★ ホントに久しぶりに 『カワサキ単車の昔話』である。
85J1で登っているので、多分昭和39年(1964)の夏のことだと思う。
二輪文化を伝える会 のFacebook ページに こんな記事が流れた。
こんなツイッターも流れている。
この話、先日の KAWASAKI THE LEGENDS & FUTUR の時 福田泰秀くんが披露したのである。
★この話には、私は色濃く絡んでいる、
福田泰秀くんは、当時の川崎航空機の中でも、単車に関係したのは非常に早い時期からである。
昭和35年末に、私が単車営業に配属された時、は既にそのサービス担当でそこにいた。サービス員が3人のころからのお付き合いなので、私はその後も親しくお付き合いをさせて頂いた。
それから何年かの後、私が広告宣伝を担当していた時、突然 福ちゃんが現れて、品証の連中と富士山にJ1で登りたいのだが『面倒見てくれませんか?』と言うのである。
勿論、会社の計画ではなくて夏休みの個人グループの計画なのである。どんなメンバーで何人で登るのかも、聞かなかったが、
『富士山の頂上まで登って、オートバイ誌に載せれるような写真が撮れたら、面倒見てあげよう』と言うことでこの話は、進められたのである。
5人ではなく多分この4人なのだろう。
福田君、に私と同じ名前の古谷君がいる。そして今は八尾カワサキのオーナー加藤君、もう一人は誰かな?
見ごと、登頂に成功して、当時のオートバイ誌の紙面に大きく写真が載ったのである。
当時のバイクにとって『登坂力』は大きなアピール要素だったので、広告宣伝価値は大ありだったのである。
登るのは大変だったようである。スリップして、モトクロス職場で装着したタイヤは、戻ってきたときには丸坊主になっていた。
最後はロープで引っ張り上げたとか言っていた。
★ 富士山が世界遺産になって注目度も大きくなったこの時期だから、今では許可されないバイクの富士登山、
ちゃんとした記録に残しておきたくて、
『二輪文化を伝える会』 の松島裕さんにお願いしたのである。
松島さんにお渡しした写真は、小さな5cmぐらいの写真だったのだが、どのように処理されたのだろう。
ネットの上では、立派な写真になっていた。
昭和38年には、ホンダカブで富士登頂に成功された方がおられて、
つい先日、その50周年記念のトークショーなど開催されたそうである。
二輪文化を伝える会は、そんな旧い二輪の出来事を、正確に残して行こうと努力されているのである。
多分、来年が『50周年』 だから、J1の富士登山のトークショーでもやったらどうかと思ったりしている。
★NPO The Good Times のホ―ムページです。
★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。