼうミキランド』

BERTの活動の一環として5月に、三木総合防災公園を舞台に展開しようという楽しいイベント『笑って遊ぼうミキランド』の主力メンバーの初会合を現地で行いました。

BERTの活動自体が未だ公式発表されていないので、お解り難いかと思いますが、未発表のニュースとしてお読みください。

★集合場所は、ビーンズドームの駐車場、集合時間13時の20分前に現場に行ったら既にこんなバイクが止めてありました。

レース界では有名ですが、最近は一般の方もご存じの方も多い、関西テレビの人気番組で『人間国宝』になった腰山峰子さん、

彼女の自慢のバイクです。

1200ccオーストリア製、名前は聞いたのに、直ぐ忘れてしまいました。

★場所を見るのも、お会いするのも初めてというメンバー達、名刺交換、お互いの自己紹介から始まりました。

昨日は、BERTのメンバーと地元三木のメンバーたちとの初顔合わせです。

それにthiraiさんと、60おじさんの息子さんBMXのプロ山本明さんも参加してくれました。

★これが三木総合防災公園です。

ゴルフ場がちょうど3っほど入る広さです。

サッカー場や、陸上競技場がありますから、比べて頂ければどれくらいの広さかお解り頂けるでしょう。

野球場もありますが、よく甲子園球場幾つ分の広さという表現では、幾つ入るのか解らないので、いつもゴルフ場が3っという表現をしています。

兎に角広大です。

三木市主催のみっきぃマラソンは、この中だけで行われるのです。

 

現場を見た結果、中央芝生広場ヨコのパーキング辺りを中心に展開することになりそうです。

★現場を見に来たメンバー達、直ぐ打ち解けた雰囲気になっています。

三木からは、さるとるさんこと森田優さん、井上章二さん、坂東聖悟さん、伊藤智寿さんが、Facebookの広報で自然に集まってくれました。

強力メンバーです。このメンバーなら、まず何でも出来ると思っています。

★場所を移して、基本コンセプトの説明など、意見交換。

腰山峰子さん、井上章二さん、森田優さん、初対面ですが、ネットの上では毎日顔を合わせていますので、直ぐ話は伝わります。

 

★正面は、昨年夏三木山森林公園で、ご兄弟で音楽イベントを立ち上げた、伊藤英寿、伊藤智寿さんの弟さんの方、伊藤智寿さんです。

学生の頃、三木で初めて『かえっこバザール』をやったイベント実力者です。

その左は、60おじさんの息子さん、山本明君、日本のBMXの第1人者です。

そしてその隣は『カワサキの想い出そして未来』の主宰者、ご存じ平井稔男さん。

★今回のBERT関連のこのイベントは、何と言っても片山敬済さんが牽引車です。

BERTのコンセプトが確りしていますので

全国を巻き込んだ一大イベントに広がっていく可能性を秘めています。

昨日、集まったメンバー達、全てがNPO The Good Times のメンバーですから、

そのシステムで応援しようと思っています。

 

『笑って遊ぼうミキランド』は、BERT関連の柔らかいママチャリなどの輪を中心としたイベントなのですが、

BERT本来の災害時のバイク支援の訓練も、この三木総合防災公園を舞台に、展開されることになるのだと思います。

三木総合防災公園は、BERTに対してそんな訓練の舞台も提供してくれるのかも知れません。

 

これはまさに『新しい公共』活動そのものだと思っています。

タテ型の今の組織体系では、組織は出来てもなかなか実効が上がらないのが現実ですが、これは動くのではと思っています。

★このバイクに乗って、

腰山峰子さんが、

1月17日、阪神大震災の記念日に神戸の地を、

『日本一周One Worldバトンリレー』の第1走者の一人として東へ向けてスタートするのです。

 それは、多分マスコミなどで報道されるのだと思います。テレビ報道もあるかも知れません。

このバイクなのです。よく覚えておいてください。

 

