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2006年(平成18年)73歳、この年から生活のパターンが変わった。

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★2006年、73歳。

今から6年前である。

この年から、私の生活が新しく始まったと言ってもいい。

現在の日常生活のパターンはこの年の延長線上にある。

カワサキ時代からお付き合いの仲間たちは除いて、今いろんなところで関係している人たちは、すべて2006年以降にご縁が出来て出会った人たちである。

疎遠になっていた昔の仲間たちとの交際も復活して、今は不思議なくらい日々が活発なのである。

 

★2006年とは、どんな年だったのか?

1月にはホリエモンのライブドア問題が発生した。

ホリエモンは逮捕され、ライブドアは上場廃止に追い込まれた。

株などやったこともなかったのに、ホリエモンのファンだったので前の年に7000株ほど買い込んで、めちゃ儲かったと思ってたら、紙切れ同然になってしまった。

処分などは一切考えず、記念に今でも持っている。

 

2月に『ひかり』にしたら、旧いパソコンはそのスピードについていけずに、2台目のノ―トパソコンを買っている。

そのころは、検索専門みたいなもので何もやっていなかったが、

5月からはメール、

9月からは、ブログにハマって、現在の生活に繋がるパターンとなったのである。

 

3月には、WBC 第1回世界チャンピオンシップがあって、決勝でキューバを破って優勝している。

松坂はMVPに選ばれたりしている。

 

★生活のパターンが変わったきっかけは5月からである。

なぜそんなことになっていったのか?

その詳細は、改めて書くとして、

時系列に追っかけてみると、

● 4月の中旬、三木市の薮本吉秀さんの市長メールに投稿したのである。

何事も何かのきっかけでハマってしまう性格で、5月2日には2度目のメールを出し、これは続くなと、思ったものだから3通目からはNO.003とNOをふって、いろんな提言をしたりした。

その後いろいろあったが、7月初めまでにNO.40までになったのである。

 

●8月からは全国各地の行政など調べていたら、高槻市に出会って、(その時には既に武雄市長になられていなのだが)市長公室長だった樋渡啓祐さんに出会っったのである。

樋渡啓祐さんに出会っていなかったら、ブログなどは始めていなかったかも知れない。

 

● 2006年9月9日、『美しい』と言う表題で、たった4行のブログを、それこそ『おそるおそる発信』したのである。

9月中に1000のアクセスがあったり、10月20日には初めてアクセスが100を超えたりして、

カワサキの昔話など書いたら、『ダ―トヌポーツ』などにリンクされて一気に700近いアクセスが来たりして舞いあがってしまったのである。

 

●更に、11月25日には、武雄市長に既になっておられた樋渡啓祐さんから、ブログにコメントが来たりして、その後武雄とも繋がっていくことになるのである。

 

★ざっと言うと、そんな年であった。

ベースにあったのはネットの世界なのである。

その具体的な中味はどんなことだったのか?

 

このきっかけになったのは、

三木市長の薮本吉秀さんである。

『三木市のイメージ向上』などと言う難しい目標を掲げるものだから、手伝おうと言う気になったのだが・・・

6年経った今、三木市は全然おかしな方向になってしまった。

 

この年の薮本さんなら、何とかなると思ったのは、やはり錯覚だったのかも知れない。

 

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日本一美しいまちをめざして(2006年、自分史)  

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★昨日に続いて2006年73歳の自分史である。

6年前のことだからこのころのことになると日記を頼らずともよく覚えている。

この年三木に新しいし薮本吉秀市長が生まれた。

三木に住んで35年を越えてはいたが、それまでは三木市の行政など一切関心なく、三木市はまさにベッドタウンで夜寝るために戻ってくる町であった。

ずっと市長の名前すら知らなかったし、新しい市長に投票したわけでもない。市長選挙も市会議員選挙も行ったことがなかった。

4月に三木市の広報に新市長の方針が載っていて、

1.健全財政

2.市民参画

3.ビジョン、三木のイメージ向上

の3つが示されていたのである。

 

健全財政や、流行の市民参画などどこの市でも言うことだから何の関心もなかったのだが、

3番目の『三木市のイメージの向上』に大いに興味、関心を持ったのである。

 

★『イメージの向上』は私自身現役で『二輪車のイメージ向上』に何十年も取り組んできたテーマなのである。

『イメージ向上』は数値目標などの『出来た』と言える簡単な課題ではなくて、自分では評価することの出来ない『他人の評価』なのである。

そんな難しい課題を目標に上げる市長はよほど自信があるのか、真面目なのか?

大体日本のトップは『出来た』と言うことのできない理念やイメージなど目標に上げる人は少なくて、『出来た』と言うことが出来る『数値目標』などが好きなのである。

 

特に『イメージ向上』については、自分なりに積み上げてきたノウハウもあるし、

新市長さんがそんな高次元の目標を掲げるのなら、お手伝いをしようかと思って、4月の半ばに市長メールを差し上げたのである。

丁寧なご返事を頂いて、5月に入って、『イメージ向上』と言うには、『あまりにも三木市のホームページはお粗末である』という市長メールを送ったのである。

そのメールにも具体的な反応があって、これは続くなと思ったので、3通目からはNO.3とNOを付してお送りしたのである。

 

その後、いろんな経緯はあったが、市長メールはNO.150を越えたのだが、途中から薮本さんでは『実現不可能』と諦めてしまったのである。

7月の初めまでにNO.40にもなったのだが、だんだんと解ってくると、これではダメだなと思ったので、

その理由を書いて、実現の可能性もないので、『もうやめる』と書いたのである。

 

★それに対して、薮本市長直々のメールが来て、

平成18年7月31日の庁内会議で、

『私の市長メール』に絞っての真剣な討議がなされたのである。

これがその議事録である。 どれだけ熱心であったかお解り頂けると思う

その議事録にはこのように書かれて、会議が進行しているのである。

 明日から8月。薮本市長が就任して、6か月が経ち、この庁内会議も軌道に乗ってきました。
またこの間、市民の皆様からは、タウンミーティングや市長デスク、市長メールで市政の改善に関する数多くのご意見や叱咤激励をいただきました。
そこで、薮本市政の6か月を振り返り、これからの市政の運営に当っての夢・ビジョンづくり、トップマネジメント層の責務について協議をしました。

市長就任に際し、「?財政改革、?市民参画、?夢・ビジョンづくり」の3つの大きな目標を掲げて市政を進めてきました。
・・・・・・・・・・夢・ビジョンを市民の皆様にお示しし、これを共有していくことは、とても難しいことですが、・・・・・・・・・・・・
ホームページをリニューアルしていきます。市政情報をお伝えするもう一つの手段としてホームページがありますが、・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・

市長メールには貴重な提言をいただいています。その中で、ある市民の方から、ここ3か月に44件の市長メールをいただきました。中立公平な視点で、民間の経営感覚をもとに、建設的で斬新な提言をいただいております。・・・・・・・・・・・・

 

★このような会議が開催されたので、『気を取り直して』もう一度提言を続けることにしたのである。

この会議で決まったのが、

『日本一美しいまちをめざす 』という基本コンセプトなのである。

このフレーズも、私の提言の中に入っている。

これは私が発案したのではなくて当時薮本市長が言われていたのは、

『旧いまち、新しいまち、や合併した吉川町との調和、旧い伝統と新しい発想との調和』などを言われていたので、

『美しい』と言う日本語の意味にある『調和』から、心の問題、人の生きる姿勢、『美しい行政』を目指して、

更には、兵庫県のスローガンは『美しい兵庫』を何年も掲げてきているので、県庁から来られた薮本さんの目指す方向としてはいいと思って提言したのである。

 

殆どの方が、よく間違われるのは、『美しい』という言葉と『綺麗』を一緒にしてしまうことである。

『美しい』は『綺麗』=美観などとは全く異なる、人の心、生き方の態度の問題なのだと思っている。

 

★そんな経緯もあって、

この年の9月にブログをスタートした時、一番最初に書いたブログが『美しい』と題した4行のブログからスタートしているのである。

 

あれから6年の月日が流れて、

三木市長の薮本さんとは、今は完全に離れてしまっている。

あの頃の、薮本さんはどこに行ってしまわれたのか?

『美しくない行政』には、私はどうしてもついていけないのである。

 

昨日、いつもこのブログを読んで頂いている、『ぼっけもんの修さん』から、

Facebookでも、こちらのブログのコメントにも、

藤田 修司 おはようございます。バンコクからコメントしています。
行政にたよらずに三木のイメージ向上の取り組みをぶれずに進められてますね。その効果が少しずつ出てきているのではないでしょうか。そう感じます。 三木というエリアというか空間の質の高さが受け止められてきたのではと思います。   こんなコメントを頂いた。     『日本一美しいまちをめざして』 『三木のイメージの向上をめざして』   今でも、仲間たちと頑張っているのである。 そんなスタートの年の2006年だったのである。      

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高質な?「わがまち」緑が丘

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★三木の緑が丘町に住んで、もう40年にもなる。

全国の方からみると。『三木って、どこ?』という感じだろうが、神戸と一番長く境界線を接している神戸の隣町なのである。

今から40年も前に、大和ハウスが一帯の丘陵地を造成して広大な宅地を造ったのである。

造成をするときは、水利権があって、以前の山水が流れた通りに勾配を造らねばならぬようで、平らなところは殆どないなだらかな坂道の住宅街である。

そんなカーブと坂道が独特の雰囲気を醸し出して、地価も決して高くはないので、高級住宅地とは決して言えないが、間違いなく『高質住宅街』なのである。

マンションが規制されているから、アメリカのまちのように一戸建てばかりなのである。

 

★最近、一念発起して、この町の中をあちこち毎日1時間ほどの散歩をしている。

昨日は、このブログに書くために、コースを決めて歩いてきた。ちょうど予定通り1時間の散歩だった。

 

