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樋渡啓祐さんの公演会

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★昨日は神戸元町、私学会館であった『樋渡啓祐さんの講演会』に行ってきた。

会合そのものは神戸リメイクプロジェクト主催で、樋渡さんをゲストスピーカーに招いての会合だったようなのだが、

私自身は、樋渡啓祐さんにお会いしたかったのと、この会合があることをFacebookで教えて頂いた橋本英明さん、にお会いしてみたかったので、

KANSAI GENKI! PROJECTを担当しておられる藤田修司さん(ぼっけもんの修さん) をお誘いして出かけたのである。

樋渡さんには久方ぶりにお会い出来てお話も出来たし、藤田さんを、樋渡さんにご紹介出来たので、それはそれで良かったのだが、

Facebook で「ふたばUST」という秘密の会(承認制の会)を主宰されている橋本英明さんにお会いできなかたのは、誠に残念であった。

 

会の後、藤田さんともお話が出来たし、目的の70%は達成できたと言うべきだろう。

 

 ★、樋渡さんに藤田さんと言ってもお解り頂けないのだが、『ぼっけもんの修さん』と言えば直ぐ思いだされたようである。

ブログで繋がっていて『武雄に遊びにいらっしゃい』などと確かコメントされていたような気がするのである。でも私とぼっけもんの修さんが繋がっているとは流石にご存じなかったようである。

名刺交換された後の写真だが、ぼっけもんの修さん、藤田さんも背が高い。殆ど、樋渡さんと同じなのには驚いた。

 そのあと、3人で写真を撮って頂いたが、ご自身の本、首長パンチを手にして少しかがんで頂いた樋渡さん、お陰で私もそんなに小さく見えずにすんだ。

これは、樋渡さんの講演会が終わってからの時間だったのだが、昨日の講演会の内容はどんなものだったのか、私なりに纏めてみたい。

講演会と言うよりは、『樋渡啓祐さんの公演会』と言った方がアタている楽しい1時間だったのである。

この3人、NPO The Good Times の会員さんで繋がっている。

私は、0001番だし、、樋渡さんにはNO.1118番をずっと取っておいたのを、今年さるとるさんが武雄旅行の時に届けて貰ったのである。そして、ぼっけもんの修さんにはご希望のNO.0524(確かお誕生日)の番号を差し上げているのである。終身会員だから、樋渡さんがどんなにエラクなられても、ずっと会員さんなので大丈夫なのである。

 

 

★樋渡さんの公演は、行政の長のモノとは、とても思えないものであった。。

用意された演台で話されることが殆どなくて、舞台を歩き回って喋りまくる『公演』そのものなのである。

 まず飛び出したのが、こんな数字である。1797 日本の市町村の数だそうである。

『日本には1797人の首長さんがいる』と言うことである。

その首長の権限は絶大で、首長が頑張れば『そのまちは間違いなく変わる』 まちが変わらないのは『首長がぼんやりしている』と仰りたかったのだと思う。

途中からは上着を脱いでの熱演になった。

どんどん取り組み、実行する、 反省しない、振り返らない。 前進あるのみ。

『反省しない』と言うのはオモシロかった。私の現役時代に1回だけ受けた性格テストで、『反省が足りない、反省しない』が極端に出て、そこだけが大きなマイナスだったのだが、、樋渡さんも同じなのかも知れない。こんな有名人と同じでよかった。

兎に角、行政も、大企業も計画ばかりに時間を使い過ぎると思う。いいと思ったらスタートする。走りながら考える方が実戦的である。樋渡さんと、極端に近い大阪の橋下徹さんも、同じタイプなのである。

物事が単に実現するのではなくて、『目指した目標、目的が実現する』やり方は、『走りながら考えるのがMUST』だと思っている。

物事の実現、例えば組織を作る、建物を造るなどは権限や予算さえあれば、さほど難しくなくて殆ど実現するのだが、

世の中で、『目指した目標、目的が実現することは非常に少ない』のもまた事実なのである。

大阪は目指す目標を実現するために、橋下さんは知事から市長になったのだと思う。

橋下さんの話もいっぱい出たが、私は二人のファンである。樋渡さん、折角神戸まで来ておられるのだから、雲隠れ中の橋下さんとお会いになればいいのに・・・・と思ったりした。

 

ここからはFacebookの話になった。

1000点の商品を平均10万円トータル10億円を売り上げようという、F&B商品の話は、非常に興味がある。

 

ほんのちょっとの雑談だったが、

武雄と三木は折角繋いで人事提携まで行ったのに、いまは切れてしまった。行政の間で繋がることはまず無理だが、『三木の商品でまた、繋ぎましょう』と言ったら『OK』だったのである。

そのうちに1000点の商品の内にわが町三木の商品も加わるように動けばいいなと思っている。

1000点は目標で、いま現実には2点しか商品はないのに、もうスタートしてマスコミがいっぱい広報してくれているのである。まさに走りながら考えているのである

 

★『時間がちょっと余ったので』、とこんな画面が出てきてビックリした。

2日前のこのブログで取上げた『瓦礫処理』と言う私のブログを、樋渡さんは直ぐFacebookでタグ付けして紹介頂いたのである。

樋渡 啓祐古谷錬太郎さんの雑感日記から。多くの皆さんが、私が提案した「震災瓦礫の 受入」に関して賛否両論をブログ等であげておられますが、その中 でもやっぱり鋭い。 瓦礫処理 - 雑感日記 blog.goo.ne.jp ★ 昨日は『瓦礫処理』について半日ぐらい考えていた。 なかなか難しい問題で、解決の方法は確かに大変である。意見がいろいろあることも解る。 解っていないことは言わない方がいいのかも知れぬが、思ったこと感じたことを率直に 述べてみたい。 スタートは、樋渡啓祐さん...

 

そのページをわざわざ取り上げて、めちゃ褒めて頂いたのである。

私がこの会場に来ているのは、百もご承知で、わざわざ『時間を造って』私のために説明、紹介して下さったのである。

 このあたりは、『阿吽の呼吸』みたいなところもある。

『瓦礫処理』の問題では、樋渡さんに対する非難も大変で、私はよく解ってはいなかったが、どちらかと言うと応援演説をしているのである。翌日、この会があることも解っていたし、『これは書くべし』と半日私なりにいろいろ調べて纏めたものである。

橋下さんも『瓦礫』受け入れ賛成である。難しい問題ではあるが、日本全体で引き受けるべき問題だと思う。勿論放射能が拡散しないことは大前提なのである。福島から300キロも離れた岩手県の瓦礫まで放射能にまみれているように言うのは、如何にも感情が先走っているように思うのである。

最後は、樫野孝人さんとのお二人のお話しで終わったのである。

 

会はその後も進行したのだが、私と藤田さんとは退席して、樋渡さんとの写真など撮ったりして、会場を後にしたのである。

楽しい『樋渡啓祐さんの公演』会であった。 

 

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モトショップシロタ & MJP

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★先月からNPO The Good Times の団体会員にカワサキモータースジャパンのOBの人たちの入会が続きました。

きっかけは、Facebookです。実名ですから直ぐ繋がります。Facebookのトモダチでは最近だけでもカワサキ関係の人たちと10人以上も繋がりました。

城田賢一さんも、そんな中のお一人です。

ご本人とは面識はありませんが、お父さんの城田さんとは慶睦会の東京で一度お会いしていますし、お店の方にも多分」伺ったことがあると思います。

先日、城田賢一さんから、Facebookのメッセージが届きました。

・・・・・うちの親父からのお願いで、ぜひ古谷さんにメッセージを送ってくれと言うことで、代筆させて頂きます。
うちの親父はスパナとドライバーの使い方は知っているのですが、パソコンの方はサッパリで、最近ようやくブログ等を見ることはできるようになりました。

親父が古谷さんの雑感日記を読んでいて、本人もカワサキの群馬営業所で営業マンをしていて、その後群馬県で販売店を開いたもので、時々ブログに出てくる、松井田サーキットの話では、当時のことを自分にもよく話してくれます。

また、そこで走らせる予定だったX11の方も親父はとても期待をしていたらしく、幻となったX11を何年か前に東京の藤木さんの所にあった物を譲り受け、今うちの姉妹店、セコンドマーノと言うカワサキの販売店に置いてあります。
その店も実はカワサキの群馬営業所の跡地で、営業所を閉める時にうちが譲り受け、建物はそのままで改装して、その中に展示してあります。
ご報告させて頂きました。
 

松井田も懐かしかったし、X-11はFiscoでクラッシュしたとばかり思っていましたので、現物があるとはビックリしたのです。

いまの現役の方は、ご存じない方も多いと思いますが、X-11は

ZX1100ccのエンジンを使用、排気量1052cc、最高出力160PS/10500rpm、
全長8000、全巾1640、全高1057、車重409kg
元F3チャンピオン佐々木氏は『限りなくF3に近い性能』と評価している。

などとかってのブログで紹介している。音もよかったし性能も抜群でした。当時TIサーキットなどで、走っていたのです。

このマシンの開発に携わっていたのが、山田浩平君で、そんな関係で若いころの山田君をよく知っているのです。 TIやSPA直入によくご一緒しましたし、運転させてもらったこともあります。山田浩平君、いまは川崎重工業の二輪部門の技術本部長をされています。そんなことで親しくさせてもらっていたので、彼はNPO The Good Times の会員さんでもあるのです。

 

 

★城田賢一さんに電話して、いろいろ伺って、NPOにお誘いしたら直ぐに入会されました。

モトショップシロタ、手広く国内4メーカーも外車も扱っておられるようですし、レースも通販もブログもお持ちです。

すでにブログなどは、NPOのシステムの中で毎日紹介していますし、ツイッターや、Facebook ページなどおやりのなれば更に活発に動きますし、

出来れば、特別プロジェクトを立ちあげられたら更に具体的に応援できると思っています。

 

先日、関東のNPOのメンバー達は、袖ケ浦のマル耐にThe Good Times Racingチームを組織して、参加したりしましたが、

来年は、更に活発な活動を目論んでいます。

モトショップシロタも、その輪の中での活動とともに、NPOのシステムを利用した独自の展開をされてはと思っています。

まずX-11の写真がみたいものです。

 

 MJP株式会社、貴宝石と言う石を扱っている会社です、

経営しておられるのは元KMJにいた、植村武君です。

植村君ともFacebookで繋がりました。

現役時代、直接関係は少なかったのですが、聞いてみると仙台にいたり、ジェットスキー関係もやられていて、私のあとを追っかけていたような職場だったようです。

そんな関係でいま、NPOの関東総括をやってくれている村島さんもよくご存じで、先日のマル耐にお誘いしたら、気軽に参加されて、1日お付き合いをしました。

 

これがNPO The Good Times Racing チームのメンバー達ですが、結構有名人もいます。

後列一番左が、NPO の関東総括の村島さん、ご存じインターナショナルトレ―デイングムラシマです。右から二人目が植村武さんです。そして一番右はかってのホンダファクトリーでNS500を担当したり、ホンダがMXを始めたころ吉村太一君がスズキからホンダに移籍したころチームにいた渡辺さん、今春の「カワサキの想い出そして未来」以来の再会です。

前列一番右は、雷神マッハの蘇原さん、このレースの言いだしべえです。そしてその隣は全米総合格闘技チャンピオン久保田武蔵さん。この日にNPOに参加されました。

3人目は90年代の鈴鹿8耐を何度も走った松島裕さん、NPOのホームページを担当してくれています。隣はTeam Green のかっての名監督平井稔男さん、そして私です。

このレースを主催したWIth Me の丸山浩さんも、NPOの団体会員です。

関東もいいメンバーが揃ってきました。来年はまた新しい仲間も増やして、オモシロイ展開が出来ればいいなと思っています。

 

カワサキの方もいいのですが、

どちらかと言えば丸山浩さんや、渡辺さんのようにカワサキ以外の方をむしろ大歓迎です。

先日のマル耐ではホンダ技研の現役岡部さんが参加されました。

コンセプト通り『異種、異質、異地域』の方、大歓迎です。

 

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平成9年(1997)前半、川崎重工業勤務最後の5ヶ月 64歳

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★この年64歳、6月で川崎重工の技監の職は退任で、あとどうなるかは解ってはいなかったが、不思議なほど気にもならなかった。

当時まだ4つほど仕事を持っていたのだが、

二輪車専門の自動車学校の設立は、1月末に大型免許の認定が下りてそれ以降は生徒の申し込みも多く忙しい毎日で順調だった。阪神ライディングスクールの有馬社長に援けて貰っての学校免許の取得であったが、この免許取得は普通ではとても取れない難しさである。多分これ以降日本で取得したところはないのではなかろうか? 二輪専門学校の免許をこれ以上出さないために造られたようなハードルの高さなのである。