帰宅してすぐ、一連の写真をアルバムでアップしたのですが

そのFacebookに寄せられた、井上章二さんと、伊藤智寿さんのコメントです。

井上 章二 何かが起こりそうな気配でしたね!!空気感が共通ってこ とでしょうか?お疲れさまでした。     伊藤 智寿 おつかれさまでした(^-^)/

楽しいミーティングでした。参加して良かったです☆
皆さん考えてることが面白いですよね。

話を聞いてるだけでワクワクしてきました。

三木のメンバー達も、頑張って応援してくれる確かな感触を得た半日でした。

 

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三木への想い

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★昨日は、三木の志染小学校であったハートフルライブに行ってきた。

地元三木出身の『詩桃さんと衣川亮輔さんのライブ』だった。

 

私は元々三木出身ではないのだが、三木に住んでもう40年近くになる。

三木に住んだ期間が一番長くなった。

この5,6年三木に関心を持ちだしてから、

『三木に熱烈な愛着』を持つ人たちが多いのに気がついて、ビックリしているのである。

なぜ、こんなにも、『三木』に愛着を持つのだろうか?

故郷に愛着を持つのは普通一般の感情だとは思うが、三木育ちの人たちの『三木を愛する気持ち』は、また特別なのである。

 

私が知っている三木の人たちが特別なのだろうか?

それはともかく『三木市若手アーティスト応援団』というのがあって、三木市出身の若手アーテイスト5人を応援しているのである。

詩桃さんと衣川亮輔さんもその5人の中の2人なのである。

 

 ★これはライブの場面ではない。ライブが終わって、応援団のみなさんが、ホントに大勢集まってくれた観衆に対してのお礼のご挨拶なのである。

緑ジャンパー喋っているのは、昨日もこのブログに登場した『さるとるさん』森田優さんである。

『さるとる ファイト! 三木が大好き 』という彼のブログをご覧になれば解る。

応援の仕方が尋常じゃない。

 

これだけ一生県命やって、お客さんが少なかったら・・・・・

私が、昨日ライブに出かけたのは、ライブが見たかったのではなくて、アレだけ一生懸命やっているのだからと、放っておけなかったのである。

壇上の一番左は、山田和広くん、『僕は一生三木にいます』 彼もまた熱烈なのである。

 

★衣川亮輔さん、三木別所出身とか。

彼のライブの間に何度三木の話が出たか、三木の歌も出た。

好感を持てた。

ツイッターも、Facebook もおやりのようだから、ネットの世界でなら応援しようかな、と思ったりしている。

 

会場にはいっぱい顔見知りの方もいた。

予想以上の人の入りだった。

さるとるさんのお礼の挨拶の最初の一瞬、感謝の想いが言葉ではなく、彼の態度で会場に伝わった。

 

言ってみれば『大したことではない』のかもしれない。

元々無料のライブだし、満員になったからどうということはないのだろうが、

一生懸命やった人だけが持つ『達成感』は、こんなことをやった者でないと解らない。

 

こんなのを満面笑みというのだろう。 満足感に満ち溢れている。

ホントによかったなと思う。

これは、衣川亮輔さんと話している池田博文さん

上の写真の女性も、お名前は忘れてしまったが、何度もいろんなところでご一緒している。

山田和広くんとも伊藤智寿くんとも話が出来たし、井上章二さん、茂木美知子さん、大西英樹さん、大眉均さんともお会いした。

みんな『三木が好きだ』と仰る人たちである。

 

★人はみな、それぞれいろんな『想い』を持って生きている。

『想い』が前面に出る人たちはいいな、と思っている。

そんな想いは、直ぐ解る。

衣川亮輔さんの『三木への想い』もホンモノである。

 

三木のどこに、そんな魅力があるのだろうか?

私自身も、さるとるさん達には到底及ばないのだが、『三木は好きである』

三木の自然もいいが、『そんな三木の人』にも、何となく惹かれているのかも知れない。

 

私の故郷、明石もいいまちだが、『こんな人たち』は残念ながら明石では知らないのである。

 

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『仕組み』雑感

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★橋下大阪市長が、最近よく口にされる言葉『仕組み』

今、日本中が注目の橋下さんだから、『仕組み』という言葉の意味も、もう少し世の中にきっちりと伝わっていけばいいなと思っている。

橋下さんは、大阪府知事以来、一貫して『新しい仕組み創り』に挑戦されているのであって、

『大阪都構想』などは具体的な案件ではあるが、そレは単なる通過点であるに過ぎないのだと思っている。

 

