★2003年とうとう70歳になった。9年前のことである。
この年あたりが、一番定年後らしく過ごしていたのかも知れない。
息子一家も大阪にいたので近かったし、娘たちは未だ西神にいたのでしょっちゅう遊びに来ていた。
孫たちもみんなまだ小学生で、遊んでくれとせがまれていた時分である。川に魚とりに連れて行ってやれば喜んでくれたいい時代であった。
春、吉野山に桜を観に行ったり、夏は淡路の沼島にはもを食いに、いずれも1泊で行ったりしている。
みんな近くにいて、いろいろと行き来があった。
息子に誘われて、沼島にはもう一度1泊で釣りにも出かけている。
子供の頃私が教えた釣りなのだが、めちゃ本格的になってしまって、ツイテ行けないレベルになってしまった。
私は、何事もそこそこのところで止めてしまうのである。
★この年の2月4日に、『パンダ碁』を始めている。
ちょうど9年経って、4582勝4527敗 9100局、1年に1000局ほど打っていることになる。
この年は、やりかけた時なので、熱中していて初段格で、2段、3段の人たちと一生懸命打っていたようである。
最近はズボラなってしまって2級ぐらいに格を落として、いつでも勝てる相手と気楽に時間つぶしの碁を打っている。
当時に比べて、高段者にプロ棋士が入ってきたので全体のレベルは、一つぐらい高くなっているのかも知れない。
非常によく出来ていて、時間も、計算もみんなやってくれるし、昇格も降格もみんな自動的にやってくれる仕組みになっている。
世界中の実際の会員さんとの対局なので、国際的な感覚もあってなかなかオモシロいのである。
ネットの世界は、このパンダ碁と、検索や情報収集、それにネットでの株取引が中心であった。
7月に、株が1万円台になどとの記述が日記帳にあったりする。
★いろんなことがあったが、一つ特徴的なことを上げるなら、
この年の5月に廣野ゴルフクラブの乾理事長あてに手紙を差し上げているのである。
パソコンなどではなくて、直筆の便箋を使っての封書である。
今でこそ、ブログなどにいろんな自分の考えを書いたりしているのだが、
70歳になるまで、会社以外の社会の方に自分の意見など書いて出したのは、この手紙が初めてなのである。
その内容は、現役のころからずっと思い続けていたことなのである。
新聞の投書なども一切、意見など言ったことはなかったのだが、3月に70歳にもなったし、ずっと思い続けてきたことだから思いきって、書いてみたのである。
廣野ゴルフ場は、ご存じの方はお解りのように、神戸三木線の県道に約1キロ近く隣接しているのである。
廣野ゴルフ場の中は誠に綺麗に整備されているのだが、道路に面したところは、それこそ草ぼうぼうで、お世辞にも綺麗などとは言えない状況だったのである。
何十年もの間車で通勤していて、『これは何とかすべきだ』とずっと思っていたのだが、流石にそれを言いだす事は出来なかったのである。
この年の3月、70歳になってこの機会に一度ちゃんと意見を言うべきだと、理事長あて『親展』の封書を差し上げたのである。
「ゴルフ場の外周、道路との接点は社会との接点です。企業の社会的責任が問われる今、社会的地位の高い方がメンバーに多い廣野は、それに見合う対策をーーー。」
というようなことを率直に申し上げたと思う。
非常にご丁寧な、ご返事を頂いて、その後綺麗に対策をされたのである。
★木が大きいから剪定と言っても大変なのである。
2008年にこんな大掛かりな剪定もされて、道行く人たちからフェアウエイも見えるまでになった。
非常に嬉しくて、Yahooのブログに、その写真を残しているのである。
このほかにもいっぱい廣野ゴルフ場の写真を載せている。ご覧になってみて下さい。
日本一のゴルフ場と言うのがお解り頂けると思う。
この手紙を書いていなかったら、
若し書いたとしても返事が頂けなかったり、言いわけだけの返事だったリ、
何の対策もなされなかったりしていたら、
多分その後、三木市長に市長メールなど出したりは、していないと思う。
ちゃんと、確りと想いを書いたら『相手に通じ、相手は動いてくれる』とこの時、70歳になって初めて、そのことを経験したのである。
そういう意味では、70歳を迎えたこの年、私にとって一番大きな出来事だったのかも知れない。
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