関東のサーキット松井田は、3月10日に松井田町の議員総会も通り、川重サイドは3月19日の経営会議で26億円の建設予算とともに許可になり、一応の区切りも付けた。

ジェットスキーの関連でのヤマハさんなどとの業界団体PWSAの会長職は3月末を持ってヤマハの三浦さんに引き継いだ。

 

★もう一つ、ホンダの宗国さん(のち自動車工業会会長、当時副社長)や水島さんたちとで立ちあげてきた、二輪ユーザーが主体の団体二輪車協会(NMCA)も1月に設立され、動き出していた。この設立には結構力を入れて、何度もホンダの青山で、ホンダの企画の人たちと打ち合わせなどしたものである。水島さんには特にお世話になった。

いまはちょっと設立の趣旨とは違って『ユーザー主体の動きにはなっていない』のは残念に思っている。

NMCA のホームページの『設立の理念』にはこう記述されている。

人々の暮しが、豊かになるにつれ、時間的ゆとりや、心の解放、自然への関心が急速に高まっています。
二輪車は本来、便利な生活の道具としてばかりではなく、人に近く、また地球にやさしい遊びや文化としての楽しさを兼ね備えています。
このような時代だからこそ、人と社会に、二輪車の「夢」と「素晴らしさ」、「楽しさ」をもっと伝えたい。もっと分かちあいたい。

私たちはそう考え、国内二輪車4メーカーが発起人となって、1997年1月、NMCA日本二輪車協会を設立しました。
二輪車ユーザーと二輪車に関心を持つ人、二輪車販売店、卸、メーカーが一体となり取り組む、それがNMCA日本二輪車協会です。

二輪車の遊びや楽しさ、利便性や有用性、使い方の可能性を追求し、販売環境や利用環境の整備、社会へのイメージアップ、そして省資源や環境保護などへの対応、社会貢献、といった二輪車を取り巻くさまざまなテーマに取り組み、広く社会のお役に立ちたいと考えています。

いまNPO The Good Times では、二輪の分野ではこんなコンセプトを引き継いで、活動している積りなのである。

カワサキの想い出、そして未来』や、先日の『袖ケ浦のマル耐』などは、どちらもユーザーが主役のイベントだった。いつの日にかNMCAのお手伝いができたらと思っている。

 

★こんなことで、最後まで忙しかったのだが、

3月19日、東京で経営会議があって、松井田のGOが決まったその晩に、高橋鉄郎さんから家に電話があったのである。 

『建機の北海道の販社を2年ほど見てくれないか?』 と言うことだった。

当時、高橋さんは副社長で単車と建機を見ておられたのである。電話だったし突然の話だったので、中味もよく解らぬし、札幌に行くなら単身赴任と言う初めての経験でもあったので、その日は即答をしなかった。会社ではいろんな職場を歩いたが、いままでは言われたことは全て即答で『Yes』と応えているのである。

翌日から、いろいろ聞いてみると、6月からは田崎さんが単車と建機を見ることになり、建機事業の再建のために特に生産部門は単車から藤浦さんが行き、事業部長を大学の野球部の後輩の原田君がやるようである。

北海道川重建機と名前だけは子会社のようだが、子会社ではなくて地元資本の自前の会社なのである。どんな状況なのかよく解らぬが、これはなかなか難しそうなのである。昔は二輪も自前の販社はあちこちにあったが、時代は変わって販売会社は全てが直販子会社だから、自前の代理店など扱ったことがない人ばかりなのである。

自前の会社と言うだけで、非常に興味があったし、『原田君が是非』と言うので、数日後高橋さんには『行きます』とお引き受けしたのである。

『ホッと』されていたようだった。 

 

環境が変わると、直ぐそれに反応して、そこにハマってしまうのである。

4月からは、殆ど建機の販社に行くための準備に掛った。

札幌の会社は5月末の役員会で議決し、6月からと言うことだったので、それに向けてスケジュールを組んだ。

6月に退任したら、海外旅行でもと思っていたが、それも出来そうにないので、

5月の連休明けから12日間、ヨーロッパ旅行を計画して、帰ってから1回現地を見て、5月末からは札幌に行くということにした。

 

★会社を退職するのは初めての経験だが、そんな手続きは全て総務に任して、どのような形で仕事をするのかと言うことだけを考えていた。

北海道川重建機はオ―ナ―の社長が亡くなって、そのあと社長はおられたのだが、何故かその方が退任されるので、そのあとにと言う話なのである。

勿論、専務も常務もおられて、役員には川重から出向の取締役もいるのだが、専務、常務はタダの役員ではなくて株主でもある。そのほかに株主がいっぱいいて、強力な発言もあり、なかなか運営が難しそうなのである。

これはむしろ面白くて遣り甲斐があるなと思ったのは事実である。

高橋さんはそのあたりのことを心配されて、4月ごろには『技監のままで行くか』などと仰って頂いたのだが、むしろ川重は離れて、フリーの身分で行く方がいい思ったのである。

結果は、退職時期を1ヶ月早めて、5月末とし、初めての単身赴任経験となったのである。

 

なぜ、川重建機が、川崎重工に社長要請をしたのかは聞いていないのでよく解らないが、待遇は非常に手厚くして頂いた。

不思議なことだが、給与は川重の技監時代より多くなったのである。

クルマはトヨタ2800ccの4輪駆動の新車を、『運転手を付けましょうか』と仰るので、それは『お断りをした』  クルマは自分で運転するものと思っていたし、運転は好きだったのである。

家は札幌は支店長などの単身赴任者いっぱいのまちで、そんな人専用の2食付き24時間大浴場の風呂が沸いている豪華マンションを用意してくれたのである。

駅や繁華街も直ぐ近くの最高の立地であった。

『運転者を付けましょうか』と仰るのもよく解った。出勤時間には、マンションにはお迎えのクルマが列をなすのである。そんな人たちばかりが住んでいた。

 

5月末まで、実際の勤務までにそんなことぐらいは解ったが、会社の中身などは全く調べずに現地に行ってからと言うことにしたのである。

 

★そんなことで川崎重工の明石工場での最後の5カ月間は、結構バタバタして実質明石に出社したのは4月末までで、

二輪車の最後の会議は、東京での二輪車協会の会議が最後となった。宗国さんが気を遣って頂いて、最後に挨拶の時間を取って頂いたのである。

サラリーマン40年間の殆どを二輪事業の中で過ごしたが、その最後が自ら起案した二輪車協会での会議で最後の挨拶が出来たのは、ホントに自分らしくてよかったと思っている。

40年間の殆どを、自分の思うことが出来たのは、サラリーマンとしては最高に幸せであった。

そして、そのほとんどの期間が、『経営』に関することだったのは、二輪業界と言う世界の各地で事業を展開するビジネスだったからである。

規模はともかく、ずっと経営者をやってきたようなものである。これは私だけではなくて、当時の人たちはみんなそんな環境だったし、『係長の社長』はそんなに珍しくはなかったのである。

 

★家では、娘に2番目の子供が1月に生まれたりした。

早産になるかもと一時入院などして心配したのだが、無事生まれて何よりであった。

5月4日、世の中はみんな連休で帰国ラッシュの最中に、ヨーロッパ12日間のツアーに出発した。家内との海外旅行は2度目だったが、ツアーは初めての経験であった。

前回のオーストラリアは、レンタカーを借りて、自分の行きたいところを地方まで見て回ったのだが、ツアーは予定通り、イギリス―イタリアードイツースイスーフランスとのんびりした旅であった。初めての国はイタリアだけだったのだが、イギリスも、ドイツもスイスもフランスも名所、旧跡はこの旅で初めてのところばかりだった。

何度行っても、仕事での出張では、なかなかいいところには行けないものである。

 

この年前半の5ヶ月、何かばたばたしているうちに過ぎてしまったのである。

6月からは、札幌で全く新しい経験が始まったのである。

 

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笑売繁盛株式会社の事務所でお会いした3人

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★昨日の朝、もうひとつのブログでこんなことを書いている

昨日の1日いろんなことがあった。全部繋がっているいようで、独立した話でもある。

昼間は、神戸に、橋本英明さんを訪ねた。

訪ねた会社が『笑売繁盛株式会社』でその事務所で2時間ばかりお話をした。

橋本英明さんだけではなくて、笑売繁盛株式会社の代表取締役の桶下真理さんもおられたし、

途中から、東京から来られた『コンサート&イベントプロダクションの代表Director の南出 卓さんも加わって、

主としてこちらからNPO The Good Times に関する話をあれこれとさして頂いたのである。

 

★橋本英明さんとは、Facebook で繫がったのだが、その真ん中に武雄市長の樋渡啓祐さんの存在があったのは確かで、お会いさえすれば多分意気投合するであろうことは、カンで間違いないと思っていた。

場所は笑売繁盛株式会社でと仰るものだから、その会社のことも一応はチェックした。多分桶下真理さんともお会い出来るものと思ってそのあたりも・・・・・昨今の検索はよく出来ていて、殆どのことがネットで調べられるのである。

 

★まず最初に話題に出たのが、武雄のレモングラスである。話はよく聞いて知っているが、現物を見るのも初めてである。袋は3つあって、『どれがいいですか?』と仰るのである。

確かもう一つの黄色い袋のモノを開けて、そのお茶をご馳走になった。味の方よりも値段が気になって『お幾らぐらいですか?』と聞いたらもうひと袋と大きな予備袋みたいのがあって5000円ぐらいとか仰っていた。 

値段のことなので、ちゃんと調べてみたら3つセットで2000円となっていた。

 

NPO のカードなどに非常に興味を持たれて『これは具体的に進むな』と確信したものだから、

予定を変更してNPO The Good Times のシステムのことや、いま動いている『粟生線の未来を考える市民の会』などについても、どんどんこちらからお話ししたのである。

 

まず、『100人の共感者を集めよう』としている『粟生線問題』を持ち出したら、3人とも1000円の入会金を即座に出して入会頂いたのである。

 そんな雰囲気だったので、NPOのシステムについても、団体会員に入会、且つ特別プロジェクト申請が出る展開になる前提で、どんどん話を進めたのである。

 

★そんなに詳しくは聞かなかったが、桶下さんや、橋本さんが展開しておられるプロジェクトは、ネットがベースだし、NPO The Good Times のシステムを利用されることで、

よりスムースに、より大きく展開出来ることは間違いないのである。

 

神戸では、『孫文を語る会』が既にスタートした。

ぼっけもんの修さんの『KANSAI GENKI! PROJECT』 も立ちあがったし、『CUSTOM INFECTION』のネットのプロ綿谷さんも神戸である。

橋本英明さんは『神戸ランチ学会』を主宰されている。

『笑売繁盛株式会社』は神戸である。

 

今まではどちらかと言うと三木などでの活動だったが、来年は『神戸進出』が一つのテーマになるかも知れない。

 

★お会いした3人

橋本英明さん。 こんな方である。

頂いた名刺には、『笑売繁盛株式会社 ちゃれんじ課』とあった。

樋渡啓祐さんが学会長を務めるツイッター学会の神戸での代表みたいなこともおやりだし、

神戸ランチ学会』を主宰されている

 

途中から参加された、東京から来られたコンサート&イベントプロダクションの代表Directorの南出 卓さんは、

今月17日に、神戸で、Bloom の関西デビューを果たされるとか。

神戸ランチ学会のウォームに紹介されている。

 

今年6月にスタートしたばかりの笑売繁盛株式会社の代表取締役の桶下真理さん始め

3人ともNPO The Good Times の個人会員にまず参画頂いたので、そのカードをお渡ししてきた。

 

 

 

また、新しい強力なオモシロイ仲間が加わった。

来年の神戸が楽しみである。

 

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昨日は、昼寝をしました

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★最近昼寝などしたことはないのですが、

昨日は3時半ごろから、寝てしまいました。

前日、神戸に慣れぬバスと電車で往復して、夜は三木であった『粟生線の未来を考える会』で遅くまで熱心な議論をしていましたので、疲れたのか寝不足になったのだと思います。

 

昨日のFacebook は賑やかでした。

一つは『粟生線の未来を考える市民の会』がめでたく共感賛同者100名の目標を達成して、準備会から正式にスタートしたからです。

『粟生線の未来を考える市民の会』ページはこんな賑わいでした

世話人代表には、山本医院の山本篤先生に決まりました。

事務局はe-音楽@みき の小巻健さんが引き受けてくれました。

お二人ともNPO The Good Timesの団体会員さんです。

ちなみに、100名の賛同者の30%ちょっとがNPO The Good Times のメンバーです。

 

もう一つ

『笑売繁盛株式会社』関連も、Facebook 上でいろいろありました

 

いろんな現実にあった事柄の反応がどんなものだったのか。

何となく感じられるところが、ネットのよさだと思っています。

Facebook 上で新しいトモダチも沢山増えました。

 