タテ型発想に凝り固まっている、今の日本の社会では、みんな個別問題に拘り過ぎて、全体が見えないものだから、

それに拘る人たちに対しては橋下さんから痛烈に『バカな学者やコメンテーター』と一蹴されてしまうのである。

『仕組み』ということがよく解っていないのだと思うし、

小さくても、大きくても、『世の中で初めての仕組み』など創ったことのある経験者は、そんなにいないので、未経験の学者やコメンテーターは、付いていけないのだと思う。 彼らの議論はみんな個別問題に対する論評ばかりである。

『仕組みづくりが出来る人』がエライとも思わないが、これを考えられるのは特殊才能だと思っている。

 

★会社勤めの40年間、そのほとんどを『仕組みづくり』ばかりをやっていたように思う。

 もう40年以上も前だが、東北で初めて二輪の営業を経験した時、当時の岩手カワサキは毎年ダントツの販売トップの金賞受賞県だったのである。

なぜ、岩手が全国のトップを続けていたのか?

当時の久保克夫社長の創り上げた『販売のトータルシステム』が、他県とは完全に差別化されていて、久保さん称する『日本のチベット岩手』が他県を抑えて、トップの実績を続けていたのである。

これが私の外部での『仕組みづくり』を学習した最初で、故久保社長は私の恩師だと思っている。、

入社2年目に当時米軍がいて、川崎航空機だけに存在していたIBMを使った償却計算システムを創り上げたら、償却計算をするために何人もの従業員のいた財産課は人員が余ってしまって、私は単車営業に異動になってしまった経緯が、『システム』との最初の出会いである。

昭和34年(1959)、未だ26歳のころ、50年も前のことである。

 

★元々、二輪の販売方式は、販売店のネットワークで売る『システム販売』なのである。

ホンダの発展を支えた50ccカブは、自転車屋をネットワーク化した、世界でも珍しい『委託方式という独特の仕組み』で売っていた。

カワサキが、50ccを止めて、中大型のスポーツ車に転じた時も、自転車屋中心の委託方式だったのである。

スポーツ、中大型車を売るために二輪専門店の販売網を、500店もあった自転車屋さん主体の大阪の販売網から、

たった25店の二輪専門店に、『その仕組みの再構築』をしたのは昭和47年ごろの話である。

 

★その後も、そんな『仕組み創り』ばかりやってきたのだが、

服部吉伸さんに出会って、『仕組み』とは、『システム』とは、ということを少しまともに意識し出したのである。

もう20年以上も前になるが、このような趣旨のことをその本の中に書かれてある。

非常に共感して、直接お会いして実際にいろんな面でお付き合いをさせて頂いたりしたのである。

 

流通業とは「自分の仮説の正当性を問うビジネスである。」
消費者の変化の本質を掴み、変化をどう自己の対策に置き換えるかと言うことが問われている。

システムとは手続き通りに仕事を進めてゆけば、意図した目的が実現できる仕組みでなければならない。

現在のシステムは単なるデーターのアウトプット体系に過ぎない。

仕組みを造るのは、非常に高度な仕事である。仕組みを造らずに放たらかしの形にして、創意工夫してやりなさいというのは酷である。損なやり方である。

システムによって組織が変わる。やがて販売最前線が力をつければ、現在の多段階の企業組織は短縮化ないしは簡素化される。極端に言えば二段階妥協しても三段階に簡素化すべきである。

 

★ 仕組みやシステムに対しては以上だが、『目指す目標』が自然に実現するものでないと、『仕組み、システム』と言ってはいけないのである。

『仕組み」や『システム』という言葉は、行政でも企業でもよく使われるが、組織を作ったり人事を決めたりして、お茶を濁しているのが殆どである。

だから、お金を掛けて、組織を作ったり、予算を掛けてハコものを作ったりしても、なかなか『目指す目標は実現しない』のである。

 

橋下さんの『目指す目標』は決して、大阪都庁を作ったり、自らが国政に乗り出したりすることでないのは、明らかである。

橋下さんの『目指す目標』はそんなことではなくて、もっと高次元なものだろう。

『何になりたい』のではなくて、『何がやりたい』はずである。

『仕組み創り』でホントに目指す目標が実現していくことは、何ものにも代えがたい『快感』を感じるものである。

 