★神戸電鉄の緑が丘駅の地図である。

我が家は駅からちょうど1キロの緑が丘西町なのである。

今日の散歩は、我が家から廣野ゴルフ場の方へ行って、緑が丘駅を回って戻ってきた。

それでちょうど1時間かかった。この町が結構広いのがお解り頂けると思う。

この地図に載っている住宅街だけで多分3万人近いのではと思う。

 

周囲に緑の部分が多いが、それだけ自然が多いと言っていい。

歩いた通りに写真で紹介してみたい。

まず、我が家から三木のまちの方に向かってなだらかな下り坂である。ずっと遠くに見えているのが志染のまちである。

 

トーホーのある交差点、このあたりが緑が丘の最低点だと思う。大雨が降ると水はここに流れてくるが、決して貯まったりはしない。

 

交差点から坂道を登りきったところにある楠である。

開拓をしたときに植えたそうである。40年の月日を経てこんなに立派になった。記念樹にして碑を建てようと言う動きもあると言う。

植えた人たちにとっては懐かしい想い出なのだと思う。

 

楠の横の階段を登りきったところからである。 春にはこのカーブの桜も綺麗である。

 

そして踏切を渡ったところにある『ときわ病院』  三木は大きな病院の多いまちで近くに数えただけでも6つもある。

だから、市民病院の経営が難しいのかも知れない。

 

そして、ここが廣野ゴルフ場前駅である。いまどき電車に乗ってゴルフ場に来る人もいないのだろうが、

ゴルフ場が出来た当時は車など持っている人は、少なかったのだと思う。少なかったと言うよりもいなかったのかも知れない。

ちなみに開場は昭和7年(1932)、私の生まれる1年前、80年も前なのである。

 

駅を写した同じ位置から振り返って見た、廣野ゴルフ場である。

流石の風格である。

 

そして、同じ位置から神戸三木線、この道にそってゴルフ場がある。

この位置まで、家から歩いて15分であった。家から一番近いゴルフ場なのだが、残念ながら今は行く機会が全くといいほどない。

 

廃線が言われている、『神戸電鉄粟生線』も道と並んで走っている。

 

この道から、今は、フェアウエイが見えたりするほど、整備されている。

70歳になったっ時に、あまりに草ぼうぼうで汚いので、廣野の乾理事長あて、『社会に面しているところは、もう少し整備されるのが、社会的責任』と手紙したら、

鄭重なご返事を頂いて、それ以降毎年非常に綺麗に手入れされているのである。

 

廣野ゴルフ場駅の次が緑が丘駅で、最初の地図もこの駅前広場の掲示板なのである。

ここまでが、家から35分ばかり、ここから坂を下って家まで20分ぐらいである。

 

これは、緑が丘駅前の山本医院さん。

NPO The Good Times の団体会員さんだし

『粟生線の未来を考える会』の世話人代表をして頂いているので、ちょっと広報を。

若し、神戸電鉄が廃線になったりしたら、駅前立地が台無しなのである。

 

ここからは、坂道を下っていく。

最近は、シャッターが下りているところもあるが、商店街なのである。

 

そして、坂道を下ったところがコープ。

その駐車場横のトイレ、カラ―に塗られているが、まちの芸術家『かよちん』さんと、中学生たちの作品なのである。

 

   2008年12月とサイン入りである。

そして、ひと廻りして戻ってきた。

ちょっと見えにくいが右にある『SSS進学塾』、NPO The Good Times の団体会員さんである。

 

★ 一回り、ちょうど1時間だった、毎日同じルートではなくいろんな道を通っている。

車とはまた違った目線になるので新たな発見もあるし、寄り道も出来たりする。

さんさんギャラリーでは、『ザグのステンドガラス展』をやっていたが、これはまた明日、別のブログで・・・

まあ、こんなまちなのである。

私自身は、結構気に入っている。

住めば都とはよく言ったものである。

三木もいいが、緑が丘は中でも一番いいなどと思ったりしているのである。

 

 

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カワサキワールドな1日でした

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★昨日は、カワサキワールドな1日でした。

朝から、三木のまちを、thiraiさんとカバン屋さんの3人で出発して、神戸、灘の金谷秀夫のお店『山ぼうし』を訪ねることから始まりました。

スタートから最後まで、写真のアルバムは、こちらです

 

土曜日はお休みなのに、特別に店を開けて頂いて、こちらで昼ご飯を。

登山さんは一度お店をお邪魔したしたことはあるそうですが、確り繋がったのは今回初めてのようでした。

平井さんがいると、休みでも店を開いて貰えるなど、得な性分です。

金谷とも久しぶりで、いい話いっぱい出来ました。

 

昼ご飯を頂いて、カワサキワールドへ、こちらはその事務所です。

責任者の三浪さんに、シャッターを押して頂きました。

三浪さんのお父さんにはお世話になりました。三浪さんのホントにまだ子どものころから知ってます。

 

金谷がカワサキにいたころ、レーシングチームのメカニックをしていた、吉田義正くん。たまたま説明員の当番日で。

お二人とも、何十年ぶりの再会です。 私がいなければ、解らなかったのかも知れません。

 

これもまた、たまたまですが、

『孫文を語る会』の事務局長中村君も来ていました。

これは、Z1会でご一緒の顔馴染みです。

一番左が三浪さん。

 

 

肝心のカワサキワールド、レーシングフェアには、

グリーンなマシンばかりを集めて、懐かしいマシンや写真がいっぱいでした。

 

 

MotoGP で活躍した中野真矢選手のサイン会は長蛇の列の出来る盛況でした。

その列の最後尾から、ちゃんと並んでサインを貰った往年のスターライダー世界の金谷秀夫。

長い時間並んで、自らのジャンパーを脱いで、サインをして貰っていました。

簡単なようで、なかなか出来ないことだと思います。

こんな金谷が好きなのです。

 

会場には、平井さんが来ると言うことで愛弟子、腰山峰子さんもやってきました

腰山峰子さん、かっては鈴鹿サーキットを、時代もマシンも違うとはいえ、金谷が持っていた記録2分40秒前後で走りきったとか、

今は関西では有名な人間国宝です。

その横のSonoko Kusumotoさん

今はアールエスタイチにお勤めで営業を担当だとか。

多分昨年の『カワサキの想い出、そして未来』ではお会いしたのでしょう。

ツイッターでも、Facebookでも毎日お会いしています。

BERTを手伝っていて、今回の『笑って遊ぼうミキランド』ではお二人とも実行委員に名を連ねておられます。

 

★カワサキワールドのぼけちんさんこと吉田さんとも久しぶりに会えたし、

なかなかいい『カワサキワールド』の広がったいい1日でした。

 

昨今の有名ライダー中野真矢さんとも会えたし、これを機会にまたどんな未来が待っているかも。

 

★最後に、カワサキワールドで出会ったファンの方。

金谷秀夫と平井稔男、お二人のサインを貰ってご機嫌です。

お二人とも、まだまだ『有名人』です。

ちゃんと、サインの字になっています。

 

平井さんのブログはレーシングフェア3連ちゃんです

 

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昨日の散歩

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★先日、『高質な?わがまち緑が丘』と題して、散歩のブログをアップした。

最近、一念発起して、1時間の散歩にチャレンジしている。

78歳もあと4日ほどだし、少しだけ体重を落とした方がいいかなと思っているのである。

今体重は81キロ台までは落ちた。2キロほどは落ちたのである。

 

100キロを超す巨漢のカバン屋さんが、最近は散歩だカロリーだと言ってるので、『幾ら落ちました?』と聞いたら5キロ減ったそうである。

 

★気持ちよく歩ける場所はいっぱいあって、

昨日は、カバン屋さんが行くという、『緑が丘の最高地点』まで行ってみたのである。

上の地図で言えば、

左上の関西国際大学な左の道、神戸市との境界線の辺りまでである。

家からの往路はなだらかな登りである。ちょうど35分かかった。

 

こんななだらかな登り道、ここは緑が丘ではなくて、隣町の青山なのだがどこが境界なのかよく解らない。

この道は、国体の時に天皇陛下が通られた道である。

登りつめた分水嶺のところが関西国際大学である。

この道を同じ場所で振り返るともう山なのである。

そして100メートルも行くと、こんな看板がある。

ホントにイノシシなど出るのだろうか?

キツネはいっぱいいるようだが。

そして、そこから200メートルほど歩けば、カバン屋さんの言う『最高点』である。

そこからの眺めは、

 

こちらは、三木の方向、

真っ正面の高い建物が、グリーンピア三木の展望台である。

多分、ここよりは高いだろう。

そこからの眺望は抜群である。

ご覧になりたい方はこちらをどうぞ。ちょっと普通では観ることのできない眺めである

 ちょっと寄り道したが、こちらは海の方向、天気がもう一つだったので解り難いが、山の上にうっすらと見えるのは、明石大橋である。

右上の山は明石海峡の向こうの淡路島である。

 

そしてこちらは、神戸の方向、向こうの山が、六甲山である。

 

こんな標識が埋められていた。

 

帰り道は、一方的な下り道、すぐこんな町の中に出た。

 

直ぐヨコに信号待ちで止まっていた神姫バスの三ノ宮直行便、ここから40分ほどで三ノ宮に着く。

 

昨日は1時間と10分ほどの散歩だった。

 

 

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人の進路

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★入学試験の季節である。

息子の方の孫が大学入試で、なんにも言って来ないので、どうなっているのかと思っていた。

息子や娘の入試の時も、その成否に不思議なほど関心がなくて、『何とかなるだろう』と思っていたし、

若し、『何とかならなくても』そんなことは『大したことでははない』とも思っていた。

 

人の進路はいろいろあって、大学でも入社でも、それによって『方向』が幾らか変わるかも知れぬが、

ちゃんと生きていれば、『ちゃんとなるものだ』と思っている。

『結婚』なども、『ご縁』とか『運命』がそうなっているのだと思う。

そんなこともあって、息子や娘の進路も殆ど構った事はない。

 

