★カワサキZ1/Z2が「日本自動車殿堂の歴史遺産車に認定」されたという嬉しいニュースが流れた。
昭和47年(1972)に発売され、来年は記念すべき50周年を迎えるのだが、50年経った今もなお多くのバイクファンに愛され、走り続けている名車である。
「大排気量のスーパースポーツバイクとして開発され、海外市場で高く評価され、日本仕様のZ2と合わせて空前の販売台数を記録し、カワサキのブランド構築の源流となる歴史的名車である」ことがその選考理由となっている。
この10月1日に新しくスタートしたカワサキモータースの代表取締役社長の伊藤浩さん(写真左)が、表彰式に出席し、「Z1は1972年に製造を開始し、来年には50周年の節目の年を迎えたいま、素晴らしい賞を頂けたことをこのうえなく誇りに思います」とコメントしている。
★このZ1が開発された時代は、カワサキが二輪車生産を開始した昭和35年(1970)からほぼ10年を経過し、 新しくアメリカ市場への進出が250A1やマッハⅢのスポーツ車によりようやく軌道に乗り始めた時期で、 このZ1によりアメリカ市場で確固たる地位を築き得た車なのである。 その開発責任者は大槻幸雄さんなのだが「Z1の開発計画書には手書きで“性能世界一”」と大槻さんらしい「思いがこもった一節」が書かれてあったという。
その大槻さんは、2019年に自動車殿堂入りされているし、当時のアメリカのKMCは、同じく2014年に自動車殿堂入りされた濱脇洋二さんで、日本の開発本部の大槻さんとの二人三脚での開発だったのである。
大槻幸雄さんは1966年、初めての富士スピードウエイでの日本GP までは、カワサキのレース監督をされていて、私はチームのマネージャーをしていたのだが、この年のレースを最後に技術本部の市販車開発分野に戻られたのである。 私もこの年でレースから離れ、東北6県の営業担当となるのだが、 1967年の春に東北の代理店会議に来られた大槻さんが私に、「世界一のバイクを創る」と言われたのだが、 この時大槻さんのアタマにあったのが「Z1」だったことは間違いないのである。
その開発当初は750ccで開発されていたのだが、 1969年にホンダがCB750FOURを発売したので、急遽900ccに変更され、あくまでも「世界一」を目指されたのだと思うが、 国内市場は750ccまでという規制があったので、国内市場のみ「750Z2」ということになったのである。
当時私は大阪市場を担当していて、業界に先駆けて「二輪車専門販売網=カワサキ特約店制度」を推進していたのだが、 この「特約店制度」がスムースに軌道に乗ったのも「750Z2」があったからだとも言えるのである。
今回新しくスタートした新会社カワサキモータースのミッションは、 Kawasaki.Let the good times roll なのだが、 このフレーズも、Z1発表1年後の米国で使われ始めたものなのである。
このミッションも20年ほどの空間があったのだが、1990年代に国内市場で復活し、 今回改めて「新会社カワサキモータース」のミッションとされたことは、 50年ほど前の「カワサキのZ時代の企業風土」が今に生きているということなのである。
★これはごく最近、11月10日に開催された大槻幸雄さんが会長を務められる「Z1会」の写真である。 「第78回」とあるように延々と続いているコンペで、92歳の大槻幸雄さんはまだ現役でプレされている。 濱脇洋二さんも、エンジン担当の稲村さんもデザイン担当の多田さんもかってはプレーされていたのである。 この「Z1会」はスタートは技術部のメンバーだけであったのだが、 製造部も営業関係もレースライダー諸君もさらにはZ1ファンたちもメンバーに加わって、このように盛大に行われているのである。
これはこのコンペの表彰式での大槻幸雄会長である。 今年はコロナでこの1回だけだったが、 来年は通常に戻って「年4回」のコンペになることを願っているのである。
78回も続いているコンペなのだが、 私はその第11回に優勝させて頂いて、家にはこんな盾が残っている
いろんな意味で、私にとってもいろいろと想い出多いZ1なのである。
そのZ1/Z2が 日本自動車殿堂の歴史遺産車に認定されたことは、 本当におめでたい喜ばしい出来事なのである。
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