★ずっと『仕組み造り』の成功の達成感も忘れられなくて、3年前に、

NPO The Good Times という『仕組みそのもののNPO』を作ったりした。

このベースになっているのが、現役のころ創ったソフト会社、『株)ケイ.スポーツシステム』なのである。

 

つい先日、『遊び半分ではいい遊びは出来ない』というブログをアップした。

それに対して、

大西宏 大西宏   いいお話だと思います 遊び半分ではいい遊びは出来ない   さんから

 

大西宏のマーケッテングエッセンス』なるブログをアップされている、マーケッテングのプロから『いいお話』と評価頂いて、大満足なのである。

日本の社会も、もういい加減に旧い仕組みの上に成り立った『力を合わせて頑張ろう』から、いい仕組みの上で『自然にその目標が達成する』

そんな『新しい時代の創造』に進むべきである。

『額に汗』も『頑張ること』も大事だが、旧態依然とした仕組みでは、その努力が報われない、『損なやり方』なのである。

ただ、『仕組みを造るのは、非常に高度な仕事である』と服部吉伸さんも言っておられる。

 

でも、誰かが挑戦して欲しいなと思っている。

 

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新しい若いトモダチ

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★ 今78才、3月を迎えると、79歳になる『おじん』のくせに、

ブログや、ツイッターや、Facebookなど若い人が群がるネットの世界にいるからか、

最近になっても、結構若い 『新しいトモダチ』が出来るのである。

 

息子の年代、40代を通り越して、30代や、20代の人たちとも、あまり拘らずに話が出来るのは、『私の特技』なのかも知れない。

年齢など、何の関係もないのである。そんなの意識するからおかしいんだと思ったりする。

 

★昨日も、お二人の若い方から、年賀状を頂いた。

ちょっとユニークな、有名人ではある。

お二人とも、NPO The Good Times の仲間なのである。

昨年、ひょんなことで、出会った。  多分、今年も何かと『繋がる』 かも知れないのである。

 

多分、このお二人にとって、私は、トモダチの最高齢だと思う。  その点は、ちょっと自慢である。

 

まず、お一人目は、

『左嵜啓史 Hiroshi Sazaki 』 さん、こんな方である

鈴鹿8耐の舞台に10年間立ち続けた。

 

 

昨年、最初の出会いは、『カワサキの想い出、そして未来』 年寄りも多かったが、参加してくれたのである。これが3月4日。

そして、2度目は、突然姫路から電話が掛って、今から行きますと三木に訪ねてくれたのである。7月9日のことである。

更に、11月には、袖ケ浦の『マル耐』で、出会った。この写真の中に3人もいるし、Bunny Beachも出店している

そのほかにも、カッコいい若手、いっぱいである。11月23日だった。

 

ツイッターやFBでは毎日、お会いしている。

滋賀の出身で、カワサキの宮本進君はよく知ってると言ってたので、てっきり滋賀にお住まいだと思っていたら、

年賀状の住所は、東京だった。

   

つい先日、 Bunny Beach のパ―ティーにも行ったというので、わざわざ滋賀からかな?と思っていたのだが・・・

 

Bunny Beach , ライダーたちが集うカッコいいcafeなのだが、今年はまた形を変えるとか。

関東のNPO The Good Times のメンバー達は、ここから巣立ったと言ってもいい。

先日の袖ケ浦の『マル耐』でも昼をご馳走になったのである。

 

左嵜啓史さん   こちらこそ、よろしくです。

 

 

★ もう一人、 久保田武蔵さんからも、年賀状が届いた。

この人とも、昨年11月、

袖ケ浦の『マル耐』で出会った。

     

全米総合格闘技チャンピオンである。

とても、そんな風には見えない、ナイスガイである。

そのホームページを見ると、その活動は誠に『多彩』なのである

 

★マル耐当日の写真から。左からホンダの渡辺さん、ホンダの現役岡部さん、久保田武蔵さん、そして さざきひろしさんである。

そのマル耐でお会いした、もう一人のライダー 

  

