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Channel: 雑感日記
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岡部能夫のこと

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★岡部能夫が亡くなった。

ちょっと悪いとは聞いていた。

カワサキの創成期のレースチームを支えたカワサキコンバット

三橋実、安良岡健、梅津次郎、星野一義とともにカワサキのファクトリーライダーとして活躍した。

 

 

右から梅津次郎、岡部能夫、山本隆、歳森康師、三橋実、安良岡健、星野一義である。

私は当時レ―スチームのマネージメントに関わっていて、ライダー契約などもやっていた。

 

岡部能夫、そんなに名は知られてはいないが、契約最後の年あたりが一番充実していたと思う。

そのころは私はレースを離れて仙台で営業にいたのだが、

岡部から、『来年はカワサキの契約は無いようです。最後のレース意地でも頑張ります。』 と電話が掛って来た。

 

実力的には一番充実していた時期だと思う。

最後のレース岡部は見事優勝で飾ったのをよく覚えている。

 

ずっと豊かだったカワサキのレースチームの予算がひっ迫して、

金谷秀夫がヤマハに、歳森は日産に、カワサキコンバットは解散して星野だけは神戸木の実に移籍して残ったが、岡部も最後の年になったのである。

金谷からも、わざわざ手紙を頂いたりした。

ライダーとしての実力ではなしに、会社の予算の関係で契約を切られる?そんな無念さみたいなものが、伝わってきたのである。

 

そんなライダーたちの中で、いろんな思い出がいっぱいだが、特に岡部は可愛かった。

いい家庭に育って何となくオボコイところがあった。

契約金交渉で、『もう20万ほど何とかなりませんか?』 『その理由は?』と聞いたら。

『GTBの金を払うのに』 などとトンでもないことを言ったりもした。

彼は2000GTB に乗っていた。

『ガソリンちょっと入れていいですか?』と言うから『いいよ』と言ったら、持ってきた領収書にはガソリン100リッターとあったりした。

ガソリンタンクを改造して後ろのトランクには100リッター以上のガソリンが入るようになっていたのである。

 

そんな想い出いっぱいの岡部に、昨年12月に会った。

 

 

その時の写真である。

シャッターを切ったのは私である。

東京で星野が焼き肉をご馳走してくれた時の写真である

 

金子豊(星野インパル) 岡部能夫、山本隆である。

星野からみたらみんな先輩で、山本隆は直接のモトクロスの師匠である。

岡部はコンバットの先輩で、星野がデビューできたのは、和歌山のレースで、岡部が練習中荒井市次とぶつかって小指骨折して

新人の星野は『岡部能夫』の名前で走ったのである

金子豊もコンバットのメンバーである。星野はいいやつだが、特に商才があるとも思えない。『星野インパル』がここまでになったのは金子豊のお陰だろう。

 

 

 昨年末、『二輪文化を伝える会』の第1回トークショーに、星野、金子とともに、駆けつけてくれたのである。

その時は至極元気で、至極ご機嫌であった。

 

 

 

 

これは3年ほど前、有馬の泉卿荘でのカワサキファクトリOB会での岡部。 その時もヨコには星野と金子がいる。

 

 

この写真は、さらにずっと以前私が現役のころ、私が主宰したカワサキファクトリ―OB会の写真である。

一番左が梅津次郎、その横が岡部能夫である。 梅津も亡くなってしまった。

1988年10月のことだから、もう25年も前の話である。

 

★今日が告別式である。

岡部の訃報を知らせてくれたのは、星野で、山本隆から私に連絡があった。

今となっては、岡部にしてやれることは、弔電を打つぐらいしかできない。

このブログ、弔辞の積りで書いている。

 

昨年末、第1回の『二輪文化を伝える会』で

岡部能夫とご一緒できたのが、せめてもの慰めである。

安らかにお眠り下さい。 合掌。

 

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