★ 昨日は半日以上三木のKAWASAKI Z1 FAN CLUB の事務局 Good Times Plaza で時間を潰していた。
ここは、カワサキの熱烈なファン達が、自然に集まってくる不思議な場所である。
そしてそんなファン達は、なかなか普通では持っていない貴重な資料も持っていて、自然にそんな資料が、蓄えられるようなことになっている。
昨日の朝は、こんな人達が顔を見せてくれたので、昼飯を食いに行く前にちょっと記念撮影をした
前列左は遠く三重から来られたZ1P代表の島崎さんである。昨日は島崎さんが来られるのは聞いていた。
右は、憲正会の味岡さんである。 ツーリングの帰りにちょっと寄ったのだとか。
そして後列左は、湊さんである。
みなさんお互いに面識もあり、みんなZのファンだから、話もすんなりつながるのである。
いろんな話には飛ぶが、カワサキの二輪に関係する話題以外には、脱線しないのが見ごとである。
三重の島崎さんは、此方に来られる前に西宮のモーターサイクルNAC に中島君を訪ねたあとやってきたのである。
これはNACのホームページからだが、ここに使われている写真のモデルが、本日の話題の一つの中心なのである。
これはカタログに使われた写真だから、普通はプロのモデルが使われるのが普通だが、この時のモデルの一人が中島君なのである。
その時の写真のことなどを聞くために、わざわざ三重から西宮まで、そして三木まで足を延ばされたのである。
話を聞くだけなら普通のことだが、島崎さん、その当時のカタログをお持ちなのである。
このモデルたちも、中島君と、もう一人は現在のKAWASAKI Z1 FAN CLUB 代表者のタッチャんこと渡部達也君なのである。
ヘルメットを被って顔が見えないから、当時の従業員を使ったのか?
その話を渡部君ご本人から聞きたかったのだが、彼は昨日はゴルフで残念ながら話は聞けなかったのである。
こんな話を含めて夕方近くまで、いい時間が流れた。
私自身もZの名門クラブとして著名なZ1Pの代表島崎さんとは7月7日のイベント以来二度目だがじっくりお話が出来たのは初めてである。
多分、遠く三重から来られたが、期待以上のいい時間を過ごせたと、島崎さん思われたはずである。
Good Times Plaza には、間違いなくそんな雰囲気がある。
★ここにはいろんな珍しい資料などもいっぱいである。
自然にどんどん集まってくるし、オーナーの登山さんがホントにいろんなモノをお持ちなのである。
ご自身で『カワサキオタク』 『Zオタク』と言って憚らない。
カワサキに対してはそんな豊富な蘊蓄をお持ちなのである。
昨日はこんな資料を見せてもらった。
『A Chronicle of Kawasaki Mortorcycles』
聞きなれない英語だが『年代記』なのである。
それも1878年(明治11年)から1996年(平成8年)までの118年間の年代記なのである。
昭和35年、この年からカワサキの単車事業は実質的にスタートしたと云っていい。
単車準備室がスタートした年である。
この年から明石工場での一貫生産の計画がスタートし準備室は資材関連も含めて主として生産サイドの準備に入ったのである。
昭和36年には未だカワサキメイハツ時代だが、B7での全日本モトクロスでの2位入賞という記録もある。
私個人は、この昭和36年末から、単車に異動した。未だ営業サービスなど全員でも10名もいなかった、そんな懐かしい時代である。
そんな時代からの詳しい資料が出てきたので、また別の機会に『カワサキ単車物語50年』の中でご紹介したい。
そんないろいろなことがあった。
Fan クラブ、1年経ってこれくらいのところまで育った。
これからの1年もまた、オモシロそうである。
★★English Version です。
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