松崎由さん、一昨日夜、『粟生線廼…』の会合で、初めて出会いました。

たまたま私の隣の席で、初出席でしたから発言は遠慮気味でしたが、発言のベースにある発想には共感するところ多かったので好感を持っていました。

会が終わってから雑談していたら、音楽、でギターをやってるというものだから、

『甥っ子が元町でTONE BLUEと言うギター専門店をやってる』と言ったら、『TONE BLUE知ってます。好きな店です。』などと仰るものだから、

NPO The Good Times にお誘いしたら、直ぐ入会されました。

TONE BLUE もNPOの団体会員です。

そして昨日、Facebook でも友達になりました。まだ、20代の好青年です

 

 

★一昨日は、ホントにいろいろな出会いがありました。

昼は西元町の『笑売繁盛株式会社』夜は『粟生線の未来を考える市民の会』でしたので、往復とも公共交通機関を遣いました。

往路は神姫バスと三宮から阪神電車。 こちらは640円と120円。時間は1時間。但しバスは無料券を持っていますので実質120円でした。

復路は、神戸電鉄に乗ってみました。

40年間近く三木に住んでいますが、神戸電鉄に乗るのは多分5回ぐらいです。特に神戸から三木はこれで2回目ぐらいかも知れません。

全く初めてみるような光景でした。

昼間と言うこともあって、乗客はこんな程度です。

社内にはこんあな中づり広告も見られました。

この中にあるように

『クルマやバスの代わりに少しずつ粟生線を利用・・・・』と言う趣旨にはあったのだと思います。

西元町から緑が丘まで運賃は660円。家までの時間は1時間半でした。

 

そんなことで、珍しく昼寝などしたのかも知れません。

 

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徳島県のIT戦略

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★NHKの番組で、過疎地の徳島にIT企業がやってきた。

という報道が流れた。

 

この写真は、NHKの松山放送局

「IT企業 農村へ向かう」

〜「ひかり王国」徳島の実験〜

過疎に悩む徳島県の山村が、東京のIT企業から注目を集めている。神山町には企業向けのシステム開発を行うIT企業が、サテライトオフィスを開設した。実は意外にも徳島県の山間部は、全国の中でも際立ってインターネット環境が充実しており、それを求めてわざわざ都心から企業がやってくるのだ。なぜ四国の山間部に充実したネット網が整備されているのか、さらにIT企業の進出によって地域はどう変わるのか、その展望を探る。

 

 川で仕事をする、神山町に進出した東京のIT企業社員

 

★この番組そのものではないのだが、この報道の延長を夜の9時台の全国放送で、取り上げたものだと思う。

昨日のの番組では、確かに川でパソコンを開いている写真もあったが、

古民家をオフイスにしてそこにいっぱい社員が仕事をしている姿が報道されていた。

検索の仕方が悪いのか?  

2011年11月4日(金) 19:30〜(再)5日(土)10:05〜

に放送された、このサイトはは見つかったのだが、昨日の番組の古民家がIT企業の事務所になっている記事や写真はみつからなかった。

 

ネットの世界は、どこにいても同じだというのは、実感としてよく解る。

東京の高いオフイスで仕事をするのも、徳島でやるのも同じだし、光のネット網が徳島県には張り巡らされていて、都会のように混まないのでスピードが断然速いなどとも言っていた。

調べてみたら、多分この記事の会社だろうと思う。

 

 

徳島県神山町とはこんな立地である。その位置から見ても間違いなく過疎だろう。

 

 三三株式会社のサテライトオフィス「神山ラボ」

三三株式会社は“名刺から新たな価値を引き出し、働き方に革新を起こす”という理念を体現するべく新しい働き方への様々な取り組みを行っています。

その1つとして徳島県神山町の古民家を再利用したサテライトオフィス“神山ラボ”を開設。2011年8月より正式運用を開始しました。

2010年10月にスタートしたトライアル期間以降、エンジニアをはじめマーケティング部、管理部の社員等延べ20名以上が「イン神山」し、新しい働き方として注目を集め、町おこしに貢献しています。

■ 神山とは
徳島県の徳島市から西へ30Kmほど山に入ったところにある、すだちと梅が特産の町。四方は山々に囲まれ、おいしい空気と水、そして温泉のある町です。
徳島県屈指のパワー&ヒーリングスポットといわれており、とにかく空気と水がおいしい。徳島市内からもそんなに遠くなく(車で40分位)田舎暮らしビギナーにはもってこいの場所です。

と紹介されている。

 

★上の記事は、この会社の情報発信だから、よく書かれているのは当然だが、

過密と過疎の現状は、ちょっと行き過ぎているし、このような取り組みは、一つの解決の方向であることは確かである。

更に、日本のIT化戦略としてはベースがあって、徳島県はそれを一つの方向として取り組んできた成果のようではある。

IT化は、もはや避けては通れない世界の方向である。

ならば、全ての行政はより積極的なIT化を進めるべきではなかろうか?

 

佐賀県武雄市のようなところもあるが、一般に役所も、企業もIT化に及び腰である。

未だにFacebook すら見ることのできないオフイスがいっぱいある。

解放したら、従業員が仕事を放り出してそちらの方に行ってしまうという性悪説からなのだろう。

従業員も信頼できないようなトップの下では、例え優秀な従業員でも実力発揮など出来ないだろうと思う。

川の中がオフイスと言うのは、ちと極端かも知れぬが、どこにいてもちゃんとした仕事が出来る世の中に変わりつつあるのは確かである。

 

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北海道札幌の2年間、平成9年(1997年)6月から

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★昭和32年(1957)川崎航空機に入社以来、ちょうど40年間、カワサキの二輪車を中心に勤めてきたサラリーマン生活もこの年の6月で退職卒業をした。

この年の6月から2年間と言う約束で、札幌に単身赴任と言う初めての経験で赴任したのである。

この時の身分は、川重は退職しているからフリーである。

確かに川重の関係会社ではあるのだが、子会社ではない札幌の地元資本の会社である。そこの経営をと言われると、どの立場でどのようなスタンスで臨むべきか?

なかなか難しかったのである。

 

北海道川重建機、こんな会社である

このホームページの写真にあるような建機の販売会社なのである。

昭和44年設立で、札幌の南、北広島市にある。

従業員は約200名、道内15か所に支店があり主として川崎重工製の建設機械の販売に当たっていた。

 

この会社の設立、オーナーであった丹野さんが亡くなった後、社内から社長を引き継がれたのだが、その方が退かれてその社長を川重に求められたのである。

自前の独立会社の経営は、いろいろと歴史も社風もあり、メーカーの単純な子会社とはちと違うのである。

役員の方々も、この会社の経営者であると同時に株主でもある。

 

現在、代表取締役をされているお二人、丹野さんと、大滝さんは、その当時も役員としておられた方である。

一言で言えば、優良会社である。

優良会社であるがゆえに、メーカーの子会社になっていないとも言えるのである。

 

そんな会社で、ちょうど2年間お世話になった。

お世話にもなったが、ちゃんと自分なりに、自分なりの経営をさせて頂いた。

全く未経験の分野であったが、私なりの行き方を貫いて、何とかなったからオモシロかったとも言えるのである。

 

★いま代表取締役をされている大株主の丹野司さんからは、就任してすぐ『社長は何年やっていただいてもいい』などと言って頂いたが、単身赴任であったし『約束通り2年で』と言うことでスタートしたのである。

単身赴任も初めて。

札幌も、北海道も初めて。

二輪一筋だったので、建機などの業界は初めて。

自前の会社の経営も初めて。

と言う『初めてづくし』で大変と言えば大変であったのだが、2年間と言う期間でもあったし、

初めから、勉強などしていたら、勉強期間の内に終わってしまうと思ったので、新しいことは全く勉強しないことにして、全て『私の流儀で』押し通したのである。

 

『私の流儀』とは、『世の中の常識で普通に考える』ことである。

『北海道では』『この業界では』『北海道川重建機では』と世の中でよく言われることは、自分に都合のいいように言っていることが多くて、そんなに正しくないことの方が多いものである。

二輪の世界にいた40年間も、そんな風習みたいなものを全部ひっくり返して、新しい仕組みを造り続けてきたのである。そのベースは全て『常識で考えた』のである。

だから、それで、通用するはずだと思っていた。

2年間、建機の世界にいたが、取扱商品の機種や名前や仕様などは極力覚えないように努めた。

個別の営業取引などにも一切口を出さなかったし、よほどのことがない限り取引先なども訪問しなかった。

 

じゃ何をしていたのか?

と言われると困ってしまうが、何となく気分よく過ごしてきた2年間であったが、社内の空気はちょっと変わったはずである。

私の次に、また川重から社長がスムースにやれるような雰囲気にはなったはずである。その後実際に2人の社長が川重から出たのである。

そんなに、煙たがられたり、嫌がられたりせずに、楽しく過ごせた2年間であった。

考えてみるともう10年以上も前のことだが、いまだに年賀状も頂くし、想い出多い札幌の2年間だったのである。

 

★たった2年間ではあったが、いっぱい経験したし、北海道で感じたこと、札幌ならではのこといっぱいある。

このブログの中にも、

『北海道&建機』と言うカテゴリーを作って、15回ほどいろんなことをアップしている

今回の『自分史』も時系列に言えば2年間だけだが、

2年間の内に感じたこと、思ったことなど、『自分史』の立場で書いてみたい。

何回になるのかよく解らない。

思いつくままに、いろんな観点から、書いてみたい。

 

★まず、『雪国』 『北のまち、北の国』のことから、

子供の頃、小学生6年の冬まで、朝鮮京城、今のソウルにいた。

冬は寒いのが当たり前であった。その寒い冬を経験できるということに不思議な期待感があった。

 

その後若いころ、30代の頃、仙台に4年いて東北の冬は経験した。

この4年間も、想い出多い4年間だし、更に寒い北海道の冬、まさに雪国での生活は、ソウルでも仙台でも経験したことのない初めてのモノだった。

6月に赴任した時に、北海道の広さと夏の爽快さにあこがれて、一戸建ての社宅を希望したら『トンデモナイ』と反対されたのである。

札幌の雪は、経験してみてそれは大変であった。

マンションだから『雪かき』は不要だが、これが1戸建てなら、毎日雪かきするだけで終わってしまうほど雪が降るのである。

その除雪がまた徹底していて、そのために雪かきの建設機械が北海道中で必要なのである。

そのために、国の予算で各地で建機の注文が入ったりするので、北海道川重建機の経営は、本土のあたたかい地域に比べて圧倒的に有利なのである。

 

北海道の除雪のエネルギーは半端ではない。札幌のまちなど幾ら雪が降っても、メイン道路に雪はないぐらいの除雪なのである。

東北での4年間も雪道走行はイヤと言うほど経験した。

雪道走行では怖い思いを何度もしたが、この札幌ではそんな経験は全くなかったのである。

4駆のクラウンの想い出』と既にブログをアップしているが、

クルマの性能も、タイヤも30年の年月では、想像できないほど進歩するものである。

 

札幌の冬は寒い。寒いというより外は刺すように冷たい。

然し部屋の中は、逆に無茶苦茶温かい。

2年間、殆どオーバーを着ることなく生活できたのも、外にいるのはクルマの外にいるときだけだからである。

2年間、冬に外を歩き回るという経験は殆どしなかった。

 

冬になると、人生3度、寒地で過ごした冬が懐かしいのである。

 

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札幌でのゴルフ、自分史

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★札幌の2年間、結構ちゃんと仕事もしたと思うが、人生で一番頻繁にゴルフもした期間でもある。

年間ゴルフの回数が50回を超えたのはこの2年間だけなのである。

 

40年間勤めた二輪業界は、日本の企業の中での交際費の比率が極端に少ない業界ではなかろうか?

