★関東から東北・北海道ㇸ進路をとっている台風9号は、11号に続いての襲来なので、大きな被害が出ないかと心配である。
もう三木に来て40数年になるのがが、この40年間台風に出会っていない、と言うか台風が来たという感覚がない。
戦後70年、明石ー仙台ー高槻ー三木ー札幌と住んだのだが、明石以外で台風に出会ったことはないと感じている。
明石にいたのは、昭和41年(1966年)までなのだが、その当時は毎年台風に見舞われていたような気がするのである。
特に印象に残っているのは、昭和25年、高校2年生の時に出会った『ジェーン台風』である。
『ジェーン台風』と検索すると、こんな写真と説明文が現れる。
1950年8月30日、硫黄島南西海上で台風第28号が発生。当時の日本はアメリカの占領下にあり、気象業務も米軍と共同で行われていたため、番号ではなく、アメリカ式に「ジェーン台風」と名前が付けられていた。
台風は、9月3日10時に、徳島県日和佐町付近に上陸した。その後、台風は淡路島付近を通過し、12時頃神戸市垂水区付近に再上陸した。その後、若狭湾へ抜け、日本海へ進み・・・・・台風による影響は、降水による影響よりも、強風による影響の方が大きかった。四国・紀伊半島沿岸では35m/sの暴風が吹いた。また、近畿・北陸・東海では30m/sの暴風が吹いた。神戸海洋気象台でも、最大瞬間風速40m/s以上となったが、計測器の破損により、一時欠測となった。大阪湾では、台風の強風による吹き寄せで高潮が発生し、船舶に被害が出たり、多くの家屋が浸水したりした。
そのジェーン台風の真っただ中で、半日ほど過ごしたのである。
この日は、京都で野球部の練習試合があり、明石から京都に電車に乗って出かけたのである。
台風が来るのは『解っていた』と思うのに出発をしたのは、明石高校は昭和23年の夏の予選、兵庫県の優勝候補と言われていたのだが、明石では雨が降ってて予選は中止だろうと行かなかったら、西宮球場付近は晴れていて、棄権になってしまったのである。それ以来はどんな状況でも現地までは行くというのが伝統になっていたのである。
京都に向かった電車は、大阪駅を出て次の駅あたりで止まってしまうのである。台風の中心は神戸を通ったのだが、より右側の東側のほうがきついので、一番ひどかった地域で何時間も止まっていたのである。目の前にあった消防署の建物が一瞬風で浮き上がったと思ったら、次の瞬間倒壊してしまった。
電車は揺れはしたが、ひっくり返ることはなかったが、台風が通り過ぎるまで何時間も車中に閉じ込められたのである。
これが私の台風の一番ひどい経験だが、1960年代も毎年のように明石には台風かきたような気がする。
関東からレースライダーたちが明石に来てた時にも台風が襲来し、当時は関東には台風は来なかったようで、みんな初めての経験でビックリしてたのを思いだすのである。
★台風と言えば、9月以降九州に来るものと思っていたのだが、それが最近は関東方面に行くことが多いような気がしている。今年は特に、関東がいろんな被害にあっているようだが、なぜこのような進路になってしまうのだろう?
素人考えでは、温暖化現象で海面の温度が上がり、台風発生の地点が、従来より北に寄ったのではなかろうか?
いずれにしても、自然災害は基本的に防ぎようがないので、災害が少ない地域に住むことが第一で、そういう意味では安全な地域に住んでいるとも云えるのである。私自身が勝手に思っていることだが、昔から人が住んでいた旧いまちは、基本的に安全である。
仙台に住んでいた時に地震があったのだが、仙台の旧市内は何ともなかったのに、新しく開拓された地域の被害は大きかったし、東北の昔からの旧いまちは、冬雪の降り方も少ないのである。永年の経験から来た『人の知恵』だと思っている。
三木は旧いまちだから、何となく『安全だ』と思っているのである。神戸の隣町なのに、阪神大震災の時も大丈夫だったのである。
今住んでいる緑が丘は新興住宅地だが、なだらかな丘なので幾らか斜めになっているので水に浸かったりは絶対にしないのである。浸水も怖いし、山の近くの土砂災害も恐ろしい。
日本は山国だから、山裾にはいっぱい住宅が建っているから大雨のあとの土砂崩れが恐ろしい。
台風は今日も北海道を縦断中である。札幌に2年住んでいた時は、梅雨も台風とも無縁でいいところだと思っていたのだが、そんは北海道に台風が続いて襲来している。
大きな被害にならなければいいのだが・・・・・
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