★そんな孫から、昨日電話があって、『通った』という。

『どこに?』と聞いたら、いろいろ幾つも言うのである。

『そんなに受けたのか?』と聞いたら、大体9校が平均で、自分は8校だから平均よりは少ないのだと言う。

昨日の段階で、私立校は第1志望が通ったのだが、国公立の発表が未だだから、それに通ったらどちらに行くか検討するのだと言う。

昨年のことを考えたら『贅沢』なことである。

 

高校は日大三校に行っていたので、日大に行けばそのまま行けたのに、他を受けてダメで一浪していたのである。

昨年受けてダメだったところを、幾つも通ったということは、それだけ1年の間に実力が付いたということなのだろう。

大体、大学に入ってしまえば勉強をしないのが普通だから、1年間確り勉強をしたことは、よかったのかも知れない。

 

★人間、そんな環境にならないと勉強しないものである。

自分のことで言うなら、運がよかったのか、通るような環境にあったのかは定かではないが、『試験』と言うもので落ちた経験はない。

大学も1校しか受けなかったし、受験勉強も、父が正月に亡くなって1月半ばから始めたので通る訳がナイと思っていたのに通ったのである。

大学を卒業するときに、先生に『なぜ通ったのか解らない』と言ったら、『君は県会議長が頼みに来た』などと言われるので、

『県会議長が頼みに来たらみんな通るのですか?』と聞いたら、『そんなことはないけど、当落線上ではね・・・』などと言われていた。

そんな時代だったのである。まあ運が良かったと思った方がいい。

 

そんな自分の人生で、勉強をした時期は、

小学校の時、戦時中だったが外地に居て空襲も、疎開もなかったから、ちゃんと勉強をした。

中学校も、神戸一中に何となく無試験で入れて貰って、父が『入れてやったのだからちゃんと勉強せ』ときつく言うものだから、この2年間は、猛烈に勉強した。

学年で50番以内を『特』と言っていたのだが、常に『特』だったし、10番以内にいたこともある。

 

学校で勉強したのはこの時期までで、中学3年は男女共学のいなって、高校は学区制で転校したら、レベルが全然違って、大学を含めて野球はしたけど勉強は一切していない。

だから、自分の学歴は『中学卒』だと思っている。

だから『大学卒』などという経歴には一切拘らずに、会社の仕事や人事などやってきた。

不思議なくらい『大学卒』より『高校卒』の人の方が実力が会ったような気がする。

 

商大なのに授業に出ないと単位の取れない『簿記』は取らずに卒業したが、

会社に入ってからは、結構勉強した方である。学問の知識も要るなと思った。

何故か?『他人が言っていること』が解らなかったからである。 『不勉強』はダメだなと、つくづくそう思った。

 

だから、そんな環境に置かれたら、人は勉強するものである。

孫も、1年浪人して、勉強する期間があってよかったなと、ホントにそう思っている。

去年そのまま通っていたら、その程度の力しかついていなかったはずである。

 

★人の進路は、運みたいなものである。

何が、よかったのか悪かったのかは、解らないのである。

置かれた環境の中で、最善を尽くしていれば、おのずから運は拓けるのではないかと思う。

息子の孫は鎌倉だが、

娘の孫たちはアメリカである。

 

そんな環境は、自分が背負った運なんだから、その中で頑張ればいいと思う。

鎌倉の孫は、何となく英語が好きでそんな方面を学びたいようなのだが、

アメリカの孫たちは、英語の社会の中に居るので小学校で英検2級を取ったりしていたが、それもまた環境なのである。

 

いずれにしても、人生の進路が決まっているわけではない。

自分で今歩いている道を、確りと歩けばいいのである。

 

★私自身、あと3日で79歳になる。

こんな歳になってもまだ、これからの自分の進路は、よく解らない。

昨日、電話をかけてきた孫が、大学の入試に小論文があったので、『私のブログ』から選んで書いたとか言っていた。

『何を、どのように書いた』のかは知らぬが、その大学に通ったのでよかったと思っている。

ただ、まだどこに行くのかは決めていないらしい。

 

私が、全然構わなかったので、そんなものと思っているのかも知れぬが、

息子は孫の進路など一切関心を示さずに任せ切りのようである。

 

3月中旬に鎌倉に遊びに行くことになっているが、そのころまでにはどこに行くのかぐらいは決めているのだろう。

呑気な事を言っているが、二浪にならなくてよかったと思っているのは本心である。

一番喜んでいるのは、ノンちゃんに違いない。

おめでとうございました。

 

 

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KAZE

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★ KAZEの機関誌が送られてきた。

二輪車の方がVOL .220   JET SKIは、VOL. 206 である。

 

カワサキの現役を離れて、もう10数年にもなるが、時代もどんどん変わって、当時にあったものもどんどんなくなってしまった。

今残っているものは、と言えば何があるのだろう?

SPA直入 と 岡山のショールーム、 玉津の部品庫、ぐらいなのかも知れない。

仙台や大阪などの営業所なども、残ってはいるのだろうが建物は新しいものに変わっている。

 

そんな中で、殆ど昔のままの形で残っているのが、KAZEの機関誌だと言ってもいい。

VOL.200 をいずれも越えたということは、もう20年以上も経ったのだろう。

 二輪車の方は未だに現役のKAZE会員で、ちゃんと年会費を払っている。

ジェットスキーの方は、KMJのご好意に甘えて贈って貰っている。

 

★Kawasaki Amusing Zone for Everybody の頭文字を取って『KAZE』なのだが、

誰が名付けたのか、よく覚えてはいない。

年会費3000円を頂く、会員カードは、JCBカードとの提携にしよう というのは私自身の発案だからよく覚えている。

なぜ、そんなことを考えたのか?

 

当時、ホンダさんのHARTは、公称10万人の会員と言われていたのだが、『そんなにいるはずはない』と私は思っていた。

年会費を取る限り、1年後には必ず期限が来る。10万人も会員がいたら1ヶ月に1万人近い会員の期限が来るのだから、その月に1万人を集めない限り10万人は維持できないはずである。そんなことは、如何にホンダさんと言えども、無理だと思ったのである。

JCBカードにしたら、『止め難いはずだ』という仮説でJCBと提携をしたので、カッコよさもあったが、実質的な会員確保対策だったのである。

その後の実績は、期限が来ても止める人は10%で、90%は自動更新だったから、実質的に最高55000人まで増え続けたのである。それ以上は行かなかったのは、月500人を集めるのが精いっぱいだったのである。

当時の4メーカーでKAZEの会員数はダントツのトップで、どんなイベントをしても圧倒的にカワサキだったのである。

 

★この会員数確保のノウハウは、年会費を徴集する限り、会員数の確保には限度があることが解っているので、

現在関係しているNPO The Good Times の会員さんは、入会金だけで年会費は頂いていない。

会員数は増える一方で、終身会員だから減ることはないのである。

今、7000人ぐらいだが、今年中には万になり、いつかKAZE会員よりは多くなるのだろうと思っている。

年会費を頂かなくてもやっていけるのは、NPO法人であるということと、徹底的なネット利用だから『経費が発生しない仕組み』だからである。

 

こちらが二輪車で、W800が表紙を飾っている。

 

そして、こちらがジェットスキーの機関誌の中身である。

 

★なぜ突然、KAZEなのか?

実は、さるとるさんが、突然『みき』はライムグリーンが似合うまち などと言いだしたのである。

そしてどこで見たのか、『KAZEの機関誌がどうの、こうの』などと言うものだから、ちょっと思いだしたのである。

 

さるとるさんは、今回5月20日にある

BERT主催の『笑って遊ぼうミキランド』の実行委員長など引き受けて、今そのバトンリレーなど手伝っているので、

ひょっとしたらバイクにかぶれたのかも?

何でも繋いで考える人だから『風車で発電できましたよね?』などと電話をかけてきた。

その風と KAZEをどうやら連想しているようである。

そして潮流発電などと言いだした。

確かにノヴァエネルギーの鈴木清美さんは、風車の発電も手掛けておられるのである。

 

何はともあれ、『笑って遊ぼうミキランド』なのである。

結構、いいメンバーが集まっている、

 

 

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NPO The Good Timesの団体会員プロジェクト

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 ★NPO The Good Times の団体会員に一昨日は、

 

 SRS400 500 SNS というヤマハのSR400 500関係のグループが参加された。

どちらかというと、二輪はカワサキ系だと思われているので、カワサキ以外の方が大歓迎である。

『異種、異質、異地域をみんな繋いで・・・』という基本コンセプトから言ってもその方がいい。

 

NPO The Good Times もようやく一般に認知されて、本来の活動の形になりつつある。

、『公共の交通ラクダRACDA』 という全国組織の団体からも、入会の打診があったり、

東京の『Necco』 という団体からも、会員カードをつくりたい、という相談が来ているのである。

 

★私自身、現役で会社に居た40年間を

『新しい仕組み構築』という殆どの方が経験されない分野ばかりをやってきた。

その経験から言っても、

NPO The Good Times の仕組みシステムは、

『ネットという現代の最新のシステム』と

『非営利活動法人NPOのシステム』を組み合わせて、

自分で言うのもおかしいのだが、『最高の仕組み』に仕上がっている。

 

末端の消費者や、ファンや、市民どなたでも、個人レベルを組織化して、

『何かをやろう』と思われる方にとっては、

大企業でも、行政でも、中小企業でも、個人企業でも。日本でもアメリカでも、

『その気がある方』なら、最高に機能するシステムなのである。

 

一番新しくプロジェクトを立ち上げられたのが、『孫文を語る会』である

兵庫県も後押しする『孫文記念館の活動』だから、その期待に応えたいと思っている

 

★最近、入会申し込みが続いたので、

未だホームページに説明していない『団体会員プロジェクトの説明文』を昨日つくって、横浜の『まっしま』さんに送ったところなのである。

近々ホームページに記載されるが、

このブログの読者の方に一足早く、ご披露しておこうと思う。

『いいな』と思われる方は、是非ご参加ください。

『システム』とは、『上手に利用される方』だけに、ちゃんと機能するものなのです。

 