川崎重工業の他の事業部の交際費の使い方を見てビックリすることも多かった。

私が現役のころは、一般に今よりは交際費については、緩かったし、確かに社内での飲み食いも交際費で落とすことも多かったが、その頻度も行き先も大したことはなかったのである。

ただ、交際費の費目で処理されるデ―ラ―ミーテングなどは何百人もをホテルに集めて行うので一晩で国内でも何千万円、アメリカなどでは億の単位で掛ったりするのだが、所謂日本的な交際費の額はしれていたのである。

 

札幌の新しい会社に行ってビックリした。

まず、タクシーのチケットを1冊渡されたのである。タクシーのチケットなど使ったことはあるが、多くても月に1、2度ぐらいのことであった。

クルマはトヨタ2800ccの4輪駆動の新車を準備してくれていて、自分の足は基本的に大丈夫なのに、タクシーのチケットが1冊も要るのかと思ったが、私だけでなく役員さん達はみんな1冊単位で持っていたようである。

会社で殆どの人が社用車をあてがわれているのだが、それでもタクシーのチケットが要るということは、それだけ夜飲む回数、機会が多いということなのである。それが普通の業界であった。

札幌には有名な歓楽街、『すすきの』があって、いつも賑やかだったが、そこへ通う頻度も毎晩と言うのもそんなに珍しいことでもないようなのである。

更に、ビックリしたのは、定時まで会社にいたら『3時ゴロでどうぞお帰り下さい』と言われたりしたのである。

これにはビックリしたが、このあたりが幾つもの会社の社長をしているオーナー社長は、朝から晩まで同じ会社にずっと居たりはしなかったのかも知れない。

以前の社長さんもそうされていたようである。

会社の社長室も誠に立派であった。

そんなに事務所自体は大きくないのに、社長室の広さは事務所の半分ほども締めていて、役員会など社長室の中で十分できるのである。

 

 

★業界が変われば、或いは自前の会社のトップとは、こんなものかと驚いたものである。

2年間、飲み歩いたりはしなかったが、ゴルフだけは週に3日の割でやっていた。

初めて出た会社の役員会が、朝からのゴルフでスタートしたのである。役員さんとの初顔合わせはゴルフ場だったのである。ゴルフがそこそこ出来たから、役員さんがたも一目置いて頂いたそんな感すらあったのである。

 

ただ、札幌のゴルフのシステムは、非常に上手く出来ていて、毎日ゴルフをしていても大丈夫のようなシステムなのである。

札幌は支店長文化が発達した町である。国の出先の開発局などもあって、まだ当時はそのあたりとのゴルフも、すすきの接待も大ぴらな時代であった。

北海道のゴルフは、本土と違って朝スタートすると18ホール回ってしまうアメリカスタイルである。従って12時ごろまで上がると風呂など入らずに直ぐパ―ティー、まちに近いゴルフ場が多いから2時ごろには出社できるのである。

だから、毎日ゴルフをしていても支店に戻って決裁印などは大丈夫なのである。

企業や団体がメンバーのゴルフ会が幾つも形成されていて、その会には年会費の名目で会費が、例えば3万から5万円が納入されている。

そして会員企業主催のゴルフコンペが次々に開催されるのだが、主催者はゴルフ場のセットとと案内だけで、参加者はプレーフィーは全て自己、自社負担、ただ商品代はゴルフ会に支払われた年会費でそこそこ賄われるようである。だから参加しないと年会費を払う意味がないのである。

そんなゴルフコンペが週に何度もあるので、それに出席していたら年間50回を超えてしまうのである。そして賞品は商品券の場合も多いので、ゴルフで遊ばせて貰って小遣いを貰っているようなものである。

11月から3月まで冬の間は、そのゴルフも出来ないので、4月から10月のシーズン中のゴルフに懸ける意気込みはとても本土とは比べ物にならない熱っぽさなのである。

★この写真は、樽前カントリー、背景の山が樽前山である。

川崎重工業系列のゴルフ場で、当然メンバーになっていたし、よくプレーをさせて頂いた。

OBをするのが難しいほど広い、且つ長い。

 

北海道の芝は独特で柔らかいから、ボールが沈んでしまう。リプレースしてもボールが浮いた形には決してならない。

アイアンはきっちり打ち込む本来のスイングでないとボールは上がらない。だからかも知れぬが北海道の方は総じてゴルフは上手い。

コンペの成績表もグロスが3ケタが殆ど居なくて、2桁ばかりが殆どなのである。

当時はまだ、80台が普通で、たまには70台も出るゴルフだったから、結構賞品も頂いて、いい思いをさせて頂いたものである。

 

冬は、コースには出られないので、みんな練習場に通う。練習場はどこも満員だった。

練習ばかりではオモシロくないと、遠征ゴルフの計画が組まれる。本土に行くよりはグワム辺りの方が安上りとの理由で、グワムへのゴルフ旅行にも連れて行って貰った。

そんな計画は、社長決裁ではなくて、当然のように計画され、当然のように行われるのである。

そんな協働関係が、上手く業界の間で出来あがっている北海道であった。

 

★国の管轄でも、北海道と沖縄だけが特別である。

北海道の開発局とは建機業界は密接に関係がある。

各社当然のように、開発局からの『天下りの方』が来ておられる。

今は、どうなっているのか知らないが、

二輪業界でも自動車学校の中枢には警察から必ず人が入っている。

仕事をせずにタダ大金を貰っている高級官僚の天下りはともかく、私が知っているレベルの方たちは、やはりそこに居て頂くと、日常の仕事がスムースなのは間違いない。

 

北海道川重建機にも、そんな方が一人おられた。その辺の話は次回に。

 

 

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札幌での仕事、自分史

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★昨日は札幌の2年間、毎年50回以上のゴルフをしたという話を書いた。

確かにゴルフもしたのだが、遊んでばかりいた訳ではない。当然のことながら仕事も私流ではあったが、それなりにちゃんとしていたのである。

と書いたが、『じゃ何をしたのですか?』と正面切って聞かれると、困ってしまうようなレベルの仕事ぶりだったかも知れない。

当時のメンバーは多分、まだ北海道川重建機で、中枢として活躍されているはずだし、ひょっとしてこのブログを読まれるかも知れないので、あまりいい加減なことも書けないのである。

それでも書こうとするところが、私の厚かましいところで、それをお許し頂いて、思うところを纏めてみることにする。

 

★私自身は、会社勤めの殆どの期間をカワサキの二輪事業の企画、マーケッテング、広報、レースなどの分野を担当してきたので、この分野については、そこそこのプロだと自認している。

そんなことから、『マーケッテングの専門家』を認めて頂いて、川崎重工業で初めての『事務屋の技監』の地位を頂いたのである。

建機事業など全く解らないし、特に技術分野には弱いので、今更新しい商品など覚えてみても、中途半端になることは目に見えていた。

従って敢えて一切建機の専門的な分野は覚えないことにしたのである。2年間いたが商品が何機種あるのか?その名前は?その価格は?などと聞かれても一切答えられない社長だったたのである。

最初に思ったのは、200人近くもいる従業員を覚えきることも難しいだろうが、

『兎に角従業員からは信頼される』=『社長としての発言を信頼して聞いて貰える』ようにならぬと、どうもならないと思ったのである。

そのためには、この会社のオピニオンリーダーは誰なのか?  オピニオンリーダーとは、別に職位の高い人ばかりではないのである。何となく『その人』の言うことは世の中で『正』として、受け入れられる『人』はどこの世界にも存在する。そんな人たちは、極端に言うと社外の人でも、社内の人に影響力を持つ人ならいいのである。

そんな目で見つめると1ヶ月もすれば、いろんな候補者が見つかった。そんな人たちと雑談をして納得して貰って仲良くなると、噂はどんどん広がるはずである。

ましてや、『今度来た新しい社長は?』はサラリーマンにとって格好の話題のはずである。

そんなマーケッテングの広報=PR=Public Relation=いい人間関係づくり は私の専門分野なので、2ヶ月で大体社内では私の意見は聞いて貰える雰囲気にはなったと思っている。

 

★全くの私流で押し通した。建機の話は殆どせずに、二輪車のことばかり話していた。経営の管理手法も徹底して二輪車流に切り替えた。

それが出来たのは、経営の諸管理システムも、部品の管理システムも、マーケッテングも、二輪車業界の方が間違いなく進んでいたからである。

経営数値などもすべての資料をトレンドの解る移動値方式に切り替えたが、それは管理担当の佐藤君がホントにその気になってくれたから出来たのである。

幸運もあった。

この会社には川重の建機事業部から営業の役員で花房君が出向してきていたのだが、彼は大学の後輩で、それも野球部の後輩だったのである。初めて会っても野球部の後輩となるとこれは遠慮なくモノが言えたし、花房君もそれなりに応えてくれたのである。

この会社は道内に15か所近い営業所があって、そこを統括しているのが営業部なのである。その営業部のNO2の位置に彼がいたので、営業のことは各地に聞かなくても彼に聞けば大体解ったのである。

当時、この会社を切りまわしていたのは専務の中本さんで、この人が実質社長みたいなものだった。独特の雰囲気を持っていたが、会社の内容の把握は他の追随を許さぬ高いレベルだった。設立当初からいる『北海道川重建機の辞書』みたいな人だった。

数カ月はずっと中本さんと行動を共にするように務めた。幾つもの営業所を訪ねたが、そこまでの車中での中本さんとの会話は、最も貴重な情報源だったのである。

北海道は広い。

殆どの移動がクルマだが、函館や道東の北見などには、女満別の空港まで飛行機だった。

従来社長が独りで移動する時は、空港まで車で出迎え、北見営業所から、釧路営業所などへの移動などは、両営業所の所長が美幌峠まで送迎して、社長の受け渡しをするなど大変なのである。

このあたりも二輪車流儀に改めた。海外出張でも空港でレンたーカーを借りて自分で運転して行動するのは常識なのである。

初めての北見と釧路への出張も空港などへの出迎え不要、レンタカーを借りて自分で行くと言ったら、それだけでビックリしてくれるのである。6月初めだったが、釧路に行ったら、朝ストーブを焚いていたのには、こちらがビックリした。

 

★まあこんな具合で、北海道川重建機の人たちとオモシロく付き合えた。特に中堅クラスの若手所長クラスとは直ぐ懇意になった。

そんな中に、一人異色の方がいた。札幌の開発局から来られた松田さんである。

営業部に所属していたが、地位も高く勿論給与もそれなりの待遇なのである。

建機の中でも除雪機械は主力商品で、毎年秋口には全道あちこちでの開発局扱いの除雪機の納入がある。この配分台数や価格やその他いろいろ、松田さんがおられるだけで上手くいくようである。その内容は私は一切覚えなかったので解らないが、どこの会社にも松田さんのような方はいて、現役の開発局との連絡等一切を切りまわしているのである。営業と言うより一種独特の専門分野なのである。別に営業に居なくても川重建機に松田さんがおられたら、機能するのである。

 

15もある営業所の管理は、営業分野が大半ではあるが、そのほかにも総務も経理もいろいろある。

扱う商品が大きいから地方の営業所と言ってもなかなか立派で広大なのである。

そんな営業所などの統括も含めて、会社の企画総務機能が貧弱だった。

企画部門を新設して、その長を松田さんにお願いしたのである。

開発局から来られているから、資質は十分なのである。企画部門が出来てから、人事総務も事業計画も従業員の賃金体系なども従来のモノがダメだったわけではないのだが、手抜けになった部分が全て繕われて会社らしくなったと思っている。

松田さん自体も、お持ちになっている能力を十分に発揮されたのだと思う。私が2年間でやれた仕事で幾らか形にして残したのはこんな事だったかも知れない。

開発局から来られた方は、『こんな仕事』という従来の考え方を、人はその能力、その資質にあった仕事をと言う当然の『常識的な発想』は建機の素人ゆえに出来たのかも知れない。

 

★そのほかにもいろいろあったが、2年の期間の後、私の後を引き継いでくれたのは、単車時代アメリカで田崎さんの番頭役を務めた高田さんである。

2年経って、私の後任を決める時には、そんなに難しいこともなく決まったはずである。

そんな体制、組織運営が出来る会社になったことが、私の2年間の仕事だったのだが、それが北海道川重建機にとってホントによかったのかどうか?

その評価は、北海道川重建機の株主や、役員さんや、従業員が評価なさることなのである。

 

ただ、この2年間の間私自身は、川崎重工業のためにではなく、第一に北海道川重建機のために諸施策を行ってきたことは間違いない。

幾らかは、その点も認めて頂いて、たった2年の勤めだったのに、

退職後3年間も顧問として厚遇頂いたし、九州への社内従業員の旅行には声を掛けて頂いてご一緒させて頂いたりしたのである。

大滝さんからも、松田さんからも、私の前の社長さんからも、その他何人かの方たちから今でも年賀状が届く、そんな懐かしい北海道川重建機の2年間だったのである。

現役、最後の2年間であったが、私なりにチャレンジングな仕事が出来たことが、幸いだったと思っている。

 

あと何回か、また北海道での自分史として会社のこととは関係なく思いだす事を書いてみたい。

 

 

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2年という歳月は長いか短いか

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2年前の12月のブログを読み直してみた。

『2年と言う歳月は、長いのか短いのか?』

『私は十分に長い』と思っているからである。

 

もう20年も前の現役のころからそう思っていた。

『6ヶ月あればひと仕事出来る』と思っていたし現実に半年あったらいろんなことは出来た。

『半年かかって出来ない』と言う人は『10年掛っても出来ない』のかも知れない。

 

昨日、札幌での2年間と言う期間を区切っての仕事のことを書いた。

いろんな想いがあったのだが、2年間で120%出来たとと思っている。私の心の中の想いだから、外には言っていないが・・・・

 

★2年前の12月、

世界の英語の一番の流行語が『Twitter』だった。

『Twitter』をこの月にスタートしている。

Twitterがはじめられません』などと言うブログを2009年12月10日に書いている。

 

そんなツイッターが2年も経つと、196000人のフォロワーを擁している。

 

この年の漢字は『新』だった。

 

ちょうど三木の市長選で、生まれて初めて選挙で人を応援した。稲田三郎さんに初めて出会った。

 

『注目の街、三木と武雄』とぼっけもん修さんがブログに書いている。三木市長が若し変わればと思われたに違いない。

 

