★昨年の今頃は、このブログで『自分史』を書いていた。
1年前のブログが65歳のころの札幌のことを書いている。
札幌の2年間いろいろあったが、何と言っても『くも膜下出血』でひっくり返って1ヶ月ほど入院した出来ごと、
札幌の警察の本署で、文句を言ってたら、アタマに来て『血が登ってきて』 それこそ『アタマに到達』したら突如ひっくりかえったのである。
くも膜下の直接の原因は、『怒ってアタマに血が上った』からである。(みなさんくれぐれも激怒などされぬ方がいい)
気を失ってしまったが、救急車が来たときは、なぜか気がついた。
『くも膜下だ』と救急隊員の人が言ったときには、『これは死ぬな』と本当にそう思った。
その時も至極冷静で、これは家内に言ったらダメかなと思って、『連絡先は?』 と尋ねる救急隊員の人に息子の名前と電話番号を教えた。
そう言ったのは救急車の中だったのだが、それからあとまた意識を失ってしまった。
今度、気が付いた時は病院のベッドの上だったが、それからどのくらい時間が経っていたのかもよく覚えていない。
10日間ほどいた集中治療室でのことは殆ど覚えていない。
★入院した病院は、札幌の『中村記念病院』である。
この病院は全て脳外科の先生ばかりが30人もおられる『脳の専門病院』なのである。
少なくとも関西にはこんな病院はナイ。
そんな病院で、私の場合の治療は、『手術も何もせずに、自然治癒』という方向がとられたのである。
後で聞いた話だが『血管が切れた場所が、難しい場所で、手術をする方法もあったのだが、手術が上手くいかぬ場合もあるので、自然に治そう』という方針に決まったと言うのである。
先生が30人もおられる病院だからそんな決定も出来たので、普通の綜合病院だと『間違いなく手術したでしょう』と担当の先生は後でそう話されていた。
集中治療室にいた10日間の最後の方は、手足を縛られてベッドにくくりつけられていた。何も治療をしていないのだが動いてもう一度切れたりしたらダメだと言うことであったらしい。
覚えていないが、『会社に行くからクルマを呼べ』とかいろいろ訳の解らぬことを言っていたらしい。
10日後に、個室に移された時は、意識はちゃんとしているのだが、話はし難いし、手は動かないし『これは大変だな』と思ったが、その時もそれ以上は何も思わなかった。動かぬ手で日記を書いているが、字が無茶苦茶である。
でも、日が経つにつれて、どんどんよくなった。 どうやら集中治療室で静かにさせるために打たれていた注射が効いていたのだと思う。
その後20日間ほど入院していたが、後半には歩行などのリハビリもして、退院前にはこの病院の階段を最上階の個室まで10数階を歩いて登れるぐらいまでに回復したのである。
ちょうど1ヶ月ほどの入院だった。
くも膜下出血の治療で何をしたのか? 『タダ寝ていただけ』ではないのだろうが、何となくそんな感じなのである。
★手術も何もせずに、元通りになたったし、健康には気をつけるようにもなった。
家族には、心配も掛けたし、大変だったとは思うが、
みんな北海道に来れたし、北海道の旨い物も食えたし、家内などはそれまでは殆ど札幌には来なかったのにそれ以降は毎月来たので、毎月北海道のあちこちを連れ歩いている。だから、北海道の殆どを知っているようなことになっている。
大体、こんな風に、私の性格は楽天的でいい加減で、性格テストをすると『反省しない』というところだけが飛び抜けているのである。
こんなこと言ったら、真面目な家内などは、また怒りだすと思うのだが、幸いなことに家内は一切私のブログなどには興味を示さないし、決して読んだりはしないのである。
10数年前の出来事だが、
まさに札幌という、『中村記念病院』があったいい場所で、くも膜下になってよかったと思っている。
人間の命など、所詮は運だと思っている。
いつどうなるかなど、誰も解っていない。 まあ。今まで80年近くも生きてきたが、運は良かった方なので今後もいいはずだと思っている。
くも膜下出血 から生き返った奇跡? のような人生である。
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