★いつ頃から、日本人は自己責任の感覚を失ってしまって、何でも他人の責任にするようになってしまったのだろうか?
そんな風潮に対して役所や学校など本来は一般人をリードしなければいけない立場の部門が何故守ってしまうのだろう?
昨日は、久しぶりに 三木山森林公園 に三木金物まつりのあと行ってみた。
お隣で開催中の 三木金物まつりの駐車場になってしまって、休日だというのに人影は殆どない。
自然豊かな 三木山森林公園 には、こんな光景もまた似合うなと思ったりした。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm32214309
★ 孫たちがまだ子供の頃は、この公園でいろいろと遊ばせてもらったものである。
自然の森の中にも、自然の遊び場所があったり、 中央の坂道には、遊具が幾つも設置されていた。
そんな子供が元気に遊べた公園なのに、昨日その坂道を歩いてみたら、歩道に設置してあった独特の遊具が全て『危ないので使用禁止』になっていたのである。
何故? 事故でもあったのかな? と思いながら坂道を登りきったところにある子供たちの遊び場の『こんな遊具』にも同じような看板がぶら下がって、使用禁止になっていた。
開場以来何年も経って、遊び器具は老朽化したので『危ない』のか、どこの公園にもあるような遊び器具が危ないのか?
そのあたりは聞いてはいないので不明だが、とここまで書いて、
『そうだ、直接聞いてみよう』と三木山森林公園に電話をしてみたのである。
使用禁止にしている理由は、こんな遊具を検定しているところがあって、検査をして貰ったらいろいろな理由をつけて、『危ない』ということになったそうである。
『そんな検査基準は、年々厳しくなって』などと言われていたが、日本国中お役人や一般人をリードすべき学校や、警察がどんどん自らの守りの姿勢に入ってしまうものだから、どんどんおかしくなってしまうような気がするのである。
別に、三木山森林公園で事故があったわけではないそうだが、『では、新しくするのですか?』と聞いたら、『県の予算が・・・』などと言われていた。
★三木山森林公園は、ホントに自然のいっぱい残っている公園なのである。 『危ない・危ない』などと言ってたら、自然は危ないところいっぱいだから、公園自体の良さが無くなってしまうような気がする。
昔は、森の中に自然の木を使ったブランコなどもあって、孫たちは結構楽しんでいたのだが、それ等はずっと昔に無くなってしまった。日本でも数少ないと言っていい『いい公園』なのに、このまま進めば、段々と普通の公園になってしまう。
こんな発想のベースにあるのは、『何かあると直ぐ他人の性にして、学校や行政に文句を言う人たち』への対応だと思う。
世の中には、『自己責任』があり、それが世界の常識なのだから、もう少し行政は毅然とした対応をすべきだと思う。
『三木山森林公園・遊具』と画像検索するとこんな画像が現れる。
これはその一部だが、いまはこんなには、無くて『どんどん少なくなっている』=『どんどんいいところが失われている』ように思う。
つい先日も、日本ガードレールだらけだが、アメリカにはガードレールなど見られないとこんなブログにアップしたが、
http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/bbcd1bce8aa93a42321f61d59a13612b
国や、行政が守りの姿勢に入るので、結果的に莫大な費用を税金で使ってしまうのである。
一般の人たちも『自己責任』をちゃんと認識して行動し、文句を言う人には毅然として、訴訟で対抗する方が結果はいいのだろうが、どうも自らを守ってしまうから、社会全体がおかしくなっていくような気がしてならないのである。
三木山森林公園の電話対応して頂いた方とも、同じような話を和やかにさせて頂いたのだが・・・
兵庫県の管理下の公園なので、『県の意向』がどうなのかが問題なのである。
要は、Topが橋下徹さんのような態度なら、税金の支出は俄然少なくなるのだが・・・・
なかなかそんなお役人がいないのが、現実なのである。