★我ながら長く生きたものだと思う。
80年もの自分の人生を振り返ってみて、不思議なほど自分の意思でどうこうするよりは、周囲の人たちや周囲の環境の示す方向なりに生きてきた。
中学1年生で終戦になって、世の中の大きな動きの中で朝鮮から引き揚げてきたが、それ以降の自分の行く道はみんな周囲の人が創ってくれたような気がする。
自分で何になりたいとか、思ったことはホントにナイ。
●神戸一中に入学したのは、伯父の友人だった砂野仁さんが『そこに行け』と言われたからだと思う。
●高校を明石にかわったのは、学区制が施行されて仕方がなかったのである。
●高校でそのまま就職するはずが、父が正月に亡くなって、伯父がもう金が不要になったから大学に行けと言われて大学に行った。
●就職は、砂野仁さんが川航に来いと仰るので、そう決めていたのだが、卒業年次の昭和31年は不景気で、今年は採用が少ないから来年まで待てと、言われて1年間野球部の監督をしていた。
●川航に入ってからも、異動先など一度も希望など言ったことはない。アレをやれ、ここに行けと言われる通り40年間を過ごした。
そんななかで、家を三木に建てたのも、別に三木を知っていたわけでも、何でもなくて、仙台にいたころ明石に出張してきたら、取引先にいた人がダイワハウスに移っていて、三木に宅地造成をしているから、その土地を買ってくれと言うのである。
どうせどこかに土地を買って家でも建てねば思っていたので、その出張中に土地を買うことを決めたのである。
三木など一切知らなかったが、その人いわく、間違いなく良くなるからと言うので、別に誰にも相談せず決めてしまったのである。
★今日はそんなことを書くつもりではなくて、80年生きてきた中での『自然災害』との関係を書こうかとスタートしたのである。
私が、人生で経験した『自然災害』と言えば、明石に住んでいたころの『台風』が一番なのである。
一番というより、それ以外に自然災害に出会っていないのである。
明石にいた30歳までの15年間、あの頃は毎年のように『台風と直面』して生きてきた。
このころは殆ど関西に台風は来なくなってしまったが、あの頃は本当によくやってきた。
その中でも大変だったのが、1950年9月3日に徳島から淡路を通り、神戸垂水に上陸した『ジェーン台風』である。
この台風を京都に行く電車の中で、大阪を過ぎた『東淀川』あたりで4時間ほど、一番ひどい真っただ中で経験したのである。
当時は明石高校の野球部だったのだが、その何年か前に明石は優勝候補の筆頭だったのに、明石が雨でこれは中止と判断して行かなかったら、西宮は晴れていて不戦敗で予選敗退したことがあって、それ以来どんなことがあっても試合地までは行くというのが伝統だったのである。
10時に徳島に上陸と言う状況なのに、明石から京都に向かったら、東淀川あたりで電車は止まって動けなくなってしまったのである。
直ぐ前にあった消防署の建物が風を含んで倒壊するのを目の前で見たスゴイ台風であった。
それ以降も、明石には毎年のように台風は来て、その対策に大変だったし、瓦か何かが飛んできて窓ガラスを割ってそのかけらで手首を切ったりしたこともあった。
近所の家の屋根が吹き飛んだりしたこともあって、台風にはあまりいい思い出がないのである。
それ以降、仙台に移り、高槻、と移り住んだが、『自然災害』には無縁で過ごせた。
そのあと三木に移り住んだのだが、『三木が安全』と言うようなことは一切考えたりはしていないのだが、
人生の半分、40年をお世話になっている三木に来てからは、全く『自然災害』とは無縁なのである。
あの阪神大震災の時も、神戸の隣町の三木は、揺れはしたがなんの問題もなかったのである。
そんなことで、明石で台風対策で苦労した母は、亡くなるまで『三木はいいとこや』が口癖だったのである。
地形が盆地みたいになっていて、昨日の11号も風は何の問題もなかった。
それ以上になだらかな丘陵地なので、雨は幾ら降っても水が溜まったりすることは考えられないのである。
今回の台風も、テレビで見ていても、『水害』は大変である。
そんな心配がないのがいい。
そして、昨日は三木に来て40年、初めて『台風11号』が三木を直撃したのである。
昨日も雨は結構降って、NHKのニュースでも三木の名前が出たりもしたのだが、『水害』は全然アタマになかった。
テレビであちこちの水害状況を見るにつけ、安全な場所に住む幸せを感じている。
★40年も住んで、間違いなく三木で一生を終えることになるのだろう。
その土地が安全で安心だと言うことは、非常にいい。
この土地を、自分で選んだ訳ではなくて、言われる通りにしたわけなのだが『いい土地』を選んでくれたと、お礼を言わねばならないのかも知れない。
まあ、こんなのは、みんな人生の巡り合わせみたいなものだから、
自然に、周囲の人たちの言う通りに、素直に生きていくのがいいのかな と今でもそんなスタンスで生きている。