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カワサキのロードレースがオモシロかった時代

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★今月号の『カワサキバイクマガジン』が送られてきた。
 毎朝  Facebookではお会いしてる『鶴田竜二』くんの ZX25Rのロードインプレッション記事が載っている。

     


 もう長くお会いしていないが幾つになられたのだろう?

  



 そんなことから、1989から90年代にかけての カワサキのロードレースを思いだしたりした。


★カワサキのレースはモトクロスからのスタートなのだが、 レースで華やかなのは、やはりロードレースなのだろう。
アメリカでのロードレースやヨーロッパのGPやフランスの耐久レースなどカワサキのロードレースは、華やかな実績を残した時代も数多くあったのだが、国内のロードレースではなかなか華を咲かせることが出来なかった時代が続いたようにも思う。
カワサキのロードレースのスタートは、非公式な出場ではあったが、1965年4月にモトクロスライダーだった山本隆が鈴鹿のジュニアロードレースに出場して、ホンダに次いで3位で表彰台に上がったのである。 
この実績からカワサキもロードレースの世界に公式に出場することになり、翌月の鈴鹿アマチュア6時間耐久レースには歳森康師・金谷秀夫のコンビで出場したし、ロードライダーとしては三橋実・安良岡健など著名ライダーもいたのだが、なかなか優勝にはご縁がなかったのである。

A1ロードレーサーを擁した1967年はマシンは圧倒的に速かったのだが、その年行われたFISCOの日本GPには,ヤマハは日本人ライダーではとても勝ち目はないと思ったのだろう、当時のアメリカでは既にTOPライダーだったガリー・ニクソンを呼びよせて金谷秀夫と二人が同じベストラップを記録したりする大接戦だったのだが、結果は2位に終わってしまうのである。


★ カワサキ創成期のレース活動を担当していた私もこのレースを最後に営業に異動になったので、それ以来カワサキのレース活動はずっと横から見ていたのだが、1988年に国内の販売担当になって7万台を目指した時期に、国内のレース活動に再び情熱を燃やすことになったのである。
88年10月1日に担当して一番最初にやったことは、10月15日にかってのレース関係者と現役ライダーを集めて、国内レースに全力投球するとその『決意表明』を行ったのが『25周年記念OB会』だったのである。

   

  
カワサキの創生期にレースを担当した人たちとライダーOBたちと当時の現役諸君が殆ど集まったのである。

 
★ 販社の中に『スポーツ推進課』を新たに創って、 『Team Green』を組織して、重本・野村体制で、 販売促進の最重点に レースを位置付けたのである。
 当時の単車事業本部にも『スポーツ推進部』が出来て、岩崎茂樹部長がその初代担当となったのだが、彼は60年代に私の後の国内レースマネージメントを担当してくれた人で、それが事業の中心の企画本部内に出来たということは、当時の事業本部長はあの『青野ヶ原モトクロス』を指揮した髙橋鐵郎さんで、髙橋さんは国内販社の社長も兼務されていたので、
この時期はカワサキが『ホントにレースに力を入れていた時代』だったと言えるのだろう。
 今思うと、ホントにオモシロかった時代である。『二輪車は遊びの道具』なのだから『いい遊びを提供したら自然に売れる』とホントにそう信じていたし、SPA直入も作ったし、遊び会社『ケイ・スポーツ・システム』も設立して『遊び半分ではいい遊びは出来ない』といろんな遊びに徹していたのである。
 
★その結果はツキもあって、1年目から結果が出るのである。手元にその1989年の日記があるのだが、カワサキが本格的に『レース活動を復帰』したこの年は、非常にオモシロい展開となったのである。
●3月4日の『鈴鹿2&4』では宗和がTT-F1で3位に入ったりして、幸先良いスタートが切れたのである。4輪の星野インパルズも参加していて私と岩崎が来ていると聞いたのか、星野一義と金子豊がわざわざカワサキのパドックまで挨拶に来て、旧交を温めたりしたのである。Team Greenの結果は はもう一つだったが、『ルマンの出場』も決まったし、鈴鹿サーキットも『カワサキの本格的レース復帰』を喜んでくれたのである。
● その『ルマン24時間』は4月に行われたが、『宗和・多田・塚本組』がフランスチームに続いて3位入賞を果たしたのである。
● 7月に行われた鈴鹿サーキットの『6時間耐久』では『鶴田・北川組』が期待通りTOPで、 藤坂・林組』も頑張って、カワサキが1・2フィニッシュを決めたのである。


★ このように『カワサキのレース活動』は復活初年度から好成績でその幕を開けるのだが、『Team Green 』だけではなく、BEET チームや地方のクラブチームの支援なども積極的に行ったし、レースにも注力していた『阪神ライデングスクール』の有馬さんともこの年に繋がって、その後の密接な活動となっていくのである。
 
この年には、あの北川圭一くんがそのデビューを飾っているのだが、

  
      彼は京都の山科カワサキの吉川健一、ヨシケンのチーム出身なのである。


 
 

『ヨシケン』は、私が大阪母店長だったころの京都営業所のサービス担当で、その『ヨシケン』からの依頼があってのTeam Green 入りだったのである。 
 カワサキにいたライダーたち、金谷もそうだが、北川も 他メーカーに移動してから大成している人が多いのだが、 金谷も晩年はカワサキのZ1会に戻ってきたり、 北川もMFJのミーテングで私を見つけてわざわざ挨拶に来てくれたりした。 そんな北川圭一くんもFacebook ではトモダチで繋がっているのである。
 1993年には念願の『鈴鹿8耐優勝』も出来たし、 1990年代のカワサキのレースは、ホントに『いい時代』で、 『オモシロかった懐かしい時代』なのである。

     

   カワサキバイクマガジンの『鶴田竜二』くんの記事から 懐かしいあの時代を思いだしたのである。

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