潮流発電』を一生懸命追っかけていた。

 

NPOに明け暮れた。この年の1月28日、ひょこむのなかにプロジェクトを立ち上げて、設立申請作業をスタートさせている。

 

この月に、初めてbunCさんにネットの世界で、出会っている。ちょうど2年経ったのだ。

 

★いろんなこと、思いだしても、2年もあると随分と変わるものである。

NPOも当時思っていたものとは、様変わりしたと思う

Twitterが私にとっても、NPOにとっても、全く新しいツールとして登場した。

今、周りが当たり前のように使っているFacebook なども、私の周りには『影も形も』もまだなかったのである。

 

そんなスピードで、世の中は動いているのに政治の世界だけは、一般的には動いていない。

この時、民主党は鳩山さん時代である。それから進歩など見かけられない。

三木市長は薮本さんが当選したが、この2年間何も変わったりはしていない。

この2年間で、大阪は変わった。当時の大阪知事は大阪市長になっている。

橋下徹さんを知事になるちょっと前、まだ批判の方が多かった時代から、注目して追っかけだした。

世の中の評価も変わるものである。

政治の世界もこれくらいのスピードで動けばオモシロイ。

 

★2年前、話題にも上らなかった神戸電鉄粟生線問題。

今年は私の周りで『粟生線の未来を考える市民の会』が今立ちあがっている。

そして今朝は、『がんばれ!粟生線』と言うグループと接触した。

 

この12月、『孫文を語る会』もスタートした。

2年後、この二つのプロジェクト、どんな姿に化けてるのだろう。

 

2年もあれば時代は変わる。

若し、『2年前と同じ』と言うあなた。

それは『時代から取り残されている』と言うことに他ならないのだろう。

 

私は今年から、12月をスタートの年にしている。

もう残された年月も、若い人に比べて少ないから、1ヶ月のフライイングスタートぐらい大目に見てもらおうと思っている。

 

 

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『橋下人気』に想うこと

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★新しい大阪市長橋下徹さん、マスコミに引っ張りだこである。

一昨日は10チャンネルに出たと思ったら、

昨日は、「ミヤネ屋」にも、「キャスト」にも、報道ステーションにも、生出演である。

 

大阪都構想、教育問題などなど、どこもここも、具体的なことばかりを追っかけたがるが、

橋下さんがやろうとしているのは、『トータルの政治行政の仕組みの創造』が目標で、個別の問題はそんなに大きい問題ではないのだと思う。

『大阪都構想』なども、その大きな目標のキャッチフレーズとして使われたきらいがある。

 

橋下さんが狙っている最終目標は、大阪府と大阪市と言う従来の二重行政や、補助金の仕組みや、その他いろいろ、

『従来の政治の仕組み』を壊して、『新しい今後の日本の政治に通ずる仕組み』に組み替えたいのだと思う。

最終目標は、道州制だろう。

 

★長年続いた政治構造の仕組みを、『新しい仕組み』に変えたいというタダ一つの目標のために行動しているのである。

 コメンテーターや、学者先生がよく具体的な個別問題を取り上げて、橋下さんの手法を批判されるが、そんな個別問題はそんなに大きな問題ではないはずである。

 

世の中で『新しい仕組み』を造られた経験がある方、そんなチャンスに巡り合えた方は、そんなにいないのではないだろうか?

あなたはそんなチャンスに巡り合えましたか?

更に、それらを組み合わせた少し大きな仕組みを造るチャンスなど滅多に巡ってこないから、経験がないので、橋下さんの言っていることが理解出来ないのだと思う。

 

★私自身は、このブログでもずっと『仕組み』の問題を取り上げている。

NPO 法人The Good Timesの理事長を務めているが、

この法人自体が『仕組みそのもの』で、法人自体はなんにもしないのである。

ただ、ただ、『仕組みの構築、改善』だけをやっている。

具体的な活動は、全て共感して参加されている会員さんが、いろいろやりたいことを自由にやっておられる。

その仕組みの中で動けば、

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を』会員さんが『過ごせる』ような仕組みに既に仕上がっているのである。

と言ってもなかなか理解して貰えないのである。

 

仕組みについて、服部吉伸さんは、(もう20年前の私の現役時代だが)

システムとは手続き通りに仕事を進めてゆけば、意図した目的が実現できる仕組みでなければならない。

現在のシステムは単なるデーターのアウトプット体系に過ぎない。

仕組みを造るのは、非常に高度な仕事である。

仕組みを造らずに放たらかしの形にして、創意工夫してやりなさいというのは酷である。損なやり方である。

 

と言われている。

現役のころ非常に共感して、服部先生とは現実にいろんなことでお付き合いもしたのである。

実業の世界に通じていて、言葉が正確であり正しいと思っている。

 

 

★たまたま、二輪事業と言う分野にいた。受注産業のような注文者のいない業界なのである。

テレビや自動車などよりは、数段趣味趣向性が強く、消費者が求めているものを掴むのはなかなか難しい。

どんな機種を、何台ぐらいの規模で、どこの地域のために、開発、生産し供給するのか?みんな自由で、自らが決定しなければいけない。

開発も、生産も、部品補給も、販売ルートも、全て個別のシステムの上に成り立っている。

そしてその経営トータルシステムも、全て仕組みの上に成り立っている事業である。

 

ただ、時代の変化にそれらの仕組みが、最適のモノになっているかどうか?

その判断が難しいし、現存する仕組みを壊して、新しい仕組みを造ることはリスクもあるしなかなか簡単ではないのである。

そんな業界にいたものだから、

現実の業務の中で、その時代時代で、仕組みの構築をする機会も多かったし、極端に言えば『仕組みの構築=会社時代の仕事』であったようなサラリーマン生活だったのである。

そんなことで、何となく橋下さんのやろうとしていることは理解できるのである。みんなが問題にする具体的な個別問題は仕組みの中の一つで、別に橋本さん自身がやらなくても専門家や担当者が大きなコンセプトの中でやればいい話なのである。

極端に言えば、橋下さんは仕組みを造るだけで、何もしないのである。

だから大阪都が出来てもその都知事をやる積りはない、誰がやっても企図する目標が実現しなければ、造った仕組み自体が間違っていたのである。

 

 ★橋下さんの仕事のやり方は、今回も間違いなく『目標が実現する方向』で進むと思う。

コンセプトが明確で、そのコンセプトに従って仕組みを造って、その中で実務をやるのは橋本さんではなくて、適任の担当者なのである。

その担当者を、適切ないい方が選べるような仕組みを、例えば区長公募と言う形で造ろうとしているのである。

 

仕組みは造るが、橋下さんは何もしない、そんな具体的な事項を自分でやろうとするから結局何も出来ないのである。

仕組みさえできて、それが成功すれば、国がその仕組みを採用さえしたら、日本の国自体が変わるのだろう。

 

★今の仕組みは、橋本さんは明治以来の国の仕組みと仰るが、

私は戦後である意味明治以降の仕組みは、農地改革などいろいろ、結構変わったので、

民主国家になってからの戦後60年の護送船団方式、その構築に大きく力になった霞が関の優秀な知恵が造り上げた政治の仕組みを、

新しいものに変える方向だと思うが、これは既得権の放出だから、現実には大変な反対になるだろう。

 

これを突破できるのは、民衆の知恵と力だと思う。

今回の大阪の投票率が60%を超えたから変えられたのだと思う。

今後の選挙も、従来の組織票が機能しないような高い投票率になれば、正しい方向に動くと思う。

 

大阪の橋下人気が、全国で政治への関心を呼び、60%以上の投票率になれば、日本の政治も変わるかも知れない。

 

 
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昨日は

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★昨日のブログは、確り書いた。

自分の一生のテーマである『仕組みづくり』に関してだったからである。

Facebook の方でいろいろとコメントなど頂いたりした

Facebook は、まだホントにちゃんと、使えてははいないけれど、いろんな人と繫がっていろいろ面白い。

 

昨日のこのブログのアクセスは、1085にもなった。ビックリした。

ツイッターの影響もあるけど、Facebook の影響が大きいのだろう。

 

 

 ★昨日は、我が家に2冊のバイク専門誌が送られてきた。

1冊は別冊モーターサイクリスト

これは昨年の3月の『カワサキの想い出、そして未来』以来ずっと送って頂いている。

 

 

もう1冊は内外出版社のビッグマシン編集人河村聡巳さんからである

これは先日の袖ケ浦のマル耐の記事が載っていて、

その写真の真ん中に載っているのがのが、

『兵庫県三木から参加の板東聖悟』さんとそのフィアンセと、このビッグマシンの編集長河村さんとの即席チーム3人の写真なのである。

 

この記事紹介にあるように、このマル耐は最高だった。

『レース未経験者、サーキットビギナーでも楽しめるよう、あらゆる規則が初心者向けに設定されたマル耐。まず予選はコース下見を兼ねたランニング競争。・・・・・・・最大の特徴は250以上のバイクは全コースの半分以上が追い越し禁止と言う点。これにより排気量差、速度差、経験差にによる抜かれる際の恐怖心が随分軽減された。

終わってみれば、どのエントラントも笑顔でマル耐は、初回にして大成功を収めたといえる。』

 

三木から遠路はるばる袖ケ浦まで愛車を運んで、フィアンセと一緒に走った全くの初心者コンビに付き合って頂いた、ビッグマシンの河村編集長ご自身の記事である。

こういう楽しいイベントが、二輪のイベントの中心でどんどん展開されたら、日本の二輪市場ももっと活性化するに違いない。

 

このマル耐の総合優勝は、『チームイワキ』  そのマシンはKawasaki だったのも嬉しかった。

昨日はそのチームイワキのマネージャー Yasuo Takagi さんから、連絡が入って、

『片山敬斉さん』と 『・・・・』と言うイベント(まだ公表できないが)を計画しているのですが、 如何ですか? 

 

とか、

関東のNPO The Good Times グループが、

『カワサキの想い出、そして未来』の第2弾として、今度は東京で、出来たらホンダさん主体で、何か面白くやりたいと計画がスタートしそうである。

その中心メンバーは、先日袖ケ浦に集まったNPOのメンバーたちなのである。

勿論カワサキもいるのだが、ホンダさんの錚々たるメンバーもおられるのである。

 

★上の写真に載っている袖ケ浦を走った坂東聖悟さんは、三木市の市会議員さんなのである。

今は『粟生線の未来を考える市民の会』を立ち上げて、神戸電鉄粟生線問題を市民の力で支援しようと頑張っている。

そして今、共感してこの会に参加する発起人のような人たちを、

Facebookページで募ってちょうど100人を超えたので正式にスタートしたのである。

この100人のメンバーの中にも40人近くがNPO The Good Times の会員さんなのである。

 

いろんな分野で、NPO The Good Times もいろんな活動に期待されて、お声が掛るようにまでなってきた。

そして昨日は、夕方神戸電鉄の本社を、『粟生線の未来を考える市民の会』の世話人代表の山本先生たちと表敬訪問してきたのである。

ご挨拶をした会場には、

サンテレビのクル―や毎日や神戸新聞の記者の方たちの取材が待ち受けていてビックリした。

神戸電鉄さんも、『粟生線の未来を考える市民の会』と言う文字通り市民のメンバーの会への対応だったので、終始和やかにいい会合になったと思う。

 

そこには、初心者」ライダーから、三木の市議会議員さんに戻った坂東聖悟さんの素顔があった。

こんな会議報告をFacebookになさっています

 夜9時のサンテレビのニュースには、ホントに流れた。

 

 記事の裏話はこちらに書くことにする

いろいろあったが、昨日は記憶に残る師走の一日であった。

 

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川崎重工業 と 富士通

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★現在の若い人たちなどは、『川崎重工業』にどんなイメージを持っているのだろうか?

昨日の午後、

グーグルの検索ランキングに『東京電力』が上位に入ったということである。グーグルでは漢字の言葉がランキングの上位に入るのは珍しいようである。

そのあたりをいろいろ触っていたら、

突如、飛び込んできたのがこんなバナーであった。

 

『川崎重工業with富士通』 ?