ブログでも、ツイッターでも、Facebookでも、それは同じです。

 

 

団体会員プロジェクトについて

 

ホームページの右上に『団体会員プロジェクト』というバナーが貼られています。

『団体会員プロジェクト』について簡単にその概略をご説明します。

団体会員にご入会頂いた方は、是非団体会員プロジェクトをおやりになってより楽しい独自のネットワークノ創造を試みてみて下さい。

今後、団体会員に入会される方は、是非このプロジェクトにご参加下さい。

 

NPO The Good Times は、『ネットワークシステム』そのものなのです。

非常に単純に、『団体会員』と『個人会員』の二つの会員さんを、極力ネットの世界で結んで、『異種、異質、異地域をみんな結んで楽しくいい時を過ごそう』という基本コンセプトの展開を図っています。

『個人会員』は、入会金1000円だけで、終身会員です。

そして会員カードが発行され、それを提示することで、各団体会員の提供する特典を享受することが出来ます。

『団体会員プロジェクト』は、独自の会員をネットワーク化したいというご希望のある団体に対して、独自の個人会員カードの発行が出来るシステムです。

 

『団体会員プロジェクト』にはこんな利点があります。

● そのグループ独自の会員をネットワーク化することが出来る。

● そのグループ内の特典などが受けられるのは一般のカードシステムと同じですが、NPO The Good Times の各団体が提供するすべての特典を受けることが出来る。

● 会員の集め方は自由ですが、その管理はそれぞれの団体会員で行うものとする。

● 会員カードの制作費は、NPO The Good Times が負担する。

● 団体会員独自の会員募集の規模は、300人(40%)、500人(50%)、1000人(60%)、2000人(70%)、5000人(80%)の5段階があって、集めて頂いた会員数に対して、(  )の中の%を『活動助成費』として、NPO The Good Times から、団体会員に支援しようというシステムです。

● 例えば1000人を集める計画の団体には、個人の入会金1000円の内、600円は助成費としてお返しするシステムです。会員を集めて頂くだけで、団体会員に活動費が出来る仕組みです。

●独自のカードとはこのようなものです。これはアメリカの団体会員、DANTHREEの独自カードです。ネット展開ですから、アメリカも隣町も同じです。

 

 

この団体会員プロジェクトを希望される団体会員は、既定の『団体会員プロジェクト申請』を提出頂き、NPO The Good Times の理事会で承認されることが必要です。その段階で申請プロジェクトの内容により、助成率が理事会により承認決定されます。

より細部の規定などもありますが、『団体会員プロジェクト』申請の意思表示があった段階で、より具体的にお知らせいたします。

このNPO The Good Times は、『異種、異質、異地域』を対象とし、それに柔軟に応えることが出来るように仕組まれています。

各団体会員の独自の希望に柔軟に対応できますので、まず『やってみよう』という意思表示を示されることを期待します。

 

 

なぜこんな『行政のようなシステム展開』が可能なのか?

その理由は大きく二つあって、

1. 殆どのシステムが『ネット利用』のため、『システムの向上』以外は、すべて無料なので、月々の費用が発生しません。

2. 非営利活動法人であるため、人件費も発生しませんし、事務所も、電話も、紙の資料も、実質持っていませんので、ここでも費用は発生しません。

個人会員の年会費がNPOに入金されても、使うところがありませんので、その殆どを集めて頂いた団体会員に助成しようという『基本システム』なのです。

 

 

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女性の買い物

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★家内は車の免許を持っていない。

だから、ちょっと遠い所とか、重い荷物のある買い物とかは、私が専ら運転手を務めている。

もう何十年もやっているから買い物などに付き合うのも、特に苦にもならないのである。

と言いながら、現役のころまでは、間違いなく『夫唱婦随』で、手伝いはするのだが時間や場所など決めたりするのも、私が主導権を持っていた。

 

★ところが、いつのころからか、

『夫唱婦随』は、『婦唱夫随』に変わってきて、最近はすべて家内の言う通りに動いている。

特に自分でコントロールしなければならない『仕事』など皆無で、すべてが自由時間だからだろう。

昨日は、久しぶりに神戸の西神に買い物に行きたいという。

途中、ちょっと野菜を買いたいなどと言うので、付いて行ったのである。

 

 

★まず、農協がやっている『六甲のめぐみ 屋台村』 である。

西神の入り口にあって、新鮮なのか、安いのかいつも賑わっている。家から車で15分ぐらいのところである。

 

 

中は結構広くて、

 

野菜などもいっぱいある。

 

同じ野菜でも出品している農家ごとに少しづつ違うから、選ぶのに大変なのである。

男の客もいるが、圧倒的に女性が多い。

 

いつも思うのだが、女性はなぜ、買うモノを簡単に決められないのかと思う。

兎に角、手にとって触ってみる。重さをはかっているのか、手触りで判断するのか?

手にとって、選んでそれで決めるのかと思ったら、そうでもないのである。

また棚に戻したりする。

『安くていいものを』というのはそれでいいのだが、広告のチラシなど持ち歩いて『広告の品』ならそれでいいのである。

『広告の品は安い』と言うのだが、『それが幾らだったか』は、覚えていなかったりする。

 

このトマトも、手には取ったが、

 

このかごに収まったのは、そのトマトではない。

そんなことで、これだけしか買わないのに、時間だけは結構掛るのである。

総額が2000円ほどだったから、やはり安いのだと思うが、一番高かったのは、私が取ってきた『いちご』550円だった。

 

出たところに、魚屋があって、

メイタかれいが2匹で1000円、あぶらめは2匹で500円、写真では解らぬがどちらも生きて動いていた、明石の魚である。

この下に『あかナマコ』を売っていた。

これは1匹200円、これも生きていたから『このわた』ツキである。

私は『ナマコ』は好物で、買いたかったが、今からそごうに買い物なので諦めた。

 

★そこから5分ほどで、西神そごうである。

流石に、デパートは綺麗だが、昔のような活気はない。

紀伊国屋の本屋で、家内は3000円ほど本を買い込んだ。読書家である。

 

最近デパートで、写真を撮ったりすると、注意されることがある。本屋さんもカメラ禁止と書いてある。

店内を撮るのではなくて、本の中身を携帯で撮ったりするからダメなのである。

 

★デパートに行っても、流石に最近は、服などには関心が少なくなった。

その分、出費は少なくていいのだが、何かケチくさくて、

駐車料金1時間半の中で買い物をしなければというのである。

1時間半もあれば、十分だと思うのだが、一番時間が掛ったのは、本を選ぶ時間だったので、服をみる間がなくなったのは、私のせいではない。

 

 

デパ地下はなかなかの盛況である。

ここで昼と、夜との分を買い込んだ。

私は、食うものは、特に何でもいいので、すべて家内任せである。

こうでもナイ、ああでもナイと、いろいろ迷ったうえで、結果はまあまあ一般的なものを買って帰ったのである。

 

この頃は、家内もホントに金を使わなくなったと思う。

使うとすれば、髪のセットや化粧品が一番大きいのかも知れない。

その『女の買い物』も、こんなレベルなので、ケチケチした年金生活も十分楽しいのだが・・

 

★孫が、大学に受かったので、お祝いをしなければと言っている。

『もう最後だから、10万円ぐらい・・・』などと、言っていた。

こんなことも任せきりで、『一切タッチはしない』のだが、日頃の買い物の仕方など見ていると、1桁間違っているのでは? と思ったりする。

大学の入学祝など、世間相場は幾らなんだろう?

 

こんなことブログに書いたら、アメリカの娘が、

『うちは未だ高校だけど、そんなに貰ってない。でも将来30万円入る。』と思ったりするかも知れない。

そのころになったら、そんなこと忘れてしまっているかも知れない。

 

女性の金の使い方は刹那的で、金額の大小にかかわらず、その時判断することが『正しい』と信じている節がある。

野菜を選ぶときは『10円』の単位だし、

孫の『入学金』には、そんな基準がなくなってしまうのである。

 

大した散財でもなかったが、ご機嫌で戻ってきた。

 

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79歳の誕生日

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★昨日、79歳の誕生日を迎えた。

はるけくも、生きてきたものだと思う。自分でも79歳とは信じ難いのである。

父も52歳、伯父も50代で、祖父も知らないし、母方の伯父たちも早く亡くなってしまって男はなかなか70までは生きれないものだと思っていたのである。

 

そんな中で女性は結構長く生きるものだと思っていた。

祖母も当時は珍しい102歳まで生きて、確か100歳では知事さんがお祝いに来られた。

母も、現在102歳、未だ元気なのである。

 

そんな母や、祖母のDNAを受け継いでいるのか、79歳でも、自分では60代の時と同じように元気なのである。

69歳の時は、『くも膜下出血』でひっくり返った後だったから、間違いなく今の方が気力も充実、体力もあると思う。

衰えたのは『目』ぐらいである。

 

★ そんな79歳の誕生日、生まれて初めて、

何十人の方から、『誕生日おめでとう』と言って頂いた。

これは、Facebook に頂いた、おめでとうの数々である

Facebookがなかったら、こんなことはあり得ない。

お会いしたこともない方から、いっぱい『おめでとう』を頂いたのである。

 

そのへんの タレントになったと錯覚するような心境である。

 

★79歳というのは正直、特別な感想があるものである。

幾ら元気と言ってみても、80歳となるとこれは間違いなく『老人』だろう。

『後期高齢者』などは。そんなの私には関係ない、と本当にそう思っていた。

然し、80歳は、ちょっと違うような気がする。

そんな80歳に、あともう1年しかないのである。

 

