★「敬語の民主化」は不可能だ という産経新聞の正論の記事を読んだ。
子どものころの教育は、身についていて戦前育ちの私は、特に皇室に対する敬意は徹底して教えられたので、その善悪はともかく、皇室に対しての表現は敬語を使うのは当たり前で、確かに『敬語の民主化』は不可能だという意見には賛成である。
朝日新聞と毎日新聞がなっていないという論調なのである。
書かれた概要をある程度詳しくご紹介してみたい。
http://www.sankei.com/column/news/160407/clm1604070004-n1.html
★ 皇室に対する敬語に限らず、年長者に対する言葉の遣い方も日本独特の文化とも言えるべきもので、日本語の美しさなのだろう。
然しこれらは言葉なので、自然に日常生活の中で身についていくものなのだろう。
アメリカで育った孫たち3兄弟は、相手はすべてYou であり、スポーツクラブの年上の人たちにも全然物怖じせず対等に話をするのである。
年長者にちょっと遠慮したりする文化がないのだろう。
昨年だったか、日本に遊びに来ていた時に、ヴィッセル神戸のサッカーの練習に参加させて貰ったのだが、キーパーの特別練習の末弟はともかく、次男のほうは1年上の連中との練習で、どうしても馴染めなくて、2日目は参加しなかったりしたのである。
長男はいま日本の大学にいて、幾らかこのような風習に慣れたのかも知れない。
敬語は美しい襞である。伝統的に守られてきたこの美しさを次世代に引き継ぐべきだ。
この表現もまさに日本的なもので、例えばこれを英訳したら、この文章の感じは表現できるのだろうか?