★浜脇洋二さんが今年の日本自動車殿堂入りをされた。
Facebook には写真をつけてこのようにアップしたら、沢山の『いいね』を頂いた。
★浜脇洋二さんは、川崎航空機時代の4年先輩である。
現役時代一緒に仕事をしたことは、ナイと言っていい。
私は会社に入って、現役を終わるまで、『この人にはとても敵わない』と思った方が二人いて、そのお一人が『浜脇洋二さん』である。
その発想も、スケールの大きさも、実行力も 一般の方とは全然桁違いなものをお持ちだった。
もうお一人は、あのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さん、小野田滋郎さんである。
小野田滋郎さんは、 B8の一つ前のB7の時代に国内レースに取り組みカワサキコンバットを創られた、未だカワサキ自販のころである。
小野田滋郎さんの実行力も、仕事に対する迫力も、これは『とても敵わない』 と思った。
同時に、一種独特のモノをお持ちで、ものごとを実現するためには、 ちょっと常人には出来ないようなこともなさるのである。
それが、社内では『問題になる』ことも確かにあったりはした。
然しカワサキの二輪事業は、もし浜脇洋二さんのアメリカがなかったら、当時の三菱や、富士重や、ブリジストンと同じように、二輪業界からの撤退の道を選んだに違いない。
そんな大企業が撤退する中で、カワサキだけが生き残ったのはアメリカ市場があったから、ということは間違いない。
当時一課長に過ぎなかった浜脇さんは、間をすっ飛ばして川崎重工の四本潔社長と直接組まれたのである。
ちょっとアメリカが傾いた時に、いろんな人達が浜脇さんの足を引っ張ったのも事実だし、私は当時の単車の企画にいたので、その経緯はよく承知しているのである。そんなこともあって、浜脇さんはアメリカから、直接本社に戻られ、さらにニューヨーク事務所の社長になられたのだが、そこから日本のBMWに引き抜かれて、日本BMWの社長として国内のBMW販売網を再構築されたりしたのである。
私自身は、ある意味『浜脇ファン』で 、『浜さんがBMWの社長』になられたので、4輪はBMWにしたし、その後BMWを乗り継いでいるのである。
★そんな浜脇さんだから、 カワサキにおられたのは途中までだし、定年で退職するときにその会社にいた人だけをOBと呼ぶ日本のしきたりでは、浜脇さんは川崎重工のOBではナイのかも知れない。
そのあたりの発想が日本独特で、今回の浜脇さんの受賞に関して、BMWはドイツの本社からも、日本のBMWからも、お祝いの席に出席されるらしい。
果たして、川崎重工はどのような対応をされるのだろうか?
川重の通常の発想なら、浜脇さんは途中退社された方だから、直接は関係がナイと判断されるのは当然なのである。
ただ、自動車などの関連業界では、Z1の40周年記念のイベントにはかってのKMCのメンバーが多数集まって会合を開いたり、国内販社のKMJのOB会は、販売店独立で辞めた人達なども含め、1日でもKMJに籍を置いた人はOBとして扱っているのである。
そう言う意味では、浜脇さんに対するBMWの対応の方が、自動車業界の常識としては当たっている。
今回の受賞は、『日本自動車殿堂』と言うアメリカの『自動車殿堂』 からの影響を受けて創られた組織なので、
自動車業界の常識で対応されることが一番大事なことではなかろうか?
なかなかムツカシイ判断だとは思うが、
日本の自動車業界の一員としてのお祝い事だし、・・・間違いなく受賞の理由の一つがカワサキに関することなので・・・・・・・・
表彰式は11月10日、11時と言うから、もう時間もないのだが・・・・・
『そんなことは知らなかった』 と言われないために、昨日から情報提供をしているのである。
先日のノーベル賞の受賞でも、同じようなことがありましたが・・・・・・・・
時代は、永年勤続から変わろうとしている。