そういう意味で、79歳のこの1年は、非常に大事だと思っている。

今年は、思い切り頑張ってみたいと、本当にそう思っている。

この1年ぐらいなら、体力でも、気力でも、発想のい柔軟性でも、

決して若い人たちに負けていないような『錯覚』も、『錯覚ではナイ』と思い込んでいるのである。

 

今年は、NPO The Good Times の目標である、『新しい公共』を軌道に乗せたいと思っている。

若し、今進めている『団体会員のプロジェクト』が軌道に乗れば、

本体のNPO 法人 The Good Times は、なんにもしなくても、十分存立していけることになるはずなのである。

もともとNPO法人を立ちあげるときに、いつまでもやっておれないので、4年で軌道に乗せるという目標でスタートしたのである。

 

今年は、その4年目なのである。

79歳の70代のうちに、軌道に乗せて、『80歳からは悠々と過ごしたい』

そんな大事な1年なのである。

若い時から、ずっと一言で言えば、『差別化』を目標に生きてきた。

 

人生の歩み方も『差別化』されていると思っている。

NPO 法人もそうだし、そういう意味で、『仕事』としては最後の1年だと思ってやってみようと

本当にそう思っているのである。

 

この1年は、頑張ってみます。

 

ほかにも、別途直接頂いたモノも沢山あるのだが、これだけでもこんなに沢山のコメントを頂きました。

 

古谷錬太郎 おはようございます。
3月2日は誕生日です。79歳になりました。
沢山の方から『誕生日おめでとう』のお祝いの言葉を頂きました。こんなに沢山の方に言って頂いたのは、『生まれて初めてのこと』です。
皆さんに感謝、Facebookに感謝です。

最後の70代ですから、これから1年は頑張ります。
よろしくお願いいたします。 <form class="live_385085641502076_131325686911214 commentable_item autoexpand_mode" action="/ajax/ufi/modify1.php" method="post" data-live="{&quot;seq&quot;:5319949}">  · 22時間前</form>

あなたと西郷 善治さん、齋藤 昇司さん、Chikara Todaさん、他55人が「いいね!」と言っています。

 

竹田 学 おはようございます!誕生日おめでとうございます、毎日楽しませていただいてます 金沢より。  1 Sonoko Kusumoto おはようございます(^ ^)
お誕生日おめでとうございます\(^o^)/ 1 藤田 修司 誕生日おめでとうございます!
♪この一年が、古谷さんにとって、とてもエキサイティングで、また新しい公共があらたなステージに入りますように!♪ 1 片山 敬済 永遠の Yang Man, Mr. FURUYA おめでとう!!   1 城後 光 お誕生日おめでとうございます。   1 中山 弘志 おめでとうございます。  1 蘇原 宏介 誕生日おめでとうございます いつもお世話をいただいてばかりで・・・    1 坪田 納奈 Happy Birthday!! Hope you will have a wonderful year!!  1 Toshitaka Nagata ‎79歳 誠におめでとう御座います。
まだまだ、三木の為にも頑張って頂きたいと思っています!   2 井上 博之 おめでとうございます。ますますのご活躍をお祈りしております。 鶴田 竜二 おはようございます。お誕生日おめでとうございます!古谷さんにとって素敵な歳が重ねられますようにお祈りしております。 1 橋本 武司 古谷さん、お誕生日おめでとうございます、古谷さんの行動力はまだまだ若い人に負けていませんね、これからも頑張ってください! 藤原 伸哉 誕生日おめでとうございます。
70代と言わず、80代もバリバリ頑張ってください。 塚本 昭一 おめでとうございます。
素敵な一年にして下さいね(^-^)/ Yasuo Takagi 再度、おめでとうございます。 小巻 健 古谷さん、誕生日おめでとうございます。
ここ2年の古谷さんとのつながりから新たな輪ができていると実感しています。
これからの時代は「コミュニティの再構築」がキーワードになってくると思いますが、古谷さんのThe Good Timesがますます活躍する時代になってくるでしょうね。
これからまだまだよろしくお願いします。 1 吉田 靖秀 古谷さん、誕生日おめでとうございます。これからもますますお元気で後輩を引っ張ってくださいますようお願い申し上げます。 Toshihiro Kojima お誕生日、おめでとうございます。 Masumi Iyori おめでとうございます:-) 亀尾 秀人 誕生日おめでとうございます!
うちの親父と同じなんですね(^_^;) 関 初太郎 お誕生日おめでとうございます。私も次のステップに向け頑張ります。季節の変わり目です、お体をご自愛ください。 河島 三奈 お誕生日おめでとうございます。ますますのご活躍期を! 上野 真哉 お誕生日おめでとうございます♪ますますのご活躍を期待しております。 渡邉 一二三 お誕生日おめでとうございます   左嵜 啓史 古谷さん
おめでとうございます!
いつも元気頂いてますw 松口 久美子 お誕生日おめでとうございます。素敵な一年でありますように。今後共よろしくお願いいたします 浜田 須磨子 お誕生日おめでとうございます!目上の方なのに、いつも目をキラキラさせて好奇心旺盛で少年のような古谷さん、これからも、どうぞお元気でそして今後ともよろしくお願いいたします(__)   松口 加代 · 共通の友達: 松口 久美子さん、他1人 おめでとうございま〜す(*^O^*)   腰山 峰子 いつも背筋のピンと伸びた古谷さん、70代最後の1年も突っ走ってください。そのカッコイイ背中を見ながら、追随できるよう頑張ります。お誕生日おめでとうございます。   伊藤 英寿 お誕生日おめでとうございます☆   Chikara Toda おめでとうございます!私の長男も同日、36歳になりました。これから1年なんて言わず、10年、20年と若者で居てください。

 

 

 

 

 

今、住んでいるまち

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★ 今私たちは、昔は人が住んでいなかった場所に住んでいる。

それも何万人の単位で住んでいるのである。

 

★昔はこの一帯は丘陵地、三木の旧い町から見たら山だったのだろう。

40年ほど前に大和ハウスが大掛かりな宅地造成をやって、みんなどこからかやってきたのである。

 

最近、一念発起して毎日歩いている。

車で通る道も多いのだが、歩いてみると目の位置が違うのと、より道が出来るのでいろんな『新発見』がある。

 

家からここまでは5分ほどである。

この坂を下って、右に見える山をひと廻りしてと、思って歩いてみた。

 

急にこんな感じになった。

 

一帯を『四合谷』と呼んでいるし、実際そういう町名である。

最近は、住宅街では禁止の『とんど』がここでは大丈夫なのである。

 

 

山の方に上る道があったので登ってみた。 

こんな感じで、すぐ隣には、

 

竹やぶの中にお墓が沢山、同じ名字の墓石が並んでいて、

 

その下にはこんな墓石も・・・・

昔はここが一番高かった場所だと思う。

これより先は人が住んだりはしていなかったはずである。

 

 

山を下りてくるとこんな風景になる。『とんど』の火も見えるが、

三木の旧市街は、ずーっと下ったところにある。

 

蔵のある家なども残っている『四合谷』である。

 

同じ地点で振り返って撮った写真、

ここから新興住宅地が始まっている。

 

 

★違う日の散歩で撮ってきた写真などなのだが、

 

この町の下の方に志染川が流れている。

そこに掛っている橋は『サイフォン橋』と言って有名なのである。

 

 これは、『水が通る橋』なのである

この水は『どこに行くのだろう?』

 

 これも先日の廣野ゴルフ場をひと回りした時撮ってきた写真で、

『篠山の森林やその地域が支える東播用水』と書かれている。

この大きなため池の水が遠く『篠山』から来たのなら、

ひょっとしたら『サイフォン橋』を渡ってきたのではなかろうか?

 

そしてわが町、緑が丘には住宅街の中をこんな小道が、延々と斜めに横切っているのである。

 

その道は、まちの中心部も斜めに横切って続いている。

そしてその方向は廣野ゴルフ場の裏にあるため池の方向なのである。

道の下に水の流れがあるのではなかろうか?

 

いつかどなたか詳しい人に、聞いてみようと思っている。

ひょっとしたら、

ため池協会会長の『60おじさん、山本隆くん』なら知ってるかも知れない。

今日はNPOの理事会でお会いするので聞いてみたい。

 

 

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『みっきぃ情報ミュージアム』スタート

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★この3月から、

三木市の情報ポ―タルサイト 『みっきぃ情報ミュージアム』がスタートした

 

兵庫県が後押しする『ひょこむ』というサイトがあるが、

このシステムをベースに造られている地域SNSである。

このシステム構築を担当されたのが、三木市広報のJJさんという、NPO The Good Times のメンバーであったことから、

検討過程からずっと興味、関心もあって、見てきたものである。

 

★今年になって、この種SNSは、Facebookが爆発的な人気で、

mixiも苦戦と言われているようだし、『ひょこむ』や地域SNSの『さんでぃ』や、『さよっち』なども、一時に比べたら活気がないのは事実なのである。

行政でも、佐賀県武雄市は、ネット関連のツイッターやFacebook をベースに活動していて、

そのホームページも、Facebook にその機能を完全移行したりしているのである

そして、こちらは間違いなく大成功なのである。

全国のマスコミに取り上げられて、武雄は一躍全国区の都市に躍進しているのである。

 

果たして、三木市が新しくスタートさせた、『みっきぃ情報ミュージアム』は、成功するのだろうか?

