★ 昨日は神戸新聞にこんな記事が出ていた。
兵庫県の100歳以上が4500人を超したというのである。 30年前の20倍に増加したようだ。
そのグラフを見ると昨今の増え方は凄まじい。
その記事によると 『統計を取り始めた1963年は3人だった』というのである。
★ 実は我が家は『100歳の長寿』には至極関係があって、 私の祖母が亡くなったのは確か『1950年代』のことで『102歳』まで生きたので、当時は滅茶珍しかったのだと思う。
『100歳になった時』には兵庫県知事さんからお祝いを頂いたし、その葬儀の時には、明石市のあちこちの『老人会』からの参加があったりした。
ただ、祖父は私が生まれた時はこの世にはいなかったし、伯父も父も50代で祖母より先に亡くなってしまったので、我が家の家系は『男は早死にだ』と思っていたのである。
私は20歳台に『肺結核』それも『空洞』が出来たりして、『長くは生きられない』と思っていたのが日記を書き始めた動機の一つで、68歳の時には札幌で『或る出来事』で怒っていたら、突如『くも膜下出血』になったりして、人生で二度死にかけたのだが、なんとか『運よく』今まで生きれたのである。
だから私がいま86歳で結構元気なのは自分でも不思議なのである。 私の母も実は103歳まで生きたので、ひょっとしたら祖母や母のDNAを運よく私が受け継いでいるのかも知れない。
★でも、なぜこんなに寿命が延びるのだろう? 医学の進歩で、いろんな病気は持っているが生命だけは維持しているような方も多いのだと聞くが、生きている以上は健康で『自分の足で歩ける』生活をしたいと思っていて、私の目標は『綺麗に歩けること』なのだが、少なくとも80歳台の間は『綺麗にスムースに走れること』を目標にしたいと思っていて、今はそれが出来ている。
そんなこともあって最近は『ひょっとしたら100歳まで生きれるかも?』と思ったりしているのだが、果たしてどうなるのだろう?人間誰しもいつかは死ぬのだが、『今すぐ死ぬ』とは思っていない。70歳になった時も、80歳になった時もそう思ったのだが、今もそのように思ったりしている。
それこそそれぞれの人が持っている『寿命』みたいなもので、それには何よりも『運』が伴っているのだと思う。確かに、私の人生『運だけはよかった』と思っている。これからも『好運』続くことを祈りたい。
この記事を見る限り兵庫県の100歳以上は1万人になるかも知れない。『その仲間入りをしたいな』とそんなことを思いながら、こんな新聞記事を読んだのである。