★ 8月19日は「バイクの日」である。 私自身はバイクも持ってないのだが、 人生の半分以上をバイクと深く関わって生きてきたし、 89歳になった今もなお、何となく「バイク」と関りを持ちながら生きている。
今年2022年は、カワサキZ発売50周年に当たるので、 この11月にはZ発祥の地明石で「Z50周年記念祭」を祝おうというイベントもあるのだが、 その発起人の一人になったりしている。
私が二輪と関係が出来たのはカワサキが二輪事業をスタートさせた昭和35年(1960)の翌年、 正式に単車営業部が発足して、そのスタート時期から二輪事業に関係したのでもう60年以上も前の話なのだが、 それ以降退職する1999年まで一貫してカワサキの二輪事業に関係してきたのである。
★ 最初の頃はどうなるのか解らないほどの二輪事業だったのだが、 今年2022年の「バイク好き300人が選ぶ車種ランキング」で第1位に「ニンジャ・カワサキ」が選ばれるなど、 カワサキの二輪事業が元気なのはご同慶の至りである。
★ この「Ninja」というネーミングはアメリカのKMCのアメリカ人の提案だったのだが、 当初明石の技術部は反対だったのをKMCが当時の大庭本部長を口説いて成立したのである。 そんなことで当初のNinja900に「Ninja」の称号を使ったのはアメリカ市場だけで、ヨーロッパはGPZ900R だったのである。
アメリカ市場は当初から「Ninja 」を使ったのだが、 当初明石の技術部が反対した理由は「黒装束の忍者のイメージ」が暗いということなのだが、 当時のアメリカのNinja のイメージは「007のかっこよさ」だというのである。
そんないろいろあったNinjaだが、このネーミングはなかなか好評で、 今でも継承されているのである。
カワサキが二輪事業を始めた頃は、 川崎航空機工業には航空機に関心のある人はいっぱいいたし、エンジンのプロはいっぱいいたが「バイク」のことが解っている人はあまりいなかったというのが真実で、 その当時の二輪事業を裏方としてひぱった カワサキのマシンのデザインの先進性はすべてアメリカ人のアイデイアだったと、少なくとも私自身は思っている。 A1でランクの側板が無くなったし、マッハでタンクマークがなくなったり、 このデザインの先進性はカワサキが先頭を走って、二輪業界の流れを創ったのである。
最近のことは何でもすぐ忘れてしまうのだが、昔のことはよく覚えている。 そんな「バイク」にはもう60年ものお付き合いになった。
ところで「バイクの日」が出来たのは1989年で、 政府が二輪車の交通事故撲滅を目的として制定したようである。 昨日はそんな「バイクの日」だった。
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