一般的に言うなら、NO と応える方が、まず当たっていると思うのだが、

わがまち、三木のことだし、

NPOのずっと昔からの仲間のJJさんが担当だし、

『ひょこむ』でお世話になっている『こたつねこ』さん和崎宏先生が造られたものだから、

何とか、『三木独特の』『三木だから成功した』事例になればいいのだがと、思っている。

 

★ 『三木独特の』『三木だから成功した』

と表現したが、三木は、市民の間でのネット環境は、全国でも最右翼の状況にあり、『みき』として他の追随を許さないレベルにあると言っていい。

順不同にその幾つかの例を挙げるなら、

● 『三木おもろいわ』とか、 『三木 おもろいわ』というブログのサイトがある都市など多分ないだろう。

● Facebook ページでも

三木市

e-まちネット@みき

粟生線の未来を考える市民の会

笑って遊ぼうミキランド

未来にはばたくみっきぃタウン

などなどいっぱいだし、

 

●手前みそだが、三木は NPO The Good Times の発祥の地だし、

その公式ツイッターのフォロワ―は、21万人を数え、それが『みき』の情報発信力を創っている。

ご覧頂ければ解るように、世界の会員のいいツイートを『リツ―ト』しているのである。

これらが単独に存在するのではなくすべてが連動して動けるところにその可能性が秘められている。

 

 

 

★その実行力では、他に例を見ない『さるとるさん』が、今やる気なのである。

三木で『さるとるさん』が動いて、周囲が応援したら、『出来ない』ものでも、『出来る』可能性があると思っている。(少し期待し過ぎかな?)

その基盤になる『NPO The Good Times 』はその『システム力』で支援する積りである、

 

 

  森田 優 すでに古谷さんから紹介のありました三木市のポータルサイト「みっきぃ情報ミュージアム」。 こ、これって、ひょっとして、「未来にはばたくみっきぃタウン」情報の整理ができるんじゃないの?って思ったのは僕だけでしょうか。
みなさん、もしお付き合いいただけるなら、書き込みの最終文に「みっきぃタウン」とお書きください。
みんなで、「未来にはばたく みっきぃタウン」を実現しましょう。

 これは昨日のFacebookにさるとるさんが書いた一文である。

その通りなのである。

未だ始まったばかり4日目の『みっきぃ情報ミュージアム』だが、 

ぜひ成功への道を歩みたいと思っている。

 

 

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2007年春、74歳自分史

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★川崎航空機に入社(昭和32年、1957)以来日記をベースに時系列に綴ってきた自分史だが、既に2006年分までは記述している。

2006年は73歳で、つい先日79歳になったのだが、

時系列で追っかけるのは、このあたりで中断して本稿を最終としてちょっとお休みを頂きたいと思っている。

 

2006年に、三木市長の薮本吉秀さんに出会って、生まれて初めて市政なるものもヨコから眺めることにもなった。

市長メールも熱心に出したりして、ほかの市をチェックなどしていたら、高槻市長公室長をされていた樋渡啓祐さんにもネットの上でお会い出来て、

そんな影響もあって、ブログを9月から始めたりしたのである。

そういいう意味では、それまでとは全く変わった日常生活が始まった年なのである。

その年は薮本さんにとっても、樋渡さんにとっても

『市長1年目』の新人市長さんだったのである。

 

 

★その年が明けて、2007年の春3月までにいろんな出来事があったのである。

それが私の現在の生活パターンに繋がっていくきっかけになったのだと思う。

特にその1、2月当時の日記やブログから少し詳しく追っかけてみたい。

 

1月2日、ブログに初めて写真を貼りつけることが出来た。

東京の孫が遊びに来ていて、孫に手伝ってもらってやっと、当時は未だ元気であったTOM & LOVE の写真を添付したら、アメリカの孫からgood job とのコメントが来たりした。

   

その時の写真である。5年前は元気だったのにもう2匹とも今はいない。

 

★当時は三木市長の薮本さんとの関係もよかったし、特に教育長の井本先生や小西次長、米村次長の教育委員会にはずっと遊びに行っていた。

竹トンボなど具体的な子どもたちとのイベント展開なども構想したりしていて、教育委員会の会議の後に課長さんたちとの懇談会などもって頂いたりしたのである。

そんなこともあったりして、

2月1日には、薮本市長にお願いをして、三木市役所の若い人たちと直接話をしたいと申し入れたら、若い方を中心に16人ほど集めて頂いたのである。

その中の一人が、今も親しく繋がっているさるとるさん、森田優くんで、

JJさん中尾吉伸さんは広報ではなかったかも知れないが、その時のメンバーのお一人なのである。

薮本さんも、当時はそんな私のわがままをよく聞いて頂いたリしていたのである。

そして、さるとるさんの職場に訪ねて直接話をしたのが2月7日のことだった。

2ヶ月後市長表彰を受賞する『みっきぃふるさとふれあい公園』のコンセプトをちょうど纏めていたころで、そんな話もしてくれたのである。

今年の3月に一般公開したFacebookの 『未来にはばたくみっきぃタウン』は、このコンセプトそのもので、5年の歳月を経て世に公開されているのである。

 

当時、『若い人』と題して、こんなブログをアップしている

薮本さんもお若かったし、樋渡さんは当時は『日本一若い市長』だったのである。

 

★2月の中旬には、薮本さんは、JJさんを連れて、突如、武雄の樋渡市長を訪問しているのである。

これがその時の写真で、その時書かれた、武雄市長物語のブログには、

そして、ブログ・雑感日記には、高槻時代の私のことから今に至るまでいろいろ書いていただいていますが、この優れたブログのおかげで薮本市長を前から知っているかのごとく接することができました。感謝です。

と紹介して頂いているのである。

 

そしてこの訪問から、武雄市と三木市の間の提携が始まったし、

樋渡さんは更に『雑感日記』と題するブログでその経緯を書いて頂いたり、わざわざ電話なども頂いたりしたのである。

 

★この年、こんな三木市と武雄市の提携話しで幕が開いたし、

こんなきっかけが、更にネットの世界に私を引きずりこんだし、さるとるさんやJJさんとのお付き合いもこのあたりからいろいろと始まって、

今もなお密接に繋がっているのである。

 

当時は、こんな関係であった三木市長の薮本さんとの間柄だったのだが、

いろんなことがあって、今は離れてしまっている。

当時一番密接にお世話になっていた井本先生が、この年の3月に教育長をお辞めになった。

そのことが、薮本さんとも疎遠になって行った遠因にもなっているように思っている。

 

ただ、この年の春の動きで、その後、

樋渡さんともお会いできたし、三条の国定市長も三木に来られたし、

いろいろあって、当時市長メールで提言したいろいろを、薮本さんがおやりにならないのなら、

自分でやってみるかと、NPO The Good Times を立ちあげて、これが今年は4年目を迎える訳である。

そういう意味では、私の人生に大きな影響を与えた。2007年74歳を迎えた春だったのである。

 

これからは、時系列で追っかける自分史は一時中断して、また違った形で続けてみたいと思っています。

 

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新しく出会った人たちとの協働

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★この数年ネット関係で毎日が明け暮れている。

その中でも最近はFacebook と相対している時間も長い。

個人でもやっているし

NPO The Good Timesページもある。

その個人のトモダチは、いつの間にか312人にもなった。

 

300人も越えたので一体どんな人たちがいるのだろうと思って、分類をしてみたら次のようになった。

A. 会社勤めの現役時代から知っていた人                       43人    13.7%

B. この数年ネットなどで出会い、実際にお会いしたことがある人         82人    26.3%

C. この数年ネットなどで出会った人で、実際にお会いしたことがない人、   187人    60%

                                           計     312人    100%

という内訳である。

昔から知ってた人は、10%ちょっとで、ごく最近ネットの世界で繋がった人が殆どなのである。

そういう意味では、現在の私の日常生活は、全く新しい人たちによって支えられていることを改めて認識した。

 

★昨日は、午後三木でNPO The Good Times の会員さんお二人とお会いした。

突如『お会いしたい』と電話があって、三木でお会いすることになったのである。

 

NPOの団体会員でもある『放射能ウオッチャー』の岩田さん、この方とは今回2回目である。

もうお一人は個人会員で、『放射能ウオッチャー』に繋いで頂いた、OfFice 21の末田 伸さんで、ツイッターなどでは毎日お会いしているのだが、実際にお会いするのは昨日が初めてだった。

初対面ではあったが、ネットの世界での情報は共有できているので、初対面とは思えないほど、話が通じるのである。

BERTのことでも、さるとるさんでも、私がネットの上でいろいろ情報発信していることは、殆どご存じなのである。

 

約2時間いろんなお話をしたのだが、

『放射能ウオッチャー』をベースに、NPO The Good Times の仕組みをもう少し上手く使いたいというような『ご希望』みたいなものがあってそのご相談みたいなものだったのだと思っている。

 

★『放射能ウオッチャー』は、日本全国の放射能のの値を各会員さんが測定して、地図上にセットしていこうという活動を展開されていて、

昨年夏ごろからの活動開始なのである。

今、放射能の値は、関心事だが、どの値がどうなのかもう一つよく解らない。

それを個人のレベルで数多くの地点で測定し表示していこうということなのだろう。

公式ツイッターもお持ちで、毎日数多い情報を提供されているのである

ただ、ちょっと専門的すぎて特に私のような技術オンチには、付いていけないようなところもある。

 

末田さんは、ネットの世界にも詳しくて

ツイッターもFacebook もおやりである

 

2時間ばかり雑談したが、何となくベースのコンセプトみたいなものは、お互い共有できるようなレベルにはなった。

『何を決めたんだ』と言われると何も決めなかったのだが、

今後のキーパーソンになるであろう末田さんからは、

 大変有り難うございました。沢山の示唆を頂きました。いろいろな可能性がありそうに思いますので整理してみます。
その節には是非ご協力をお願いいたします。

というFacebook のメッセージは頂いた。

 

★夜、東京のWith Meの丸山浩さんから、電話があった。

延々1時間近くお話をした。

6月に筑波サーキットで行おうとしているNPO The Good Times もメンバー達によるイベントの件である。

 

NPOの『団体会員プロジェクト』というシステムを利用しての展開になる。

丸山浩さんも、昨年11月に初めて出会った方なのである。

 

今年は、新しく出会った方たちとの間で、『団体会員プロジェクト』を利用して、どんどん新しいことが実現しそうである。

これが出来るのが、『いい仕組みの強み』と

それを利用する人の『やる気』

その二つが揃わぬと、物事は実現しない。

 