何かな と思った。

 

私はFujitsu のパソコンを使っている。特に選んだわけではないが、1台目がそうだったので、3台目までずっとFujitsuなのである。

70を過ぎてから、始めたパソコンだから、ネットの世界の『Fujitsu』は、『富士通』とは違って、めちゃかっこいい企業のようなイメージを勝手に持っているのである。

そんな企業と川崎重工業がwithということは、提携して何かをやろうというのは『カッコいいな』と思ったのである。

そんなことで、『詳しくはこちら』の方に自然に導かれたのである。

 

いろいろクリックしていくと、更に大きなバナーになって、

こんな記事が現れたのである

そこにはこんな記述から始まっていた。

 

輸送用機器や産業用機械、エネルギー・環境設備などの製造を手がける川崎重工業株式会社様は、万一の大規模障害や広域自然災害に備えるべく、業務データの遠隔バックアップに取り組んだ。

メールやWANをはじめとする情報系基盤に加え、受注、設計、生産管理、技術情報などの重要な基幹データも、富士通の最新データセンターで確実にバックアップ。

その背景には、社会インフラを支える企業としての強い社会的責任があった。

 

更に続いて

モーターサイクルやジェットスキーなどの一般向け製品に加え、航空宇宙、鉄道車両、船舶、エネルギー・環境設備、産業用機械など、多面的な事業を展開する川崎重工業株式会社様。

同社の代表取締役 常務取締役を務める高尾 光俊氏は「当社ではグループミッション・ステートメント『世界の人々の豊かな生活と地球環境の未来に貢献する“Global Kawasaki”』のもと、社会に役立つさまざまな製品の開発・生産・販売に力を注いでいます。7つの事業部門の力を合わせることで、7色の虹のようなビジネスを目指したい」と語る。

同社の最大の強みは、幅広い領域にわたって蓄積された高度な技術力だ。たとえば、近年では低環境負荷のエネルギー源として水素が注目を集めているが、同社では水素の製造から輸送用船舶、貯蔵タンク、発電用の水素ガスタービンに至るまで、すべての分野を1社でカバーし、事業化に向け研究開発に取り組んでいる。

これほどの総合力を誇る企業は極めてまれだ。

 

と書かれているのである。

川崎重工業を紹介するのに一番最初の紹介に、『輸送機器・・・・』から始まって、『モーターサイクルやジェットスキー』という商品がトップバッターで紹介されているのは、二輪車OBとしては、森の石松 の心境になって、更にその次を読み進む気持ちになったのである。

この文章は、広告のコピーとして書かれているので、一般の方に解りやすいように、コピーライターの心配りがあちこちに見られるが、

ミッションステートメントが紹介されるのも、まさにコピーライターの文章である。

ただ、昔と違って川崎重工業もミッションステートメントを創り、世に発表出来るような、スマートな世界の発想に通じる企業になったことは事実である。

田崎、大橋と2代続いて海外経験のある社長さんが、世界に通じる発想を持ち込んで、かっての『重工業一辺倒』のイメージから脱却したのは事実である。

このミッションステートメンとを大橋さんが創られた時、直接メールを差し上げて、賛意を表明したのを、懐かしく思いだす。

日本ではこんなミッションステートメントよりも、もっと現実的な生産管理型の目標の方が納得、理解されやすいのである。

 

 さらに、

このプロジェクトを担当される高尾常務の言葉を引用してその内容の説明が続いているのだが、

その概略を抜粋すれば、こんな内容なのである。

 

その同社が、過去10数年にわたって重要課題として進めてきたのが、リスクマネジメントの取り組みである。

本社や全国の事業所のシステムに保存されている重要業務データの遠隔バックアップである。

事業継続性の確保はどの企業にとっても重要な課題だが、公共交通機関や社会基盤に関わる製品を数多く手がけるだけに、万一データが喪失してしまうようなことがあれば、社会的にも大きなインパクトが生じてしまう。

取り組みを進めるにあたっては、主要な生産拠点が集中する関西・東海地方から離れた場所にデータを保存することが課題となった。

 

要はデーターが災害により消滅するリスクマネージメントの具体的な展開、リスク分散対策なのである。

ここで白羽の矢が立ったのが、富士通が首都圏近郊に設置している最新データセンターだ。

堅牢なファシリティと業界屈指のセキュリティを誇る同センターは、重要な業務データの保管場所として最適である。しかも、神戸・明石エリアからは直線距離で400キロメートル以上、名古屋・岐阜エリアからも250キロメートル以上離れており、広域災害対策にも大きな効果が期待できる。

 

★今年は東日本大震災から、災害対策は全国共通の関心事となった。

この震災で川重は最も被害の少なかった企業の一つかも知れない。中部、関西に事業所が集中していたので、被害を受けなかったのだが、

今後、中部、関西での地震の予想などもあって、いろんな意味でその対策は急がれるのだろう。

 

その対策の一つなのであろうが、

時代が変わったなと思う。

かっては、『ものづくり一筋の重工業』だった。各事業部がそれぞれ独自の製品を独自の手法で生産する全くのタテ型事業の集まりであった。

このような全社をヨコ刺しにした、『ヨコ展開の仕組み対策』など、なかなか発想され難かった企業である。

 

この仕組み構築は、富士通にとっても非常にいい相手企業だと思う。川重1社ではあるが、7つのことなった事業のリスク対策でもある。

そんなソフト、ノウハウを一挙に得ることが出来るので、非常に効率的だと思う。

私自身は、非常に興味もあるし、関心も強い。

担当されている高尾常務とは、多分面識もないし、お話ししたこともない。

今度の相信会(OB会)でも、一度よくお聞きしてみたいと思っている。

 

ひょんなことから、川崎重工業と富士通に出会ったものである。

 

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日常生活雑感

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★毎日、ブログをきっちり書いている。書く内容も何となくきっちりしているので、人物もきっちりしていると思われがちである。

人というのは、なんにも解っていなくても勝手に自分で「イメージ創造」するもので、特にブログを読んで頂いている方は、勝手に私のイメージを造っておられるようなのである。

そんな方と、現実にお会いすると、全然想像したイメージ違った印象をお持ちになるらしい。

私は、至っていい加減なのである。

白黒をつける議論も、好きではない。白黒つけることにあまり価値を感じない。

どちらでも、そんなもの大したことではないと思ってしまうのである。

事実、世の中のことは、会社でのことなども含めて、あまり大したことは存在しないのだと思っている。

みんなそれを大層なことのように言いたがるのである。

 

日常生活になると、それが更にひどくなって、『どちらでもいい』ということになってしまうことが多い。

 

★ところが、家内は結構きっちりしているのである。

一見、ちょうど逆に見えるのだが、何でもきっちりしたがるのである。

 

だから、家内の決めることには、殆ど逆らわずに『Yes』ということにしている。

年末になると、というより新年には新しいものでスタートするものと、家内は思っているに違いない。

でも、昨今は私に影響されたのか、そうでもなくなった節がある。

昨日は、ユニクロに買い物に行くというので付いていった。家内は免許を持っていないので専ら運転手なのである。

正月になるからか?下着が旧くなったからか?兎に角私の下着を幾つか買ったようである。

昨日行ったのは、土日は特別安いからと、チラシを調べて、マルを入れて、安売りのものしか買わない。

チラシ広告を打つ側からすれば、まさに上客なのである。

それでいて、それが幾らだったのかは、あまり覚えていない。『広告の品』を買ったことに100%満足している性格である。

  

私はその間、店舗の中の、陳列の仕方や、こんな素材の広報などの方に興味があって眺めていた。

特に、最近の素材の進歩は素晴らしくて、もう20年前でも、徳川の時代300年の衣料の進歩が1年に値するなどと、当時の『東レ』が広告で言ってたので、

今の素材の進歩は、スゴイのだと思う。

 

素材もいいし強いので、下着などもいつまでも破れたりはしないのだが、私の場合は一番早くダメになるのが、腹周りのゴムである。

昔は、ゴムが伸びたら、ゴムの入れ替えなどしていたのだが、最近のモノはそれが出来ないようである。

だから、ゴムが伸びてしまったら、新しいものに代えざるを得ないのだろう。

メーカーは買い替えをさせるために、ある程度時期が来たら伸びてしまうようなゴムを使っているのかも知れない。

 

ただ、今日買ってきた下着は、いつから使うのだろうか?

若し、私自身が買ってきたのなら、今日から間違いなく使うのだが、ひょっとしたら『年が明けてからから』かな?

などと、楽しんでいる。 そんなことどちらでも大したことはないのである。

 

★DNAというのはどんなものか、詳しくは知らぬが、DNAは、子供に引き継がれていくものだと言われている。

男の子は、母親に似て、

女の子は、父親に似るなどと、まことしやかに言われたりするが、

性格はそうかも知れないと思っている。

 

息子は結構きっちりしているし、娘は『いい加減』と言うと怒るかも知れぬが、何事も表面上は大雑把である。

息子は、ネットの世界には入ってこないが、娘はブログも、ツイッターも、Facebook もやっている。

勿論、似ているところもあって、娘の料理好きは、母親譲りかもしれない。

家内は一見、活発そうだと思うが、クルマの免許は持っていないし、パソコンのパの字も解らない。

と言って活発でないわけでもない。

もう30年近く続けている水泳などには、きっちり出かけて、Aクラスで泳いでいたりする。

ゴルフも一時熱心にやっていた。習字もそうだが、みんな先生ツキである。

やる時は、きっちりとやる性格である。

 

★今日も、靴下の上に重ねて履く、毛糸のようなソックスを買ってきて、足元が冷えるから履けと仰る。

1時間ほど前においていったが、またそのうちにと思って、置いたままにしていたら、

今、そばにやってきて、『まだ履いていない』と怒るのである。

 

夫婦などというのは元々他人で、性格が一致などしている訳ではないのだが、それが一つ屋根の下で日常生活を営んでいる。

そんなに、きっちりと意見など合うはずがナイ。

少々の意見の不一致など、大したことないのだから、いい加減にしておけばいいのに、

最近は自己主張が強くて、自分の意見と違うと我慢が出来ないのではなかろうか? それで直ぐ離婚騒ぎになったりする。

そんな人は、また誰かと一緒になっても、また別れてしまう。

 

『夫唱婦随』でも、『婦唱夫随』でも、どちらでもいいが、

日常生活の意見など、どちらでも大したことではないのだから、『いい加減に』どちらかが妥協していけばいいのだと思う。

元々、世の中にそんなに『いい人』もいないが、そんなに『悪い人』もいないのだと思っている。

ならば、みんな『いい人』だと思った方が、上手くいくのである。

 

そんな『いい加減な』日常生活が続く我が家である。

年末の大掃除はしないが、掃除ぐらいはする。今年は何を思ったのかおせちを自分で造るのかも知れない。棚からその器を取りだすのを手伝った。

 

 

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日本のスポーツレベルとその経営

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★昔々はスポーツ選手であった。

今78歳だから、もう60年も前のころである。

野球をしていた。

阪神の吉田と全くの同世代、昭和25年夏の甲子園組である。

と言えるのが自慢だが、そのころの高校野球のレベルも、プロ野球も今とは比べ物にならない低いレベルであったことは間違いない。

大体、運動部の先輩たちは、いろいろと大きなことを言うが、金田正一、長嶋茂雄のような怪物は別にして、全体の水準は当時のプロよりも今の高校選抜の方が実力は上かも知れないと思ったりする。

 

★サッカーにしても、これは息子がサッカーをしていたので、今から30年以上も前のころ、釜本の全盛時代から知っていて、いつもオリンピックの3位が昔話で語られるが、チームとしての実力は全然比べ物にならないと思っている。

それが、今は世界に日本の選手が進出し、『なでしこジャパン』は世界一なのである。

昨日は、柏レイソルが世界3位をかけて戦った。0−0、惜しくもPK戦で敗れはしたが、大健闘であった。判定勝ちが若しあれば、柏だったような戦いぶりだったのである。

世界一の『フジヤマの飛び魚』ともてはやされた古橋廣之進さんの1500メートルの記録と、今とをくらべれば、昔のスポーツの水準がよく解る。

スポーツの世界はのレベルは、長足の進歩なのである。

いろんなスポーツの分野で、日本のスポーツの選手のレベルは、世界で通用するものになってきている。

 

★いま、ストーブリーグで、日本のプロ野球の選手の大リーグ進出の話題が賑やかである。

通用するのは、ピッチャーだけかと思っていたら、

イチローは別格としても、野手でもどんどん通用するようになった。

西武の松井が大リーグに行ったので、そのあとのショートを守った中島が今年は大リーグを目指したし、ヤクルトの青木も大リーグ入りである。

 

いろいろ他にもいるが、何と言っても最大の注目は、『ダルビッシュ』の去就である。

日本経済新聞がこんな記事である

 

 ダル落札額、松坂超え 米誌「年俸含め97億円以上」

 こんなべラボ―ナ金額が紙面に躍っている。

 

★こんな金額になると、どんなことなのかよく解らなくなってしまう。

でも、プロ野球も事業だから、経営が成り立つことが大前提である。

こんな大金を支払っても、ちゃんと経営の成り立つアメリカの大リーグはどうなっているのだろう。

同じ、野球をシーズン同じような試合数をこなして、何故こんな額を出して、事業が成り立つのだろうか?

 

その辺はよく解っていないのだが、

ニューヨークヤンキースなど、どんな資本が持ち、どんなシステムで運営したら、あんなスター軍団を維持できるのだろう?

球場の観客収容人数が大きくて、入場料の単価が高いのだろうか?

