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双翼の日の丸エンジニア  百合草三佐雄さんのこと

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★昨日、こんな『双翼の日の丸エンジニア』という元産新聞新聞記者・戸津井康之さんの書かれた本が発行所の株・学研から 何故か私宛に送られてきた。
 この本の発行日を見ると『2021年8月1日』とあるから、 その本の発行日に送られてきたのである。


   


本の内容は『百合草三佐雄』と『葛城衛』という二人のエンジニアの物語なのである。

本の内容を読んでみると前半が『百合草三佐雄』さんについて書かれていて、彼の少年時代から川崎航空機・川崎重工業時代のことが書かれているのだが、その中心は『カワサキの二輪時代』のことが非常に詳しく書かれているのである。
 百合草三佐雄さんは1935年3月2日生まれらしいが、 私は1933年3月2日生まれで、奇しくも誕生日が一緒なのである。 私より2歳年下で、川崎航空機には昭和35年(1960)年の入社だが、   カワサキが二輪事業に本格的に参入したのがこの年からで彼は入社早々カワサキの単車事業部技術部に配属されたのである。 私は昭和32年入社なのだが、初めて創設された『単車営業課』に異動したのが昭和36年(1961)なのである。
この本そのものは『百合草三佐雄』について書かれているのだが、単車事業スタートの時期のことから、航空機事業本部に異動するまでの1960年から1991年までの約30年間単車事業にいてこの間のカワサキ単車のことが非常に詳しく書かれている。カワサキの二輪車で言えば最初の125B7からZEPHYRまでの時代になるのだが、A1とZ については彼は実験研究関連を担当していて、密接にその開発に関わっているのである。

★でも、なぜこの本が『私のところに送られてきたのか?』  私も百合草さんとほぼ同じ時期を川崎重工業で過ごしているのだが、 会社ではいろんな人たちとの出会いもあり、一緒に仕事をする機会もあるのだが、 ほんとにお互い『信頼し合っている関係』というのは意外に少ないのかも知れない、 『私と百合草さん』との関係はまさに『お互い信頼関係』で結ばれていて、 彼は技術屋、私は事務屋だったのだが、不思議なほどいろいろと直接関係があって、 私が一番信頼し合って密接に仕事をした仲間は『百合ちゃん』だったのである。私の方が年齢的にちょっと上だったので、常に『百合ちゃん』と呼んでいたし、今会っても同じように『百合ちゃん』と呼べる仲なのである。 
★そんな『百合ちゃん会社での人生』を一番変えたのは、 彼が技術屋乍らアメリカKMC販売会社の社長をしたことかも知れない。それは彼の単車での最後の仕事となったのだが、この人事を決めたのは当時事業本部の企画室長をしていた私であることは、間違いないのである。 その時のことが本の中にこのように書かれている。


     

   
 
 この本に私の名前が登場するのは、この2ページだけなのだが、 この本を読んでみて非常に正確にカワサキの単車事業の進展状況が描かれている。
上のページにも『カワサキが生きるか死ぬか』の大変な時代であったとあるが、まさにその通りで、それは単に『カワサキの単車事業部』だけではなくて、川崎重工業本体を揺るがす危機だったのである。それを救ったのは500億円もの財務支出を本社財務部が行い、販社KMCの増減資などの財務対策であったために、単車事業本部の殆どの人がそのことをご存じないのである。
この本の中には『川重本社からの指示』などといろいろ出てくるのだが、それは『単車事業再建』に500億円の資金を動かした本社財務本部が当時の事業本部の経営に色濃く参画していたからで、その本社対策の窓口を担当したのが、当時企画室長をしていた私なのである。
上のページに記されている『100億円の累積赤字』もその大きな対策の後KMCも本社も何とか正常に動きかけた後の『後始末の100億円』なのである。こんなことが書けるのは、ひょっとしたら今では私だけかも知れない。


         

★カワサキの二輪事業について、興味・関心のある方やカワサキ・ファンは『是非この本を読んでみて欲しい』
 『百合ちゃん』と私は親しく呼んでいるが、 彼は航空機事業本部に異動して後、 川崎重工業の常務取締役を務めている。 そんな百合草三佐雄が語ったことを、元産経記者の戸津井康之さんが纏めているのである。  そこには二輪事業スタートから30年間、 苦難の道が続いた30年間のいろいろなことが非常に正確に書かれている。 この期間私は事業展開の中枢の中にいたし、『カワサキ最大の危機』の時期には事業の中枢企画室を担当していたのでよく解っている。
 今までもカワサキのことを書いた本も出版されてはいるが、それは極く短い時期のことで、 今回初めて30年間の長きに亘ってのいろいろなことが、『百合草三佐雄の人生』として纏められているのである。
 カワサキの二輪事業が本当に安定したのは90年代のZEPHYR・Ninjyaの時代からで、その時期は私は国内市場を担当して『7万台の販売達成』に携わっていた。その時期は百合ちゃんは、航空機事業本部を担当していたのだが、私とは個人的に密接に繋がっていたのである。

★ こんな本が出て、「カワサキの二輪事業」が正確に詳しく書かれているので、より『広い範囲』での『カワサキの二輪事業』の当時の状況を纏めてみようかなと思ったりしている。
私の手元には1960年から40年間の『カワサキ二輪事業』の詳細かつ精密な資料がある。この『双翼の日の丸エンジニア』に書かれて紹介されている事柄をさらに客観的な立場で纏めてみようかなと思っているのである。

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