『やる気』が出るまで待つ忍耐がいるが、結構早くみんなその気になってくれるのがオモシロイ。

 

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孫がきた

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★受験勉強でずっと遊びに来れなかった孫が、やっと試験も終わって朝早い便でやってきた。

伊丹まで迎えに行く。

8時ごろの伊丹空港もうこんなに人がいる。

そういえば現役のころはずっとこんな時間の飛行機で東京を行き来したものである。

何年振りかで見る孫は、当たり前の話だが少年の面影は消えかかっているが、まだ幾らかは幼さも残っているように思えて妙に安心したりした。

すっかり大人になってしまうと『可愛げがない』などと思ったりするが、それは無理な注文なのだろう。

 

朝ちょっと食っただけだというので、空港で豚まんを幾つか買っていた。

最近の若者は髪型に凝ったりしているが、

この頭も散髪をしていないようなぼさぼさのアタマなのに、

『縮毛』などと初めて聞く、ことなどやっていて、散髪代は2万円に近いのだという。

私の散髪は2000円だから、その10回分である。

髪など触るのは、若いものの特権みたいなもので、昔から『なぜあんなことをするんだ』と思うようなことばかり続いている。

散髪屋ではなくて『美容室に男も行く』そんな時代なのである。

 

★8つも受けて国公立はダメだったらしいが、第1志望の慶応に受かったとその小論文の試験問題を持ってきた。

竹中平蔵さんなどが教える学部だとかで、

その小論文の中に、私のブログによく使う『仕組み』の問題で回答したとかで、試験問題を持参したのである。

いつか書いた

犬の糞と行政対応』のアメリカの仕組みの問題を取り上げて回答したとか言っていた。

この『小論文が難しい』のだそうで、

もしそうなら、幾らか孫の役にたったのかも知れない。

 

試験問題をわざわざ持ってきたのは、私にもやってみろということかもしれない。

 

★昼、回転寿司を食いに行って帰りにバラの苗を買ってきた。

入学祝いを上げたのだが、その中から『バラを買え、、それを記念植樹で植えてやる』とほんの少しだけ取り戻して、

我が家に新しい紅白の薔薇の仲間が増えた。

二本とも、京成バラ園の本格的な新種の苗である。

家に戻って、孫と二人で植えた。

枯らさぬように上手に育てたい。

6月には綺麗に咲いた紅白の薔薇の写真を送ってやることにする。

 

私自身も、大満足だし、このアイデア上出来であった。

どんな3日間になるのだろうか?

パソコンに向かっている時間も少なくなるのは仕方がない。

 

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孫が来た ?

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★鎌倉から孫がやってきた。

滅多に遊びに来ないので、ネット関係も孫のことで全展開である。

昨日のブログもFacebookでも、紹介した。

 

夕方からは二人だけで三木総合防災公園を散歩した。

志染の石室  史跡としてちょっと有名なのだが、

三木総合防災公園の散歩道から行かれる人は、まだ少ないのだろうと思う。

12月から3月の間に見られる『黄金の水』はひと際金色に輝いていた。

 

詳しくは、『孫が来た ?』 でどうぞ

 

今回はホントに金色が美しかった。

孫のお父さん、私の息子も多分小学生の頃、遠足か何かで行ったに違いない。

ただその時代には三木総合防災公園は出来ていなかったので、反対方面から山道を登ってきたのだろうと思う。

今回は逆の方向で、公園から下って行ったのである。

 

 

 

 

★昨日は、神戸に 

戦場を駆ける馬、スティーブン・スピルバーグ監督の『戦火の馬』を観に行った。

物語もよかったが、

馬がなぜ、こんなに演技が出来るのか?

こんな映画を作ることがことが出来るアメリカ映画は流石だなと思う。

 

技術の問題ではなくて、馬が演技をするのである。

それも普通の人の演技以上のレベルなのである。

どうしたらこんな事が出来るのだろうか?

 

★鎌倉の孫とのそんな2日間であったが、今日はもう東京に戻ってゆくことになる。

午後からの便は、満席になることもあるので、午前中の便になるのだろう。

伊丹までまた送っていくことになる。

 

私自身の経験で振り返ってみても、

身近な人たちとの想い出も、そんなに際立って覚えていることは、そんなに多くはないないものである。

近くで、一緒に生活していてもそういうものだから、

ずっと離れている孫とは、会った時だけでも、印象に残り覚えていてくれるものになればいいなと思っている。

 

今回の3日間、そういう3日間であっただろうか?

 

★ところで、最初に書いた『孫がきた』に書いた、

20000円近い孫の散髪代?美容代について孫の父から、そのこと知らなかったらしく、初めてブログにコメントがきた。

そのあと、孫の母ノンちゃんからも。

 

散髪代 (孫の父)     散髪代が2万円近い??俺1000円やけど。孫の父

散髪代 (rfuruya)    散髪代ではなくて、美容代みたいだよ。   散髪代パート2 (のん)  孫の散髪代=父のリール代。男の価値観は歳と共に変わっていくようです。 ( ̄〜 ̄;)孫の母   散髪代パート2 (rfuruya) なるほどね。バラぐらいが一番手頃だね。     こんなコメントの応酬でした。

 

 

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育てるということ

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★なぜか、『生き物』が好きである。

生きているものは、育っていく。

放っておいても育つが、育てるためには、まず育てる対象を明確にしなければならない。

全てを育てようとすると、すべてがダメになってしまうのである。

人間の社会でも、学校の入学試験などは、ある意味育てる対象を絞っているとも言える。

 

植物で言えば、『間引き』をして育てる対象を絞るのと同じ理屈かも知れない。

みんなを同じように育てようとするから、返って育たないのかも知れない。

 

★個人の趣味の範囲で言えば、庭木も好きだし、バラを育て出してもう10年近くになる。

小さいころから魚が好きで永年鯉を飼っていたりした。鯉も年々立派になる。

どちらも、ちゃんと面倒をみると年々立派になるのが、目に見えるのがいい。

 

 

 ★今こんな挿し木の薔薇が、新しい芽を出している。

2月に剪定をしたときに切った枝を捨ててしまうのも、何となく可哀想でこんな風に挿し木にしていたら、一人前に芽を出しているのである。

それぞれの挿し木には未だ多分根は出ていないだろう。水分だけで健気に育っているのである。

もう1ヶ月もすれば鉢の下に白く細い根が見られるようになる。

そうなったら、植え替えてやると今年の内に花を咲かせたりもするのである。

 

花を咲かせるのは、木の体力を消耗するから、丈夫に育てるためには『蕾を取ってしまえ』と本などには書いてあるが、折角の花をと思ってなかなか摘み取ってしまうことは難しい。

然し、確り育てようと思ったら、そうする方がいいのだろう。

最近は、無精になって、挿し木から育てたりしてなかったのだが、今家にある相当数の薔薇のうち挿し木から育てたものが半分近くもある。

 

 ★このピンクのバラ、アンジェラは、挿し木から育てたもので、もう一本同じものがある。

挿し木を取った親木の方は枯れてしまって今なない。

ホントか?と思われるだろうがホントなのである。

狭い庭でもう植える場所が見つからないぐらいにバラで埋まって、70本にもなってしまっている。

 

バラの木1本でもどの芽を育てるのか?どの枝を残すのか?

不要なものは、剪定して切ってしまわぬといい花は咲かない。

『育てる』ということは、厳しいことなのである。

 

★人間社会の中でも、いろんなものを育成しようとすれば、その対象をきっちりと選択しなければ『育たない』

ずっと手掛けてきた、『バイクの販売網』なども、その対象をドライに選択をしたから立派に育ったのだと思っている。

最初、大阪で500店の店を25店に絞ってしまったのである。

 そんな40年前のカワサキの政策の延長上に、今の日本の二輪販売網は出来あがっているのだが、

ネット社会になって、人々のモノの求め方も変わってしまっている現在、ホントに『店など沢山要るのか?』と思ったりしている。

ちょっと極端だが、現状の店を残そうとするから、業界全体が伸びないのではと思ったりもする。

 

要は、ユーザーが求めているのは、何か?

それは商品であったり、

サービスであったり、

それを使ってのレースや、遊びであったりするのだろうが、

それを手に入れるための綺麗な店など、今の時代にそんなに数多く求めたりはしていないのは間違いない。

生モノの魚をネットで買ったりする時代なのである。

 

厳しさがないから『育たない』

『育てる対象』が多すぎるのである。

末端の消費者が求めるモノは、『高質な機能』なのである。

 

★昨日から大阪モーターショーが始まったようである。

 

With Me の丸山浩さんが、来られるというので、行ってみようかと思ったのだが・・・・・・

今年、『新しい二輪文化の創造』を一緒にやってみようかという、仲間なのである。

今、一番育てたいと思っていること、

それは、『二輪文化』なのである

でも、これはなかなか難しい。

 

バラの挿し木のように、間違いなくその芽は目に見えるまでになっているのだが・・・・

 

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瓦礫処理

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★東日本大震災の『瓦礫処理』の話、野田総理が全国での受け入れを示したことで、その受け入れ対応などいろいろとマスコミを賑わしている。

放射能があるから受け入れ拒否などは、これは論外だと思う。

困っている時はみんな援け合うのが当然のことではある。

放射能のない岩手県と宮城県の瓦礫であって、福島県の瓦礫のことではないはずである。

 

ただ、全国の市町村が受け入れを表明したとして、遠く九州まで瓦礫を運ぶことがいいのかどうか?

