★『カワサキの二輪の歴史を語れる人』というテーマにしたのは、カワサキの二輪の歴史を語れる人が、ホントに少なくなってしまったという感じなのです。
カワサキの二輪の一貫生産をスタートしたのは、昭和35年です。二輪の一貫生産を明石工場でスタートさせるために、多くの新入社員を採用したのが、昭和35年なのです。
カワサキのZ1開発責任者として知られている大槻幸雄さんの入社はもっと早い時期なのですが、二輪に関係されたのは、昭和35年以降で、多分単車を本格的に主力事業にしようと川崎航空機が決心をした昭和39年度からだと思います。
私は昭和32年度入社なのですが、単車営業に異動したのは昭和36年末で、その時の営業部員は僅か数人の時代だったので、最も旧い部類に属します。
海外市場、特にアメリカ市場対策が本格的にスタートしたのは、昭和40年だったと思いますが、このころのことを語れる方は、本当に少なくなってしまいました。
★アメリカ市場開拓は、前述のとおり昭和40年ぐらいからスタートしたのですが、アメリカのKMCがスタートしたのは、昭和41年(1961年)で来年度はKMC50周年に当たるのです。
カワサキの二輪事業は、それよりも5,6年早く、国内市場ではメイハツ、メグロを継承して、既にスタートしていたのですが、カワサキが本格的に二輪事業に注力したのは車で言えば250A1からと言っていいでしょう。
当時のレースや、アメリカ市場開拓や、国内市場第1線を経験し、それらを包括して解っていた先輩たちはおられたのですが、今ではそれを語れる人は、本当に限られてしまっているのです。
★昨日は、舞子ビラで
大槻幸雄さん、百合草三佐雄さん、野田浩志さんと私の4人で、そんな昔話をしました。
カワサキの二輪をスタートの時点から現在までを語れる人は、極端に言うと『この4人』になってしまったと云えるのかも知れません。
大槻さんは、Z1の開発責任者で有名ですが、最初は国内レース監督からのスタートです。その後GPレースマシン開発を担当し、カワサキの昭和41年FISCOでのGPレースでの監督もされました。市販車の開発を担当されたのは、そのあとで最初に手掛けられたのはH1の開発、その後さらにZ1の開発責任者をされた当時はアメリカKMCとも色濃く関係されています。
私は、この時期は広告宣伝、レースマネージメント、さらには国内営業などを担当し、大槻さんとは特にレースでは、コンビを組んでいたとも云えるでしょう。その後企画部門、カワサキの東南アジアプロジェクト、国内担当など、二輪事業の中枢を歩きましたので、二輪事業の経営的な側面では、一番詳しいと言っていいと自負しています。
百合草三佐雄さんは昭和35年入社、入社即2輪事業の技術部門で、A1開発当時はアメリカ市場に長期出張しアメリカでの実験研究などに当たられたし、その後レース部門も担当し、カワサキのジェットスキーの本格的な事業化は、私の企画時代の推進でしたが、それを援けてくれましたし、KMCの社長時代には、当時の100億円に近かった累損消去を実現したのは彼の時代なのです。一緒に仕事をしたと言い切れる仲間です。
野田浩志さんは、昭和36年入社ですが、国内の第1線長野県を非常に早い時期に経験し、その後、国内本社で企画担当、現在のカワサキの特約店制度の起案は野田さんです。その直後アメリカ市場の第1線営業も経験し、本部企画部門のあとKMC社長も経験した理論派です。明石工場のOB会の会長などもされたりしています。
★カワサキの二輪事業も50年以上となり、KMCも来年は50周年です。
当時、KMCを立ち上げた人たちは、日本人もアメリカ人も、いまはカワサキとは直接の関係はないのですが、当時の想い出みたいなのは強烈にお持ちのようですし、そのあたりのことは、いまの現役諸君には、なかなかすんなりとは理解されない面があるのは当然です。
昨日は、そんな微妙な問題を、何となく理解できる人たちの間での雑談でした。
Kawasak. Let the good times roll! という基本コンセプトは、その50年も前にアメリカ人によって作られました。いまは川崎重工業が使っている Kマーク も、それを最初に創ったのはKMCですし、その源案は、アメリカ人だったのかも知れません。カワサキのカラーとして定着しているグリーンも、アメリカKMCの発想です。
それまでは、カワサキのレースカラーは赤、『赤タンクのカワサキ』だったのです。大槻さんが、レース監督されたGPレースでも、シモンズ、谷口尚己、安良岡健が乗ったGPマシンのタンクは赤でした。そのGPレースにカワサキは、あの鈴鹿のデグナーカーブのドイツ人デグナーを契約していたのですが、練習中の転倒でカワサキのデグナーは実現しませんでした。そんな契約に関わったのは私なのです。
こんな昔話は、当時を知っている人にとっては、いくら時間があっても足りないくらい楽しいものですが・・
いまの二輪事業は、いまの問題を抱えた上での経営ですから、いろいろとムツカシイ面もあるのかと思います。
昨日の雑談の結論は、いまの現役たちの『ホントの意味での応援団』になれたらいいな でしたが、あまり慌てずにじっくりと ということになりました。
それにしても舞子ビラは、いい環境です。