★先週の日曜日の『たかじんのそこまで言って委員会』は 『今年で還暦を迎えたものの特集』だった。
60年前と言えば昭和29年、私自身は大学3回生だったから、世の中のことはちゃんと判断出来て当たり前なのに、
この番組に取り上げられた問題は、結構ニュース性の高いものなのに、ホントのところ一切覚えていないのである。
如何に遊び呆けたり、野球ばかりに熱心だったかということなのだろう。
どんな問題が先週の番組であったのかと、思いだそうとすると今度はなかなか思い出せないので、これはまた『認知症』の始まりかもしれない。
然し、現在は便利な世の中である。
『たかじんのそこまで行って委員会』だけでは、そのホームページしか現れないのだが、
『たかじんのそこまで行って委員会 8月3日』 と検索して見ると、ずらりとYou Tube が現れて、番組自体をもう一度見ることも出来るのである。
この番組は、東京で流れないからかどうか、
この各You Tube もみんな何万回も見られている。それだけの需要があると言うことか?
東京で、この番組ご覧になったことのない方、このブログのリンクからでも、ご覧になることが出来ます。
★このブログで書こうとしたことは、そんなことではなくて、
60年前のことを幾らかでも関係づけて解っている ということは、結構大変なことで、少なくとも65歳以上でナイとそれは不可能なのである。
それぞれ議論された議題の中味もさることながら、それぞれに対して、自分の意見でも言ってみるかと思って書きだしたのである。
意見と言うよりも、感想とか想い出みたいなものである。
『自衛隊』
これが出来て、60年らしい。
この中では自衛隊や、それに関連して憲法などが論じられているが、自衛隊は朝鮮戦争勃発で、アメリカの都合で警察予備隊などが創られて、その流れの中で出来たらしい。
その朝鮮戦争については、非常に鮮明に覚えている。
高校2年生の夏の予選の前、1950年6月25日、西宮球場で広島の盈進高校との練習試合をやってる最中に突如場内放送で『朝鮮で戦争が勃発しました』と言うアナウンスがされたのでよく覚えているが、『戦争が起こったこと』などあまり関心がなかった。
当時は明石も結構強くて、その夏には甲子園にもでているのだが、この日は後国鉄スワローズに行った箱田のいた盈進や、四国の巨人に行った藤田 元司のいたた西条北などとの練習試合で戦争どころではなかったのである。
朝鮮戦争で覚えているのは、もう殆ど釜山の直ぐヨコまで攻め込まれたのだが仁川上陸から一転攻勢に転じてその後休戦になったのである。それが今の自衛隊に繋がっているのである。
いい悪いは、別にして、この朝鮮戦争から日本は一気に好景気になって復興して行ったのは間違いない。1950年までは戦後の食料難で米も食えなかったが、大学3年の頃は、日本は様変わりしていたのである。
60年経った今は、全然違った次元での議論になっているのである。
『農協』
農協が出来て、60年らしい。先述したとおり、もうその頃には戦後のひどい食料難の時代は過ぎていた。
日本の農業政策をどのように舵取りするのか、考えられた時代なのだと思う。
大学3回生だが、農協ののの字もアタマにはなかったと思う。
60年経って、今の農協問題は一言で行って、組織が肥大化し過ぎている。農業問題よりは組織問題だとか、その運営は資金運用で保たれている半ば巨大銀行のような組織である。
再考しなければ、イケナイ時期に来ていることは間違いない。
大体、『守ろう』と言う議員先生方の本音は農業問題ではなくて、自分の身分であるような気がしてならない。
『公営競馬』
JRA が出来たのが60年前のことだと言う。
賭けごとは好きではないし、やらないので、競馬も競馬場にも行ったことがナイ。テレビで見ている限りは競輪などよりはカッコよくてなかなかいいような気もする。
馬と言う生きものが主人公なのがいい。三木には、確かJRAも絡んでいる『三木ホースランドパーク』もあるのだが、馬を見ているだけでもなかなかいい。
そんなJRAが出来たのが60年前だと言うが、競輪は間違いなくもっと前からスタートしているのである。
私の高校時代住んでいた明石公園の直ぐ東側だったのだが、高校時代にその外堀が半分埋められて競輪場になったのである。家の塀を乗り越えたら競輪場に入れたりしたので、高校生の頃競輪の券は買ったことがあって一瞬儲かったりもしたのだが、JRAより早かったとは知らなかった。
調べてみたら
自治体の戦後復興費用捻出および自転車産業の発展を目的として自転車競技法が1948年(昭和23年)8月に成立。同年11月20日、地方の財政健全化と経済情勢全般の健全化、自転車産業の振興を掲げ、国体会場でもあった小倉競輪場において第1回の競輪競走が開催され、ここに競輪が誕生した
こんな記述があるが、明石競輪場が出来たのは、私の高校時代多分1951年ごろだと思う。それにしても競馬より早いのは意外である。
『原発』
これもそんな早い時期からスタートしたとは、意外だった。
原子力発電をどうするかは、私は、『いつ止めるかは別にして、止めるべきだとは思う』 のだが、テレビの議論の中で、日本が原発を止めたら、北朝鮮や中国がこの分野に進出し、それが各国に輸出されて、テロ集団にと言うような、この番組らしい議論もあった。
でも、福島の事故一つも、無難に解決できないような装置があちこちに出来るのはどう考えても不安である。
こんなに進んだ世の中なのだから、エネルギーは原発しかないと決めつけてしまうのはよくないと思っている。
★他にも色々あたのかも知れぬが、
60年という年月は、過ぎてしまえば一瞬だが、逆に60年もすると世の中も変わるものである。
この変わり方は、今後もっとその速度を上げるに違いない。
60年前は、私は大学生だった。そしてこれらの問題には殆ど関心を示さなかった。
60年経って、今二人の孫が大学生である。
果たして彼らは現在の問題に、関心があるのだろうか?
間違いなくワールドカップには感心はあるのだろうが、TPPや今のJA問題などへの関心は如何なものなのだろう。
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