★『自彊会』 ムツカシイ名前だが、兵庫県立明石高校のOB会である。
こんなホームページもある。
http://userweb.inets.jp/jikyoukai/
私は昭和27年明石高校卒業のOBではあるのだが、野球部のOB会にはいろいろ関係もしていたのだが、『自彊会』には年会費も一度もお払いしたこともないのである。
それなのに、会報だけは送られてくるのである。
野球の同窓会らしきことも、10年ぐらい前までは頻繁に開催されていたのだが、年々亡くなる人も多く、野球部の同期も残り少なくなってしまっているのである。
私自身は、お蔭様で至って元気にはしているのだが、Facebookにも、明石高校関連でhttps://www.facebook.com/groups/akashihighschool/members/ こんな『秘密の会』があって、740人がメンバーになっているのだが、ひょっとしたら私が一番の年長者かも知れないのである。
★なぜ、突然、こんなことを書いているのかと言うと、今回送られてきた『自彊会だより』の中にこんなページがあって、その記事にある杉山清巳さんもよく存じ上げているし、それに、同じページの物故者の名前に 藤井仁司 の名前があったのである。
藤井もずっと元気でよく電話をくれてたし、杉山さんのことも長寿院のご住職からいろいろと伺っていただけに、お二人とも亡くなってしまって、ホントに『がっくり』とした気分でなのである。
★ 我々が明石高校時代の野球部は名門明石と言われていた。藤井仁司は同期でキャプテンだったし同じ同期に関清永が居るのだが二人とも鷹匠町で家はすぐ近くだった。そして、杉山清巳さんも鷹匠町で杉山さん宅に関がいたのである。
関は杉山3兄弟の末っ子なのだが、関家を継ぐということで『関』を名乗っていたのだが、学生時代、兄貴の杉山清巳さんを引っ張り出していろいろ遊んだりした思い出いっぱいなのである。
この記事の中にある富士金属は、関が独りで創立し、その創立当初苦しい時期に、私も川航の資材を紹介するなど手伝ったりした関は、私の親友なのである。富士金属も順調に成長して、兄貴の清巳さんに手伝って貰っていたのである。
そんな野球部の同期の一種独特の付き合いだったのだが、次々に亡くなってしまって、元気だった関も体調を崩したのか音信が途絶えたし、今同期で元気なのは、ピッチャーをしていた溝畑圭一郎と私ぐらいになってしまったのである。
自彊会だより を見て 先輩の高木太三郎さんや同期のメンバーたちの名前を見てホッとしているそんな心境なので、今まで一度もお払いしたことのない『自彊会の年会費』だが、今回は初めて納入しようという心境になっているのである。