松下よしなり さん、彼もなかなかカッコよかった

今ちょうど、小林ゆきさんが『ロングインタビュー』中である

 

年寄りは、『最近の若いやつは』とよく言いたがるのだが、

『最近の若いやつは』どれも、なかなか、スマートである。

いろんなことがこなせる柔軟性を持っている。

一言で言えば、『多彩』『多才』なのである。

こんなのを、『タレント』 というのだろう。

 

そんな人たちから、年賀状が届いたりして、『このごろのおじんも、なかなかいい』と言われてみたいものである。

マル耐の写真からもう一枚。 左から、まっしまさん、武蔵さん、マル耐主催者丸山浩さん、そして雷神マッハ蘇原さん。

みんな、いいトモダチ、NPO仲間なのである。

 

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現役最後の半年、平成11年(1999)66歳

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★正確に言えば5月の末まで、長かった会社生活の最後の5ヶ月だった。

不思議なほど、細かくは覚えていないのである。若し日記がなかったら、いい加減な記憶しか残っていないのだと思う。

札幌の北海道川重建機には、2年という期限を切っての勤めであった。

これは川重からここに来た時の、高橋鉄郎さんとの約束みたいなものだったが、

こちらに来てみると、筆頭株主の丹野さんからは、何年やって頂いてもいいような話が出たりしたのだが、前年に『くも膜下』などにもなったし、会社の状況も2年間で、川重の事業部の人たちが望んでいたような体制にも多分なったと思ったし、川重建機側の方たちからも、『もう1期是非』などと言って頂ける状況にもなっていたので、自分の役目は果たせたと思っていた。

年初の挨拶では、今期で退任することにも触れた挨拶になったと思う。夜のパ―テ―では、特に若手の管理者の方たちから、『是非』と言って頂いたのが嬉しかたった。

後任を、かって二輪のアメリカ市場を一緒にやった高田さんを推したのだが、最初は年齢的に川重の規定では難しいなどと言っていたが、希望どおりになったのも、北海道川重建機が子会社ではなかったからだろうと思う。

元々いい会社だったのだが、独特の経営形態で、なかなか一般には馴染めない面もあったのだが、そこらあたりの言うに言われぬ難しさの対策が出来たのは、若いころ東北や北海道の自前の代理店経営を知っていたのが、大いに役だったのである。

特に、いい会社ほど独特の経営形態を持っているものである。跡継ぎがいれば何とかなるのだろうが、創始者が亡くなってしまうとなかなかその通りに続けるのは難しいので、新しい体制やシステムが要るのだろう。

あまりドラステイックなのもダメだし・・・  あとを引き継いでくれたのが、高田さんだったのでよかったと思っている。

 

★日記を読みなおしてみると、5月末の役員会、と株主総会まで、ずっとその後の体制整備の1点に絞って、社内に対しても、株主さんに対する説明など、いろいろやっている。

経営数値的には、十分大丈夫であったし、その年からの事業計画も全然問題なかったのである。

大まかな目途は全て付いていたので、この5カ月間に特に新しくやったことは殆どなかった。

 

前年の3月に『くも膜下』で1ヶ月半ほど入院したこともあって、それ以来家内は頻繁に札幌を訪れていた。

1月末〜2月15日

3月10日〜3月25日

特に4月は4月21日から5月の連休明けまで、ずっと札幌にいた。

1月末からは札幌の最も寒い時期で、雪まつりがある。5月の連休時には、札幌ー留萌ー稚内ー網走―釧路ー帯広ー札幌と4日間で1500キロのドライブで北周りの一周はしたし、函館や根室は別にまた連れて行ったので、北海道は殆ど行ったことになっている。

きっちり5月31日の株主総会まで、そして翌日は樽前CCでのゴルフは覚えていないが、日記を見ると優勝で終わっている。北海道川重建機に2年前来た時も、役員、株主のゴルフで始まった、最後もゴルフで幕を閉じたのである。

そして5日までに、家内と二人でもう一度樽前でゴルフをしている。この時期札幌は、桜が満開である。北海道神宮の桜も見事であった。

6月5日、午後エキスプレスの汽車の旅で、札幌をあとにしたのである。

 

