★もう明後日のことになったが、
『モトクロスの有志の会』 が7月7日(土) 午後3時~・神戸舞子のLOCHE MARKET STORE で開催されることになっている。
カワサキのモトクロスを支えてきた大津信さんを中心に、安井隆志なども世話役として支えているのだが、安井隆志さんは1973年入社から退職まで、カワサキモータースポーツ一筋で、モトクロスチームや、ロードレースの監督なども務められたので、ご存じの方も多いと思う。
私自身は、安井さんが未だ学生時代、鍋島英雄さんが所長をしていたカワサキの名古屋営業所に出入りしていたころに名前だけは知っていて、当時後日本チャンピオンになった竹沢正治くんもモトクロスをやっていたのである。竹沢くんはファクトリー入りを目指して、名古屋営業所から平井稔男さんの神戸営業所にトレードして念願のファクトリー入りが果たせたのである。
その頃、私は大阪にいて大阪・名古屋・兵庫も管轄下だったのでこんな事情も分かっているのである。
竹沢くんの結婚式の仲人をされたのが今回の『モトクロスの有志の会』のトップ百合草三佐雄さんで、私はたまたまその会場にいたのだが、突然誘われて『披露宴の飛び入り』をすることになったのである。その会場には平井さんも、安井さんも、吉村太一さんなどもいたのだが、レースの世界はそんなお付き合いなのである。
★世の中不思議なもので、
安井隆志さんについてはいろいろ知ってはいるのだが、二人で話をした機会などは殆どないのである。
そんなことを大津信さんとやり取りしていたら、突然安井さんから
『安井隆志です。今週末のイベントに関する大津さんと古谷さんのメールのやり取りを拝見させて頂き、昔お世話になった名古屋営業所の鍋島さんのお名前等が有り、懐かしく、メールさせて頂きました。もし、古谷さんの時間のお都合が合えば一度、挨拶がてら三木へお邪魔させて頂きたいと思っておりますが、如何でしょうか?』
というメールが入ったので、昨日2時半から6時ごろまでみっちりお話をさせて頂いたのである。
本来の用件は『モトクロスの有志の会』で、私は青野ヶ原のモトクロスがカワサキの二輪事業や、その後のレースに果たした役割をお話しすることになっていて、その司会をされる安井さんは、その『打ち合わせ』に来られたのだが、私は何事も計画を立ててその通りに実施するのはあまり好きではなくて、その場の雰囲気に合して話す主義なので、打ち合わせはそこそこにして2時間以上昔話や雑談をしていたのである。
人間の記憶は頼りないもので、私は安井さんとはそんなに関係はなかったと思っていたのだが、93年当時私が国内の責任者時代に、安井さんはKHIからカワ販に出向して主として当時の『ロードレース』を纏めていたと言われるのである。
全く覚えていないのだが、昨日は安井さんから『あの頃はホントに自由に100%任していただいて、思うようにやれてよかった』と言って頂いて、よかったなと思っているのである。
ちなみにカワサキが8時間耐久でただ1回優勝しているのはその頃のことで、スポーツ推進部が出来て故岩崎茂樹が初代部長をしていた時である。ちなみに2代目の部長が大津信さんなのである。
★昨日は家に戻ってからチェックしてみると、安井さんともいろいろご一緒しているのである。
これは1989年、私が主宰した『カワサキファクトリーレース25周年記念』の会合の時に集まったライダーたちで、安井さん(後列右端)は当時の現役の多田・宗和・杉本などと一緒に出席してくれているのである。
そして、これは小島松久・吉村太一さんが主宰をされた『マウンテンライダ―ス50周年記念』だが、その時もご一緒しているのである。
松島さんは、今回の会合にも出席なさるようである。
★今回の『モトクロスの有志の会』も、カワサキの人たちが中心ではあるが、ホンダ・ヤマハ・スズキの関係者も含めて文字通り『モトクロス有志』の方々が出席される。
このようなメーカーを超えての会合は、『カワサキの想い出そして未来』と題して平井稔男さんが2011年に主宰された会合が初めてで、その時にはこのように各メーカー関係者が出席されたのだが、それ以来特にモトクロス関係の会合は、『マウンテンライダース50周年』も、ごく最近開催された『城北ライダース60周年記念』も、メーカを超えての会合になっているのは、非常にいいことだと思っている。
今回の会合にもホンダの渡辺さん(右端)もご出席のようで、私は7年ぶりにお会いできるのである。
そんな『モトクロス有志の会』もあと二日、約100名の出席者の半分ぐらいは面識があるし、定年後この15年ぐらいの間にお知り合いになった方たちも結構多いので、お会い出来るのが楽しみなのである。
多分、間違いなく『いい会合』になるのだろう。