★高校野球夏の大会、西兵庫大会の準決勝は小野高校と明石商業の公立校の対戦だった。
この二つの公立校・私には大いに関係があるのである。
1950年・昭和25年に明石高校が甲子園に出場した頃には、未だ明石商業は無くて明石高校の商業科だったので、明石商業も何となく後輩校だという感じもするのである。そして当時の商業科には、同期の溝畑圭一郎も藤原もいて二人とも卒業後は神戸製鋼の野球部に入った中心選手だったのである。
特に溝畑はピッチャーで、そんなに大きくもないのだがめちゃ安定感があって、2年の夏の予選には灘高校を相手に完全試合などもやっていて、当時『明石が強い』と言われたのもピッチャー溝畑の力が大きな力になっていたと思うのである。もう一人1年下の大塚健哉もいいピッチャーで、彼は関学から川重の野球部にも入って活躍したのでご存知の方もおられるかも知れない。
廻りの選手たちもそこそこではあったが、そんな投手陣が殆どの試合を2点以内で抑えてくれたので、明石は負けなかったという印象を持っていて、私は『野球はピッチャー』だなと思っているのである。
同期の連中も半分以上も、大塚健哉も亡くなってしまったが、多分『溝は未だ元気でいる』と思っている。
7年前の2011年のことだが、こんなブログをアップしている。
★昨日突然、『溝』から電話があった。
久しぶり、昔の仲間、球友『溝畑圭一郎くん』からである。 『 日経新聞電子版の中の「ライフ 暮らしの知恵」と言うサイトがあって・・・・』と話しだしたのである。
同期の野球仲間だが、何故か野球だけは抜群に上手いのである。運動神経があるのだから、ゴルフも上手いのかと思ったら、ゴルフは下手くそなので、『野球だけは』と言っているのだが・・・・聞いてみると、要は、日経新聞の電子版に、『78歳「イチロー」白球に懸ける想い』 と言う溝畑圭一郎の特集記事が出ているので、『それを広報しろ』と言うことなのである。
ゴルフもダメだが、パソコンもダメらしいのである。私が何となくブログなどやっているのは知っていて、それで電話してきたのである。
当時78歳だが、チームの中で4割を打つリーデイングヒッターだというのである。3割でなく『4割』というのがスゴイ。
ホントに野球だけがめちゃくちゃ上手かったのである。
そんな同期の『溝』がいたお蔭で、私の高校時代の野球も結構威張れたりするのだが、私が『野球はピッチャー』だと思うのは、相手に点さえ取られなければ何とか『勝つ』ことは出来るのである。
その時書いているブログである。
https://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/68cdde510da4e4be7da23c1dd16fceda
★ところで小野高校だが、この辺りでは「進学校」で通っているのだが、息子も娘も小野高校に通ってはいたが『サッカーとバスケット』に熱心な学生だった。
当時の三木は子供のサッカーが盛んで、オール三木は兵庫県で優勝するようなレベルで、そんなメンバーたちの一部が小野高校にいたので、小野高のサッカー部も兵庫県で何とか注目されたりもしたのである。
然し、小野高と言えば進学校で、スポーツで注目されることは少なかったのに。今年の小野高校の野球部が予選を勝ち上がってきたのはなぜかな? と思っていたら、今年の 小野高のピッチャー正中敦士 は優勝校の明石商業の監督さんが『兵庫県一の投手』というほどのいいピッチャーらしいのである。
ネットで調べたらこんな記事が出ていた。
写真を見ただけでもバネがありそうなので、探していたら明石商業とのこんな動画も出てきたので、ご関心のある方はご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=WbEdP7bDhoo
小野の快進撃を支えた右腕、正中敦士は明石商を9回まで追い詰めながら、逆転で敗れ去った。
0―0の8回表、自身の二塁内野安打を足場に敵失で3点を奪ったのに9回裏に追いつかれ、延長10回、安打と2四球の1死満塁から中越え打を浴びて力尽きた。
1回戦から全6試合を一人で投げ抜いた。
中学2年から投手となり、進学先には「野球も勉強もしっかりやりたかったから」と進学校の小野を選んだ。
入学時60キロだった体重も、筋力トレーニングに食事量も増やし、いまは70キロある。当初120キロ台だった球速も140キロを超えた。
「秋も春も県大会にも進めなかったけど、自分が信じて続けてきた練習の成果を最後の夏に出せました。それはうれしい。何とかみんなで甲子園に行きたかったですが……」。優勝候補の明石商を追い詰め、悔しさは当然あるが、どこか、清々しさもうかがえた。
相手の明石商・狭間善徳監督が「兵庫県ナンバーワン投手」と絶賛した右腕は、涙をぬぐい、前を向いて球場を後にした。
と記事には書かれている。
もう一歩のところだったが、まあ『明石商業』が優勝したので、『いいとするか』というのが実感なのである。