★1990年代 カワサキの長いレースの中でも、
Team Green の実績が燦然と輝いた時期のTeam Green 監督重本修次郎くんがこの8日に亡くなったという悲しい知らせを受けた。
昨日重本くんの訃報を聞いてFBにこんな動画をアップした。
★1990年代当時のカワサキは、『7万台への挑戦、 新しいカワサキのイメージ創造』に向かってグループ全体が邁進していた時期である。
その主たる役割を担ってくれたのが、Team Green を中心とするレース活動であり、イメージ創造活動を担う広報活動だったのである。
そしてそれらを纏めて『遊び半分ではいい遊びは出来ない』と遊びのソフト会社『ケイ・スポーツ・システム』が当時のカワサキグループのトータル活動を支えてきたのである。
7万台の目標がほぼ達成されようとする時期に、川?重工の幹部職員250名を前に、国内グループ活動状況の話をしたのは、企画部門でも、営業部門でない3つの部門の責任者、KSSの南常務、レース担当の重本部長、広報担当の小林課長と私の4人で担当し、打ち合わせなど一切なしのぶっつけ本番での喋りだった。
その中の重本くんが話した一部をご紹介してみたい。
当時のカワサキのレース活動の基本コンセプトが語られている。
それは非常に高い目標であったと同時に、レースの世界でカワサキが輝いていた時代でもあったのである。
ここで重本くんが述べているように、
単にレースに勝つと言うだけではなく、広い視点でのレースの位置づけが出来ていたと思うし、その実績でもカワサキのレースの歴史の中で、非常に大きな実績を残しているのである。
★重さんは、生前ゴルフはまさにシングルだった。
彼にゴルフを勧めて、初めてラウンドしたのが、SPA直入のすぐ近くのコースだったのである。
教え子に直ぐ抜かれてしまった。
生前の写真を探したが、こんなZ1会でのレース関係者との小さな写真しか見つけられなかった。
最近、なぜ顔を出さないのか? 病気だとも聞いていなかったので、突然の訃報は驚きなのである。
今年からTeam Green は、ファクトリ―のような感じに生まれ変わったが、
重本監督時代、野村くんが支え、技術担当としては、今のマイスターの森田優治くんの3本柱で、本当に確りとした活動だった。
その実績からも、その時代Team Green 関係で育った塚本、宗和、鶴田、北川、梁くんやサテライトの月木では多田くんや岩城?一さん、BEET強かったし
こんなサテライトチームを含んだ活動で、それは20年後の今にも生きているように思う。
当時の国内の責任者の私が、メーカーの幹部職員への報告会のレポーターとして選んだ3人は、当時のカワサキオートバイ販売グループの核だったのである。
重本くんにも、本当にいろいろと援けて貰った。
まさか私より先に逝ってしまうとは思いもしなかった。
安らかにお眠りください。 心からのご冥福をお祈りいたします。