★世界最高齢116才
スゴイなと思う。
明治30年とは、私の父が明治32年生まれだったから、さらに2年も年長である。
最近は、100才はそんなに珍しくはなくなったがさらに16年である。
写真では、ヨコになっておられるが、認定書だ、お祝いだと家族の方も大変だと思う。
★ 産経新聞の写真は確りされている。
木村さんは子供7人(うち5人が健在)、孫14人、ひ孫25人、玄孫(やしゃご)14人に恵まれた。
昨年末から体調を崩し、今月9日まで入院したが、現在は一緒に暮らす孫の妻、栄子さん(60)の介助を受け、おかゆやカボチャ、サツマイモをすりつぶしたミキサー食を1日3食ペースで食べるなど元気に過ごしている。
今現在家族構成は、どんなになっていて、どのようにお世話をされているのだろう。
記事では『孫の妻60才の介助・・・・』とあるが、子どもさんは5人が健在だと言うが、勿論高齢であろうし、家での介護は大変だろうなと思う。
こんな記録保持者になると、余計に大変だろうなと思ってしまう。
★今まで経験のない長寿社会なのである。
私自身も80才になってみて、自分のことは自分で出来る、歩けるまでは長寿の方がいいと思うが、寝込んでしまっての長寿はもう一つかなと思ってしまうのである。
自分はともかく、世話をする人が大変である。家で寝込むなど論外だと思う。
何となく家で老後をと言う風潮が強いが、それは経験のない50才や60才までの人の発想だと思う。私自身も母は家でちゃんと見てあげようと50才のころはそう思っていた。
母が90になり95になり、そのころまでは未だぴんぴんしていて、買いものも食事も自分のことは全て自分でするようになっていた。
むしろ70才代のころはご隠居みたいに、家内が食事など全部面倒を見ていたのだが、子どもたちが大きくなって食事の時間など変わって来たので、自分の好きなように自分でする方がいいと勧めたら『そうする』と言って、それ以降逆に元気になったりもした。
一緒に暮らしてはいたが、殆ど手間など掛らなかったのである。大体100才に近くなると面倒を見る方が70才を超えてしまう。我が家は、二人とも後期高齢者である。家内もお陰さまで元気だが、もし今、母が家にいてその面倒を見なければならぬとすれば、現在のような生活パターンには決してならないし、不可能だと思ってしまう。
★母は今年6月で104才になる。 特別老人養老施設に入れて頂いているので安心なのである。
だが、なかなか特養にはすんなりとは入れないのが現実である。申し込みをしておかないとダメだし、仮に申し込んでいても、『介護の級』が上がらないと年齢だけでは入れないのである。母も101歳までは介護1級だったので、ショートステイはOKだったが、『歩けるから』ダメなのである。『もう少しお待ちください』と言い続けられて100才を超えてしまったのである。
101才の夏に足を悪くして入院したら、病院など初めてだったものだから、突如精神的にも参ってしまって急に何にも解らなくなり、たまたまその時期が介護認定時で『介護1級から介護5級』になったので、入所資格がとれたのである。ツイテいたと言うほかはない。
特養に戻ってきたらすっかりまたよくなって、そのままお世話になっている。
介護○級 からと言う基準もいいが、せめて95才になったら、『仮に元気でも特養に希望する人は入れるような仕組み』 にすべきである。本人よりは介護をする側が持たないと思う。
この対応の仕組みを『50代、60代の元気な人』が考えるから間違ってしまうのだと思う。70才以上の人たちの意見を聞けばいい。
『家で介護』など耳触りのいいことが考えられるのは、50才や60才だからなのである。
★116才、世界一の長寿 は日本としては、大いにおめでたいのだが・・・・
一方で、大変だろうなと 思ってしまうのである。
もし私や家内に、老後の不安があるとすれば、 『特養に、どうしたら入れるかな?』 と言うことなのである。
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