ちょっと日本とはケタが違い過ぎて不思議なほどである。

 

と思って、

『ニューヨークヤンキース』やら『アメリカ大リーグの経営』などと検索してみたら、

なるほどと思うことが並んでいる。

このあたりの事業経営に対する認識の差やそのシステム自体は、歴然なのである。

 

選手達のスポーツそのもののレベルは世界と同じレベルにはなったのだが、

その経営センスや、システムはまだまだ、昔のレベルの開きのままのような気がしてならない。

オーナーが大企業でその広告媒体だぐらいの意識でしかない。

大リーグのオ―ナ―はみんな個人である。

日本もやっとそれらしいような人たちが出てきた。 

『 もうひとつの強い思いは、会社や事業の規模がどんなに大きくなっても「永久にベンチャー」でありたいということです』

という若いDeNAに期待してみたい。 

 

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片山敬済さんの想いと・・・

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★二輪世界GPチャンピオンの片山敬済さんが、

BERT (Bikers Emergency Resuponse Team)という災害対策チームを

内閣府承認のNPO法人として立上げ、全国組織化を図ろうという壮大な計画で、いま申請する方向で動いています。

 

まず、Facebook の中で、綴られている  『片山敬済さんの想い』、ご覧ください。


 

「バイクレスキュー隊」の設立準備で思うこと。

「がんばれニッポン!!」
いま日本に向けて世界中から温かいメッセージが寄せられています。

私たちの地震大国日本は、万全の備えを怠っていたのではないでしょうか?

大惨事を受けたのち、10日以上も救援物資を届けることのできないこの国は、本当に『先進国』『経済大国』と呼べるでしょうか。

とても残念な、そして、やるせない気持ちで一杯です。

この未曾有の大惨事を経験して、平成の国民一人一人が真剣に、震災について考えるときがやって来たように思います。

国や自治体の準備する緊急支援対策は当然ながら必要です。
しかしその縦割り行政に頼り切らない民間緊急支援体制を整備して、いざというときに即断即決、縦横無尽の働きができる組織が必要だと強く感じました。


私は神戸生まれの神戸育ちです。
16年前の阪神淡路大震災で、故郷神戸はその美しい姿を変えてしまいました。

その時、被災地にいち早く物資を届けてくださった方々は、機動性の高いバイクと自転車を駆使して、変わり荒れ果てた神戸に必要不可欠な生活資材を瞬時に送り届けてくださりました。

阪神復興の最中、バイク救援部隊の働きをみた私は、この救援システムが全国に設置されていたものと、すっかり勘違いしてしまったことをいま悔やんでいます。

確かに民間主導で緊急支援体制を築き上げることは大変な労力を必要とします。

熱意ある人材を集めることから始まり、情報インフラ整備、長期活動を支える経済力、立ちはだかる多くの困難は想像をはるかに超えるものと思われます。

しかしながら、この活動を支えてくださる方々の思いはひとつのはずです。
『成せばなる、成さねばならぬ、何ごとも』

私たちは、決して安易に緊急支援体制を築けるとは考えていません。
けれども、緊急時にライフラインを繋ぐ支援体制は必要不可欠なものです。

近い将来、この民間で築きあげる緊急支援体制は、民間のみならず行政機関にも認められたのち、『公認団体』として位置づけられる必要性があります。

被災地に危険を冒して物資搬入するには行政機関の許可を必要とするからです。

現時点でもすでに、数多くの困難なハードルが予想されます。
しかしながら、私たちはその全ての困難なハードルを越えて行かねばなりません。

何故ならば、想定できる数多くの困難なハードルが、
『人命の尊さ』以上の高きハードルだとは、とても考えにくいからです。

なので、一人でも多くの方々の理解と賛同を得て、一刻も早く、緊急支援体制を築き上げて行かねばなりません。

次なる震災が、いついかなる時に、この地震大国日本に降りかかってきても、まったく不思議ではないからです。

『いまやれることから行動する』
この度の悲惨な大惨事を経験し、強くその思いに突き動かされました。

最後になりましたが、

『 被災地の方々に一日も早く真の安らぎが訪れますように。
二度と世界で悲惨な災害が起こりませんように。

もし災害が起きた場合も万全の体制が整っていますように。
そして、私たちのこの願いが叶いますように。      』

オートバイと健康メソッドを活用した「バイクレスキュー隊」
設立準備室
呼掛け人代表 片山敬済

 

★ 片山敬済 さんとは、現役時代、1,2度お会いしたことはありますが、それ以来久しぶりです。

今回は、Facebook で 『チームイワキ』のマネージャ高木さんからの、ご依頼もあってお会いすることになりました。

神戸、三宮で

11時から5時まで6時間、切れることなくいろんな話をしました。

お会いしたのは、片山さんと今回のプロジェクトで、片山さんを支える広岡信重さんです。

それにしても、途切れることなく6時間よく話したものだと思います。

昔話も、レースの話も、神戸木の実のことも、今回の話も、どんな話が出ても何となくついていけるというか、そんなに一緒にいたわけではないのですが、同じ世界特にレースの世界にいたものだけに出来る話題もいっぱいでした。

世界GPチャンピオン、これは日本よりもむしろ世界で通じるものです。

 

一番にもいろいろありますが、ヨーロッパなどでの『GPチャンピオンの評価』は、ちょっと日本では信じられないような重さなのです。

そんな片山敬済さんですが、

山本隆、歳森康師、金谷秀夫、星野一義、清原明彦、和田将宏など、カワサキの歴代名ライダーが所属した片山義美率いる『名門 神戸木の実クラブ』の出身で、

彼らの後輩であることが何となく親しみを覚えるさせるのだと思います。

いい話が出来たのは、ベースにお互い『熱い想い』が未だにあるからだと思います。

 

彼の活動の、想いの底辺に、『日本の新しい二輪文化の創造』があるなら、

私は応援したいと、思っています。

NPO The Good Times に対しては、お二人とも非常に高い関心をお持ちなのですが、十分に機能するシステムに既に完成しています。

そんな、普通の方なら説明してもなかなか理解できない仕組みの話がスムースに通じるのは、彼がやろうとしていることも『壮大な仕組みの構築』だからです。

取り組むメンバーは、国に関係ある方が沢山おられるのも、彼の持っている基本コンセプトの確かさなのでしょう。

 

★今年の春、3月、

仙台の被災地に、宮城県知事の要請を受けて、被災地石巻で、いち早くバイク支援活動を展開したのは、全国オートバイ協働組合連合会の吉田純一会長です。

その第一報の広報支援を展開したのは、NPO The Good Timesなのです。

その吉田純ちゃんも今回のプロジェクトには名を連ねています。


今春、『カワサキの想い出そして未来』に集まった

こんな笑顔いっぱいの錚々たる仲間たちが
このプロジェクトを応援したら、大きな力になることは間違いありません。

このメンバーの中から既に吉田純一さんは理事に、腰山峰子さんはスタッフとして、

Facebook に造られているBertのなかのメンバーには、神戸木の実の先輩山本隆君や関初太郎さんなどの名前も既にあります。

 

みんなNPO The Good Times のメンバーですが、昨日は片山敬済さんも、広岡さんもメンバーに参加されました。

NPOのメンバーの動きには対応応援することをモットーにしています。

来年は、『カワサキの想い出、そして未来』の第2弾を今度は東京でホンダさんのメンバー中心にやろうと動きかけています。

メーカーの枠を超えて、メーカーでは出来ないことを、末端の二輪を愛する連中が協働すれば、オモシロイことも実現します。

 

片山敬済さんに、貰った名刺には

『市民による 市民のための 賢民活動 』  と書かれていました。

共感します。

 

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北海道の2年間、    65歳 自分史

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★北海道、札幌での2年間。

人生何年もあるのだが、この2年間は特別だったなと思う。

生活の舞台も、生活の様式も、会社での仕事も、全て自分にとって初めての経験であった。

 

まず生活の舞台、北海道の環境、特に自然と気候は、そこに住んでみたものでないと解らないだろう。

夏の快適さは素晴らしい。夏会社でもクーラーをつけるのは7月末から8月初めの1週間だけだった。

秋の紅葉の美しさは、これもまた素晴らしい。東北もそうだが、あの赤の美しさは、関西などの紅葉とはそのレベルが全く違う。

冬の寒さ、雪の多さ、これは東北の比ではない。まさに雪国である。

その除雪のエネルギーの凄さ、このお陰で北海道川重建機の経営は、雪のない地方に比べて、数段安定しているのである。

そして春を待つ期待感は普通ではない。

 

そんな気候の中で、その大地の広さ、自然の雄大さは日本離れしている。

本土のように県が別れていないから、どこに行っても北海道である。

道内に15も支店があったから、そこに行くだけで、北海道遊覧旅行のようなものだった。

殆どを車で、飛行機を利用した時もそこからはレンタカーを自分で運転して回ったので、北海道の道は殆どの幹線道路を走ったし、休日はあちこちに自分で出かけたので、北海道の道は大袈裟に言えば殆ど走ったようなものである。

今、改めて地図を眺めてみても、幹線道路はそんなに幾つもないのである。

走っていない道があるとすれば、江刺から北の西の海岸線だけだろう。 あとは北海道の外周襟裳岬も稚内もみんな走ったことがある。そのドライブがまた快適であった。

二輪のライダーたちが北海道ツーリングに憧れる気持ちがよく解る。車は少ないし、自分のために道が用意されているような錯覚に陥るのである。

 

100キロなど大した距離ではなくなってしまう。

ドイツなどでのドライブもそうだが、100キロなどホントに30分ちょっとで行ってしまうのである。

そんなに極端でなくても100キロは1時間ちょっと見ておけば十分行ける地点なのである。

 

★そんな北海道の快適な道は、真冬でも快適に走れるようなレベルでの除雪が行われるのである。

高速道路に限らず街中の道が完璧に除雪される。これは全て器械、除雪機によるのである。

従って、その除雪の邪魔にならぬようにと、札幌市内の駐車違反は厳しく取締りが行われるのである。

二輪車の安全運転本部長を永くやっていた関係で、本庁の警察の方とはお付き合いもあったし、警察がやろうとしていることはよく解っていた。

 

そんな3月のある日、市内に車を止めたのである。除雪の邪魔にならぬように、ちゃんと気を配って、間違いなく除雪の邪魔にならぬことを確かめて車を止めたのである。

戻ってきたら車がナイ。駐車違反でレッカーで持ち去られてしまったのである。

違反切符を持って本庁に出頭した。駐車違反は間違いなく駐車違反だから仕方がナイ。だけど何故除雪の邪魔にはならない車をレッカーで持ち去ってしまったのか?

考えてみると盗人猛々しい言い分だが、言っているうちに、警察の答弁がもう一つはっきりしなくて、だんだん腹が立って、最後にはアタマに血が上って、

『アタマにまで来たな』と思った瞬間に、『くも膜下出血』で倒れて意識不明になってしまったのである。

 

警察もビックリしたに違いない。直ぐ救急車が来て今度気が付いたのは、救急車の中だったのである。

『くも膜下』と言っている隊員さんの声を聞いて、『これで死んだな』と極めて冷静にそう思った。

まだどこの誰とも解っていなかったのである。『連絡先は?』と言われるので、これは家内ではダメだと思って、手帳から息子の住所に電話をするように頼んだのである。

そのまま病院に運び込まれたのだが、その病院は脳外科の先生が30人近くもいる日本で最初の脳外科の専門病院 『中村記念病院』だったのである。

 

 この病院、全て脳外科なのである。

運が良かったのだと思う。

倒れた場所が警察だったので、直ぐ救急車が来た。よく解らぬが倒れて15分ぐらいで病院にいたのだと思う。

病院に着いてからの1週間ほどはあまり記憶がナイ。

聞いた話だが、

切れたところが手術の難しいところだったので、『何もせずに放っておくことを会議で決められたそうである』

だから、集中治療室にはいたが、特に何もしていないのだと思う。

3月14日に入院して、10日間ほど集中治療室にいて、その後、最上階の快適な個室に移って、4月28日に退院をした。

1ヶ月半の入院だったのである。

 

★2年間の北海道の勤務だったが、2か月ほどは会社を休んだのである。

不思議なほどの回復ぶりで、この夏にはゴルフもしているし、会社も同じように出て、同じように仕事をした。

病院の先生とも仲良くなっていろいろお聞きした。

『うちだから何もせずに放っておいたが、普通の病院なら間違いなく手術だな』と言われていた。

事実、神戸の病院に写真を見せたら『今からでも手術した方がいい』などと言われてビックリした。

翌年の6月に退職したのだが、それから約2年、3ヶ月毎に札幌の中村記念病院まで、事後の診察に通っていた。

 

病院の治療が良かったのか、人間には自然治癒力があるのか? 