★入社以来40数年間、15回ほど異動しているのだが、

よく一般に出される印刷した挨拶状は、公的な会社の総務が作るものは別にして、個人では1回も出したことがナイ。

現役の最後も印刷物はださなかたったが、お世話になったというか、自分で出すべきだと思った方には、全て封書の手書きのご挨拶状を送っている。

6月家に戻ってからの、最初の仕事がそれだった。

北海道川重建機は、2年しか勤めなかったのに、3年間顧問待遇で、札幌への旅費も負担して頂けるような配慮を頂いたのである。3ヶ月に一度中村記念病院への定期診断があったし、札幌に行った時は、いろいろ気を遣って頂いたものである。

そんなことで、たった2年の勤務であったような気がしないのである。

非常に、想い出多い、札幌の2年間であった。

 

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1999年後半、退職後の生活スタート

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★この年の6月から、人生で初めての退職後の自由な生活が始まった。

とは言いながら、この半年はまだまだ会社との関係は繋がっていて、殆ど関係の少なくなった現在と比べると全然異なるものだった。

 

札幌の中村記念病院まで、7月末と12月に2度、出かけている。

未だ顧問としての格が残っていて、出張扱いの札幌行きで、丁寧な会食、食事2次会付きの診察旅行だったのである。診断の結果は非常に良くて、次回は、5月末でいいということであった。

9月には北海道川重建機の30周年の社員の九州旅行があって、それに誘われた。

九州もいろいろ知ってはいるのだが、

観光旅行は初めてみたいなもので、ハウステンボスも雲仙も、長崎も遊びで行ったのは初めてであった。

30周年記念旅行とあって、その内容はなかなかのものであったし、従業員も全員参加ではなかったが、殆どがよく知っている人たちで楽しく過ごさせて頂いた。

川重関係でも

7月に高橋、田崎、西村、原田、松崎、朝田という最高の建機関係メンバーでわざわざ慰労会を舞子ホテルでやって頂いたりしたし、建機関係のゴルフコンペなどにもお誘い頂いたリしていて、まだまだ会社とは繋がっていた。

 

★退職したな、と実感したのは、保険の切り替えとか、年末調整とか、確定申告など、

こんなことは全く疎いのだが、総務というようなやってくれるところがないので、全部自分でしたのだが、それとて、川重建機の総務の近江谷君が懇切丁寧に教えてくれてその通りをやっただけである。

前年度の入院の際の費用は、100万円以上掛っていたのだが、申請したら半分以上戻ってきてビックリしたものである。

年金生活に入ったとはいえ、年金に加え、顧問料なども頂いていたので、それこそ何もせずにお金だけが入ってくる生活は、人生の中で一番豊かに思えた期間であったのかも知れない。

何もせずに、お金だけが入ってくるというのは、正直不思議な感覚であった。

 

★家の関係では、家内とあちこち出かけたり、

札幌に行ってた間止めていた鯉も再び飼いだしたのだが、小さな鯉を5万円も出して買ってきたり、結婚記念日の昼食に1人5000円のコースをとったりしている。

それも大したことないのかも知れぬが、現在はそんな贅沢をする心境にはとてもなれない。

習慣というのはオモシロいものである。

12月には車も買い替えることにして、いままで乗っていた5シリーズのBMWは娘に売って(やって)新しく3シリーズを買うことにしている。

これが今もなお乗っている車である。もう10年も乗っていることになる。改めて気づいて自分でもビックリしている。

10年も同じ車に乗るなど、現役時代では考えられなかった。

最近は、走行距離が殆ど上がらなくなったし、スピードも余りださないし、動けばこれでいいかという心境になっている。然し10年も乗るとあちこちは痛んでいて、あと1,2年のうちには買い替えなくてはいけないことになるのだろう。

 

★この年には、未だ生活の中に、パソコンのパの字もないのである。

現役時代から、パソコンは一切触らなかったし、携帯電話も会社が用意するからというのも断って、携帯は今は家にはあるが、持ち歩くことは一切ない。

ネットの世界など無縁の世界だったのである。

10年、一昔とは言うが、同じ退職後の生活ではあるが、全く現在とは、様子の異なる日常生活だったのである。

 

 

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