★パウダーパフレーシング、SUZUKA 4耐に出走する。
是非、クリックしてみてください カッコいい動画も現れます。
Facebook も
右上に緑のマークがあるものは、私がリツイートした記しです。
だいぶ先の話だと思っていたがもう目の前になってきた。
昔は毎年暑い夏を、熱い鈴鹿で過ごしたものである。
今年は鈴鹿サーキット50周年だという。
以下はパウダーパフレーシングのホームページからである。
Home > パウダーパフ・レーシングとは KAKO 1978-
パウダーパフ・レーシングとは KAKO 1978-
かつて、女性レーサーのパイオニアともいうべき人がいた。
彼女の名は、堀ひろ子。
一流商社をすっぱりとやめ、大型バイクで世界一周
25カ国4万kmの旅にでたのは、26才のときだった。
1976年、それまで男性に限るとされたロードレースの参加規程が彼女の活躍で見直され、
女性初の参戦を実現させた。
彼女はレースに没頭するかたわら、雑誌の評論、
ショップ経営などにもフィールドを拡げ
1978年には日本で初めて、女性ライダーだけのロードレース
「パウダーパフ・レース」を鈴鹿サーキットで主催した。
「パウダーパフ・レース」でデビューの後、
堀ひろ子とコンビを組み活動することになったのが、腰山(旧姓今里)峰子である。
1980〜81年、堀と腰山は鈴鹿4時間耐久レースにペアでエントリーし、2年目にして完走を果たした。
1982年には、男性でも完走が難しいとされるサハラ砂漠縦断8000kmを、同じくペアで走破した。
ふたりは単に、女性レーサーの市民権を獲得しただけではなく、
女性ならではのバイク文化の構築にも道筋をつけたといえよう。
そしていま、その志を継承すべく、腰山峰子が新たにチーム監督となって
「パウダーパフ・レーシング」を結成した。
ライダーの川原みちよ&中原優香は、奇しくもパウダーパフ・レースが産声をあげた年と同じ1978年生まれ。
Home > パウダーパフ・レーシングとは KAKO 1978
★ 先日 壮行会にも出席させていただいた。
その記事は、二輪車新聞にも流れた。
★腰山峰子さん
今でも現役で走っているらしいがそんな姿は見たことがない。
カワサキの想い出とそして未来でも
笑って遊ぼうミキランドでも
お世話になった。
たまたま写っているのは神戸木の実の
金谷秀夫 と 片山敬済
神戸スーパースポーツには関係があったのかなかったのか。
平井稔男さんは、いつも『ミネコ、ミネコ』と呼び捨てである。
何となく飄々としているところがいい。
こうして、何となく応援したくなるのは、
またいつの日か、何かで『お世話になることがあるだろう』と思っているからである。
自然に、そうしたくなる、『いい雰囲気』をお持ちである。
記録よりも『記憶に残るレースを』と言われていた。
是非、そんなレースを演出して欲しいものである。
★NPO The Good Times のホ―ムページです。
★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。