 

★会社などで、私は怒ったりしたことはない。

だから、会社の人たちは『あんた怒ったりするのか?』などと不思議がるのだが、元々気が短くて怒りっぽいのである。

旧制中学の3年間と高校1年の計4年間、野球部の最下級生を経験して、辛抱することの訓練は出来て、性格が少し変わったのである。

ただ、権力のある人が、それをタテにものを言ったりすると、我慢が出来なくなるのである。

 

でも、『くも膜下出血』を経験して以来、誰にでも『怒ったらダメですよ、あまり怒るとくも膜下になりますよ』ということにしているのである。

65歳の時だから、もう13年にもなる。

今はいたって健康である。 ひとの命など運だと思うようになったのは、こんな経験があるからである。

こんな病院は、少なくとも関西では聞いたことも見たこともない。

 

札幌に行っていなければ、こんなことが起こらなかったのかどうか?

それすらも解らない。

現役の終りの頃、ちょっとふらふらして、真っすぐ歩けないようなこともあった。

そのまま関西にいても、おかしくなってどうにかなったのかもしれない。

関西でなっていたら、間違いなく手術である。 その手術が成功するかどうかは運である。

 

そんなことで、誠に『運のいい人生だ』と思うようにしているのである。

 

★こんな事があったものだから、それからの1年間、家内が三木からしょっちゅう札幌に来るようになった。

来るたびに、あちこち北海道中を連れ回った。

だから、余計に北海道のあちこちを知っている。

 

2年目の最後は札幌から稚内まで更に東側を通って知床そして釧路から札幌ととても本土の人では行けないルートを回ったりしているのである。

もう一度、行ってみたいところもいろいろあるが、あの頃のように頑張って運転出来るだろうか?

病後だったが、大丈夫元気だったのである。

 

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大阪橋下市長の3日間

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★大阪市長になった橋下さんの市政が動き出した。

気持ちがいいほどテキパキしている。

今までの政治家に見られなかったスタイルとスピード感がある。

リーダーというか、住民を引っ張る立場の人としての『強さ』もある。

一市長だが、大臣などに対しても堂々と対応しているところがいい。

このあたりの政治に対するベースの姿勢に共感して応援しているのであって、橋下さんに関わる個別の問題に全て共感している訳でもない。

というより、そんな専門的な問題の議論に入って行けるほどの知識もデータ―も、私は持ち合わせていないのである。

橋下さんが府知事になる直前から一貫して、橋下さんに期待している。

粗っぽく言えば、橋下さんの想いに共感して、『橋下徹を信じて』彼ののやることなら全ていいのだろうと思って見ているのである。

 

★世のなかの政治家という人たちの、スピード感のなさでは、現代の社会のスピードには全くついて行けないと思っている。

一般に、4年という十分な任期があっても殆ど何もできない人ばかりである。

特に知事や、市長などは絶大の権限を持っているのに、それを自分の身分を守る方向、選挙対策にばかり使っているような気がしてならない。

だから、殆ど何も変わらないのである。

少なくとも私の知る範囲で変わったなと思うのは、東国原さんの宮崎、樋渡さんの武雄、そして橋下さんの大阪ぐらいである。

 

何のために政治家になったのか?

国会議員になること、その身分を守ることが目的であるかのような政治家が多すぎるよな気がしてならない。

ちゃんとした理念をお持ちの政治家も多分いっぱいおられるのだろうが、情報発信力がないし、何よりも情報発信戦略をお持ちでないアマチュアが多すぎる。

橋下さんや、樋渡さんの、情報発信戦略をじっくり研究されたらいい。

 

 

★月曜日から市長に就任して、2日目から勤務地が東京である。

全国のマスコミが、大阪の一市長に注目である。

中央の政治家やマスコミが、橋下さんの、『地方から政治を変える』という一貫した強い想いに押しまくられて、ただただ右往左往している感じである。

そんな想いがなくて、一般の市議ー県議ー市長ー知事ー国会議員という職位のルートが目標という従来の政治家から見ると、橋下さんは異色もいいところである。

異色だから、差別化されているから、ニュースにもなるのだが、動き自体がちゃんと仕組まれているし、仕掛けられている感じもする。

 

『地方から国を変える』そんな仕組みを創ること自体が目標で、『大阪都構想も一手段』だから、それが出来たら、その長は誰かがやればいいと思っているのだろう。

その時点では、より大きいオモシロイ目標を探して動くはずである。

世の中には、そんな奇人変人もごくごく少数だが、いるのである。

『・・・になりたい人』が一般的だが、『・・・・をやりたい』それを生き甲斐にしている人もいるのである。

 

 

★『仕事の大きさ』などについても、おかしな『錯覚がある』ような気がしてならない。

大企業などでも、取扱金額が大きいのが大きい仕事と思っている節がある。中小企業より大企業が『エライ』と思っているのが錯覚である。

営業所よりは営業部が、営業部よりは販社が、そんな子会社よりは事業部が、『立派で大きい仕事』で、それに伴う『職位』が『エラサの基準』ぐらいに思っているのではなかろうか?

だから、『社長は大きい仕事をするエライ人』などと錯覚しているように思う。世の中立派な社長さんもおられるが、『減点主義の日本企業』ではそこそこのことを失敗せずにやる方が職位は上がるし、任務期間中を無難に過ごそうとだけ、思っておられるトップもまた多いのである。

若し社長さんがみんな立派なら、東京電力の社長さんも、もう少しちゃんとした対応が出来るはずである。賢くてアタマはいいのだろうが、あの程度で、『大きな仕事』は出来ないのである。

総理大臣の菅さんでも出来なかったから、あまり責めることも出来ないが・・・

 

知事から、市長に転じるということは、社長が事業部長になろうというようなものである。

 『仕事の大きさ』というのは、その職位や、取扱金額の高さで決まったりはしないと思う。

今、日本で一番大きな仕事に取り組んでいる人は、総理でも大臣でも、自民党総裁でもなくて、大阪市長橋下徹ではなかろうか?

 

 ★橋下さんの良さは、常に全体が見えていることだと思う。

大阪市の市長だから大阪のことをやるのだが、『地方』としての大阪が、『中央』とどのように関連するのかを常に見つめている。

橋下さんの思う方向に、政党が動くなら協働するのだろうし、反対するなら刺客を立ててでも、『想いの実現』に向けて動こうとしている。

大阪から、日本の新しい政治が動きかけている、そんな橋下さんの3日間だった。

 

今まで、何にもして来なかった、政治家に対する警鐘のようでもある。

国会議員も、霞が関の官僚も、市役所の職員も、それぞれ優秀な人が多いのだから、目を覚まして頑張って欲しいと思うのである。

 

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今年も押し詰まった

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★今年もあと10日、まさに歳末になった。

別に年末になっても普通とあまり変わりもない。のんびりしたものである。

結構いろいろあるが、それでも時間はいっぱいある。

11月中に殆ど書きあげてしまっていた年賀状は、今年も何枚かはその後届いた喪中の葉書でボツになった。先方が悪いのではない。当方が早過ぎるのである。

何でもせっかちで、早く片付けてしまわぬと気が済まぬのである。1枚1枚毛筆で書く。文章を書いたり字を書いたりするのは苦にならない。

出来あがっていたのだが、印鑑だけ押さずに置いていたが、昨日の午後押して今日投函する。結局20日ほど放っておいたことになる。

 

★12月21日は、結婚記念日だった。それも49回目、来年はいわゆる金婚式の節目になる。

それでという訳でもなかったのだが、神戸に映画を観に行った。

    

★映画館は三宮の駅のすぐそば、こんな立地にある。

三木の我が家から、神姫バスの直行バスで高速と六甲トンネルを通ってここまで、1時間は掛らないのである。

バス停も我が家から70メートルほどだから、映画館の客席まで200メートルも歩くことはない。映画館はバスを降りた目の前がエレベーターの乗り口なのである。

歳末なのに映画館も、街もそんなに沢山の人ではない。

最近の若い人の服装はいろいろである。この寒いのに半そで、半パンツの女の子もいたりした。

映画は、西田敏行の『素敵な金縛り』

 

   

★昼飯は、そごうの2階にある『味の一番街』 

ここでそばを食うことになっている。

あちこち探したりするのが面倒になっているのである。

いろいろなメニューが並んではいるが、結婚記念日ということで少し恰好つけて、店長お勧めの セットを頼んだ。

1890円也、大したことはないがいつもよりは少し張りこんでいる。

なかなか美味しかった。

 

  

★この階に、てんぷらの『天一』とこの3軒の店が並んでいる。みんな東京からの出店らしい。

真ん中の鮨屋は如何にも高そうだが、そんなに無茶苦茶なことでもないようだ。一番右は昼飯としては適当である。

まあ、結婚記念日だと言ってもこんな程度である。

 

 

 

★同じ年の瀬、年末で今年も残り僅か・・・・・、と書かれている娘のブログだが、

California Ivine  のイタリアンレストランで、こんなデザートの付くトモダチとの食事。

・・・・がおしゃべりしすぎて後ろのおじさんの視線が怖い、怖い・・・・。

うるさくしてすいませんでした・・・・。

などと書かれている。

コメント欄がケッサクである。

 あはは(^^)きっと日本語で盛り上がってるから違和感を感じるんだろうね。しかし米人カップルはどうしてボックス席なのにわざわざ隣に並んで座るんだろうねぇ?私はこれに違和感だわ。。。

いや〜〜ほんと怖かったんだよ。
視角的に私しかおじさんが見えてなくて視線が刺さる刺さる・・・。
あの店で「日本語」はまずかったよ(笑)

 なるほど、英語で喋るのならともかく、やはり『日本語はまずいな』

 

★それにしても、食事代幾らぐらいなのだろう?

娘のところ、食い盛りの孫が3人もいて、そんなに家計に余裕などないはずなのに・・・・・・・

若いということは、うらやましい限りである。

財布をはたいてでも、豪華に振舞う。

若い者の特権かな? 結婚20周年にもまだなっていないだろう。

まだまだ、先は長い。

 

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INAC神戸

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★全日本女子サッカー選手権大会など、あること自体知らなかった。

今朝、米田和彦君のツイッターだったか、Facebookだったか、INAC神戸の試合が三木総合防災公園であるというのを見て、急に観に行くことにした。

防災公園までは家から車で、10分とは掛らない。

駐車場は無料だし、幾ら大勢お客さんが来ても満車になったりはしない広大な駐車場を持っているアメリカみたいな環境なのである。

 

女子サッカーは、ワールドカップで『なでしこジャパンが世界一』になって以来、様変わりの人気である。

三木総合防災公園には5つの芝生のサッカーコートがあって、INAC神戸はここで練習したりする。昨今は練習でも人が集まったりする人気ぶりである。

    

★この防災公園の駐車場の収容台数は何台なのだろう?

今回は、1411人の入場者だったらしいが、一つの駐車場が満車にはなったが、他はいつもよりちょっと多いぐらいのことで、ガラガラだったのである。

入場料が有料になったし、試合は放映されたのか、録画なのかテレビカメラや報道陣がいっぱいだった。

★後ろに聳えているのが、NHKのニュースなどにもよく登場する、世界一の地震実験設備棟である。

あまり大きく見えないが、そばに行けば壮大である。この建物に中に実際の建物を再現してそれを揺らすのである。

こんな設備があるから防災公園と名付けられているが、

これも世界一と言っていい、9面のコートを持つ屋内テニスコートテニスコート『ビーンズドーム』があるスポーツ公園でもある。

災害時には、救援物資でも、瓦礫でも置こうと思えば少々置いても大丈夫な、ゴルフ場三つ分の広大な敷地を有していて、この公園の中の道だけでマラソン大会が行われたりするのである

 

 

★そんな中で行われた全日本女子サッカー選手権準々決勝戦であった。

試合は、順当にINAC神戸が一方的に優勢で、

★前半この時間までは、0−0だったのだが、結果は狭山を2−0で下したのである。

メンバーは『なでしこジャパン』の日本代表がずらりと顔を揃えて、更に韓国代表も名を連ねている豪華さである。

昨今はテレビにもいっぱい登場するので、既に有名人でスターである。

そのホームページにも、選手達の登場番組などが紹介されている

元旦の天皇杯の当日、男子と同じ舞台に登場するらしい。

女子サッカーも大した勢いなのである。

 

★1年ほど前は、同じチームとは思えないような観客の少なさだった。

閑古鳥がなくというのはまさに、そんな状態を言うのだろうというような状態だったのである。

今回は、入場料も1000円だし、パンフレットも1000円なのである。

様変わりもいいところである。

やはり『世界一』でなければならないのである。

あのPK戦に負けて、『世界二』であったなら、多分こんなブームにはならなかったろう。

 

★戻ってきて、全日本女子サッカー選手権のサイトを見ていたら、もう一試合有ったのようである。

惜しいことをした。

少々寒かったが、見ておけばよかった。

勝ち残った4チームが27日に『国立』で準決勝を戦って、元旦『国立』で決勝戦なのである。

 

INAC神戸  元旦の決勝戦、戦うことになるのだろうか?

地元、神戸のチームだから、是非頑張って欲しいものである。

 

●このほかにも、写真いっぱい撮ってきました

 

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