そんな具体的なことはよく解らないので、

『瓦礫処理 ブログ』で検索すると沢山のブログが並んで、その幾つかを読んでみた。

 

政治家の笹川陽平さんは、このように言っておられる

一部抜粋すると

 

被災地の痛みは誰もが共有すべきで、掛け声だけでなく具体的な行動こそ被災者を勇気付ける。

岩手県が通常の一般ごみ11年分に当たる476万トン、宮城県が19年分の1569万トン、福島県は208万トン。

・・・・
事態を改善するには、広域処理に加え、新たな処理方法を確立する必要がある。がれきを厄介視するのではなく有効な復興資源として埋め立てなどに活用することこそ現実的な打開策と考える。

95年の阪神大震災では約2000万トンのがれきの半分が土地造成などにリサイクルされた。関東大震災(1923年)では大量のがれきや焼土を活用して横浜観光の中心「山下公園」が造成された。第二次大戦後のドイツでは建物の破片ばかりか戦車の残骸なども使い、公園整備など復興が進められたと聞く。
・・・・・・
材木やコンクリート塊、土砂に対する需要は大震災で地盤沈下した地域のカサ上げや高台の整備など、いくらでもあるはずだ。木材の場合は焼却処分で二酸化炭素(CO2)を発生させるより、埋め立てて自然に戻す方が理にかなっている。

・・・・・被災地に穴を掘り、危険物を除いたがれきを土砂とともに埋め、盛土状にし、タブノキなど常緑広葉樹を植える。15〜20年後に大規模な防潮林堤を完成させる、というのだ。
被災地は広く、適地はいくらでもあろう。十分、検討に値する妙案だと確信する。

 

総理の指示も、全国に瓦礫を分散するだけではなくて、『瓦礫の再利用』を指示している。

がれき積極利用 首相指示   閣僚会合 防潮林・高台整備など

 東日本大震災で発生したがれき処理を進めるため、野田政権は13日、第1回の関係閣僚会合を開いた。野田佳彦首相は「今までの発想を超えて大胆に活用してほしい」と要請。関東大震災のがれきで横浜市に山下公園を整備したエピソードを引き、将来の津波から住民を守る防潮林の盛り土や避難のための高台の整備、道路などの材料として、被災地のがれきを再利用していく考えを示した。
 細野豪志環境相は会合後、「鎮魂の気持ちとともにがれきを処理していく」と述べ、まず防潮林としてがれきを利用する準備に取りかかる方針を示した。環境省は、復興のシンボルとして三陸地方の自然公園を再編する「三陸復興国立公園」(仮称)の整備にも活用する方針だ。
 

 

ほかのブログでは、全国に瓦礫を運ぶなど、ダンプも不足だし、現実的でない、などと指摘している。

『瓦礫処理』にはドイツの戦後の瓦礫処理など前例もあるというし、

阪神大震災の時の瓦礫の量と、あまり変わらないのである。

あの瓦礫を積み上げたテレビの写真が生々しいので、余計に大変だと思うのだが、

もっとデーターを検討して、東北の広大な土地の方が処理はしやすいのかも知れない。

通常の処理の仕方ではなくて、防潮堤を造るなどはいい案だと思う。

廃材を遠くへ運ぶコストを考えても、何か近くで港湾を造るとか、いろいろ考えられるはずである。

 

★震災発生時に、

菅さんは 『大事なことは5、6人で決めればいい 』と言われたらしいが、これは名言である。

 

細野さんと数人で決めてしまえばいい。

こんな対策案は、幾らでもあって、どれがいいかなどはよく解らないはずである。

せっかく野田総理が全国の首長たちに回答を求めたのだから、その回答を見たうえで、今後の方針を決めたらいいのだと思う。

新しい何かをやるという方向なら、あの広大な東北の地で、十分その処理は大丈夫なのだろう。

 

通常の処理から計算された

岩手県が通常の一般ごみ11年分に当たる476万トン、宮城県が19年分の1569万トン、

などという『数字』は一端忘れた方がいい。

 

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愛のバトンリレー in みっきぃふれあいマラソン

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★昨日は小雨降る中、みっきぃふれあいマラソンでした。

その舞台で繰り広げられた『笑って遊ぼうミキランド』のメンバー達による東日本大震災への『愛のバトンリレー』

沢山の人たちが参加してくれました。

その半日のアルバムです

 

 

愛車のスクーターでバトンを現場に運んだのは、三木の井上章二さん、こんな多彩なスタッフが出迎えました。

 

いつも、ちょっとおしゃれな井上さんですが、

このバトンは、西山牧場、三木のライオンズクラブ、神戸屋スポーツ、 しゃかりきさんのほか会場のあちこちをリレーされました。

 

これは、三木打は有名な『しゃかりき』さんご夫婦?のバトンリレーです。

 

三木の名物さんたちも参加です。

 

勿論、マラソンも同時進行で、楽しく賑やかに行われました。

このイラスト作家の『こゆりさん』も参加でした。

このイラストでは、最後を走っている『さるとるさん』も、5キロマラソンに挑戦でした。

 

その『こゆりさん』と、井上さんと、さるとるさん。

このイベントにご参加のメンバーは、みんなNPO The Good Times の仲間たちです。

実は、『こゆりさん』と直接お会いしたのは、昨日が初めてでした。

 

★この会場に『愛のバトンリレー』を展開したのは、

BERT主催の『笑って遊ぼうミキランド』が

来る5月20日、にこの三木総合防災公園で開催されるからなのです。

 

そんなことで

3月16日に内閣府のNPOが正式認可されたBERTの片山敬済理事長も顔を見せましたし、

その実行委員長を務める『さるとるさん』も、熱が入っていたのです。

 

駐車場になっている一帯が当日の会場です。

そんな会場も見下ろせる最上段で、立ったままでの熱心なミーテングも行われました。

 

そこからは、こんなレース前のウオーミングアップの風景も見降ろせました。

 マラソン会場に行って、

殆どマラソンを見ずに過ごした3時間でしたが、

昼近く、帰り道で撮ったマラソン風景です。

白バイの先導などのない、マラソンもこの広大な三木総合防災公園だから出来るのでしょう。

 

 

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明石のまち 、 三木のまち

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★明石で生まれ本籍も明石である。

戦前は朝鮮、今のソウルにもいたし、仙台にも札幌にも住んだこともある。

今、住んでいるまち三木がもう40年近くにもなるので、一番長く住んだまちになるのだが、

明石は中学、高校、大学時代を過ごしたし、勤めもカワサキの明石工場であったこともあって、

人生で一番馴染みのある町は明石ということになるのかも知れない。

退職して年金生活になった今も、明石の人丸町という旧いまちにお墓があるので、毎年正月とお盆、春秋のお彼岸には墓参りに行くので、最近の明石も何となく解ってはいる。

 

★昨日は、春のお彼岸で墓参りに行ってきた。

いつも三木から真っすぐ行って、真っすぐ戻ってくるのだが、何となく明石の繁華街の方を回って戻ってきた。

 

車の中で、思っていたこと、

● 町というのは、変わらぬところと、全く変わってしまうところがあるものだ。

● 明石の表通りは、そういう意味では全く変わってしまった。人丸町や生まれた上の丸辺りの道は、武家屋敷があったそのままで子どもの時と同じように狭く、曲がっている。

● 川崎重工の明石工場に行く道もどんどん広くなり、昔どうだったのかよく解らないような変わりぶりである。

● 未だ小学生のころは、細工町、今で言う有名になった『魚の棚(うおんたな)』に本家があって、そこが本籍だったのだが、これは戦後既に全く様相を一変したのである。

● 明石から三木までの道は、18キロほどだが、40年前三木に移り住んだころは、全て2車線の175号線だったのだが、今はその8割ほどが4車線になっている。

● 神出から廣野ゴルフ場までの道は、全く40年前と同じ風景で、雄岡山、雌岡山の間を抜ける自然豊かな道である。

 

とこんなことを思いながら、車のハンドルを握っていた。

町が変貌するときに、昔の面影を残しながら変わっていくのがいいなと思うのだが、なかなかそうもいかないのである。

明石海峡には、橋が掛って景観も周囲の環境も一変なのである。

そういう意味では、今住んでいる三木あたりが、住むには一番いいのかなと思ったりもする。

 

★私自身、もう80歳に近くて、その殆どの年月を、『明石』と関係を持ちながら生きてきた。

お墓が明石にある限り、私自身は明石と関係を持ちながら、生き続けるのだろうが、

息子の代になると一体どうなってしまうのだろう?

 

息子にとってみれば、『明石』など殆んど関係ないだろうし、

明石に墓があることなど、困ってしまうのではなかろうか?

そういう意味では、日本のお墓や、お寺との関係も、町が変わってしまうように一変してしまうのかも知れない。

 

 

★もう一つの、『三木のまち』

この5、6年、三木を意識して生きるようになった。

それまでの三木は、

 

● 確かに40年住んではいるのだが、文字通り私にとっては『ベッドタウン』 寝るために戻ってくる町でしかなかった。

● 子どもたちにとっては、高校まで、過ごした故郷である。

● 家内にとっては、生活の場ではあったが、特に三木に愛着など持ってはいないだろう。

でも今更、何処かに移ったりは、間違いなくしないのではなかろうか。

 

今から、一生過ごす場所になるであろうことは間違いない。

 

その三木のまち、最近は結構気に入っている。

自然環境がいいし、空気も水もいい。

どこに行っても『広々としている』のが一番気に入っている。

都会のような賑やかさは」ないのだが、雑然としたところがナイ。

老後を過ごすには最高のまちである。

適当な8万人という人口だから、この5,6年で結構町の有名人とは、老若問わずトモダチになれたりする。

これが、一番いいのかも知れない。

 

、NPO The Good Times のメンバーになって頂いている人たちは、何となく三木のユニークな有名人が多い

 

『未来にはばたくみっきぃタウン』というFacebookグループには、

既に100人近くの人たちが参加しているが、これはどんどん増えるだろう。

今、時代の先端を走っているFacebookをやっている『先進的な人たち』と言っていいだろう。

 

『三木』という町を核に、ネットの世界でも、現実にも繋がって、毎日お会いすることが出来るのである。

日本に、なかなか、こんなまちはナイと自信を持って言い切れるようになってきた。

 

『三木 おもろいわ』  なのである。

 

 

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