★昨日はこんな三木の市民病院行きのバスのナンバー問題から1日が始まった。
ナンバーの『42』が如何にも縁起が悪いというのである。
それがFacebook に出ていたので、
シェアして、私見をちょっと申し上げたのである。
この後、テレビの番組でも取り上げたりされたのだが、『問題なし』が大勢だったのである。
私自身は、番号よりも、欧米では『不吉な色』で通っている『ライムグリーン』の方が、病院行きのバスでは、むしろ問題かなと思っていたので、
ちょっと検索してみたら、
カワサキの現在のホームページから、こんなサイトが現れたのである。
1968年から、カワサキのレース界での活躍は、燦然とした実績が積まれていて、40年も経った今では、このようにカッコよく述べられてはいるのだが、
スタート時点では、『ロードレースで赤はちょっとマズイナ』からがスタートだったのである。
そして、選んだ色が『ライムグリーン』であったことは、それなりに勇気の要った選択だったのか?
この色を決めたのは、当時のKMCのR&D 責任者斎藤定一さんであったことは間違いない。
『グリーンに変わった経緯』を私自身も知りたかったし、2年前アメリカで彼に会った時に、ご本人から直接聞いて、私なりに納得していた話なのである。
★そんなこともあたので、
カワサキのレースカラ―が、赤からライムグリーンにかわった1960年代後半の話を、こんな形でFBにアップしてみたのである。
★これに対して、沢山のコメントを頂きました。
★こんな昔話は、非常に楽しいものである。
『ライムグリーン』については、決められた当初はいろんな意見があって、問題視されたりもしたのだが、その後のカワサキのレースを含めた、チャレンジの姿勢がKawasaki のイメージカラーとして定着し、『挑戦者の証し』として燦然と光り輝いているのは、ご同慶の至りなのである。
こんな昔話とともに、
ごく最近立ち上がった、World Good Riders Association に、
その特別プロジェクトとして、KAWASAKI LIME GREEN FAN CLUB が立ち上がろうとしている。
We Like Mortorcycles ! とともに、バイクを愛するユーザーの底辺からこのような動きが見られるのは非常に嬉しいことである。
そう言う意味では、昔話だけではなくて、『新しい二輪文化の創造』が 、末端のユーザーたちを中心に盛り上がっていくことを、大いに期待したいと思っているし、
そんな流れができればいいなと思っているのである。
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