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○○周年雑感

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★ このところ身の回りで○○周年行事がやたらと多いような気がする。

今年はZ2国内販売40周年と銘打って7月にこんなイベント開催なのである。

 

 

平井稔男さんに言わすと、今年はチームグリーン30周年だと仰る。

考えてみると今年は2013年だから3の付く年はみんな○○周年になる訳で、○○周年が幾つあっても当然だと言うことなのである。

 

 

 

★ 1933年は80周年、だから今年80才になったわけである。1953年は未だ小学校だが

 

★1953年は、60周年  20才

●この年は大学2回生であった。

●この年の11月8日に突如、日記を書きだしているから日記は60周年なのである。

新聞に蒋介石が30年日記を書いているのがエライとあったので、そんなことは出来るだろうとその日から大学ノートに書きだしている。それ以降は日記があるからちゃんと正確にその年のことが書けることになっている。

理由は、多分それだけではなくて、その年の秋肺浸潤だと言われて、絶対安静と医者に言われて、ひょっとしたら死ぬかもと思ったからだと思う。何か残しておきたいと思ったのだろうと思う。

一生懸命野球をやっていて結局一度も安静などせずに過ぎてしまった。翌年の3回生からはキャプテンをやらされて、休むことなど出来ない状況に追い込まれたのである。

 

★1963年は50周年  30才

●給料やっと3万円台になった。夏のボーナスは、62300円。

●5月19日 青野ケ原モトクロスで1〜6位独占の快勝。 青野ケ原がファクトリーチームのスタートなら今年はファクトリ−チーム結成50周年なのである。

●結婚1年目で、長男が生まれた。今年50才になるのか・・

●単車事業本格的再建が決定。

この年から結婚生活が始まったのである。 同時にカワサキの単車事業も本格的にスタートしたと言っていい。

どちらも一生懸命だった。

 

★1973年は40周年   40才

●高槻から1月13日に三木市に転入。 3月17日に引っ越し三木市移住40周年なのである。

●1月30日、大阪特約店会発会を 新阪急ホテルで開催、名古屋、兵庫地区など特約店説明会を。

●2月、Z2配車始まる。 Z2国内販売40周年

●3月直営部の本部を明石に移転、三木の自宅からの出勤に。東京、名古屋、近畿を直営部長として担当してた。大阪母店長平井、名古屋母店長鍋島、東京営業所長は兼務の体制、Zのバックオーダーで大変だった。

●10月に、カワ販本社管理部長 全国の特約店対策を担当することになった。特約店制度40周年と言える

 

 

★1983年は30周年   50才

●前年10月に、単車事業本部企画部長にカワ販から復帰 単車事業再建対策 第2年度に入っていた。

●78年から続いていたハ―レ―のダンピング提訴、関税45%と決まった。アメリカのダンピング対策のスタートは79年からで、田崎雅元さんさんが担当、79年の国内新体制はダンピング対策だったのである。その後HY戦争と続いて単車事業が大変な時期であった。

●6月には 川重無配転落 原因は単車事業の赤字であった。 7月には、大庭単車本部長就任と続いた。

●主としてアメリカ対策で、KMCの増減資、P/L問題、その対策としてのFinance Co設立、新事務所統合、累損消去問題など対策金額の額も大きく大西、山田両副社長や本社財務部門の若手メンバーが全力投球で応援してくれた。主として営業外対策だから技術屋さんは殆どご存じない。ドラスチックな財務対策とトータルシステムの根本的な改革で乗り切れた。あの頃から30年なのである。

●そんな経営環境だったので、ファクトリーレースは止めたが、平井さんが繋いでくれたので、Team Green 30周年になるのだと思う。

●家では、息子が大学、娘は高校。家計は苦しかったと思う。

 

 

★1993年は20周年  60才

●1月 長男に初孫、 今年成人になったのだ。

●還暦  カワサキモータースジャパン専務(社長は高橋鉄郎本部長が兼務)時代で、

●Kawasaki. Let the good times roll  !  をカワサキの基本理念として、20年ぶり国内で復活、

●世界展開のコンセプトに決定、新宿ショー−ルームのネオンにもその文字が躍った。

●6月に、博多にPlaza IMS オープン、7月のSuzukaで、  4耐月木優勝、 8耐カワサキ優勝  8耐優勝記念キャンペーンIMSで   8耐優勝20周年!

 

活気のあったいい時期だったと思う。

国内でのカワサキのイメージの確立されたそんな頂点の時期だった。

 

★余談だが、昨日このブログのアクセスは1000を超えた。

宇宙に行くと言う、岩城滉一での検索からである。岩城滉一とのお付き合い があったのはこの時期だが、この年のARKの新年会にも清水宏次郎達とやってきたし、夏の鈴鹿では、月木レーシングの総監督をやったり、J/Sのワールドカップには前夜祭からやってきたりしていたのである。

 

 

以下の写真は2013年今現在、発行されているものだが、

そこに使われている写真は20年前のものである。

琵琶湖の近江舞子で開催されたワールドカップ。

湖岸1Kがジェットスキーで埋まり、述べ3万人の観衆がつめかけた。

鶴谷JJSBA 会長時代のJ/S最高の時期であった。

 

 ●11月に、JJSBA 10周年を記念してのワールドカップを!

この雑誌、現在発売中のもので、福井昇君が寄稿している。

今年はJJSBA 創立30周年なのである。 イベントをやったの年次から言うと20周年なのである。

 

 

 

★2003年は10周年     70才

10年前は特に何もやっていない。

前年度まで顧問料を頂いていたので、敢えて言うなら、年金生活スタート10周年である。

未だ、パソコンもやっていない。のんびりと過ごしていたのだ思う。

いろいろ動きかけたのは、パソコンをやりかけた73才以降である。

 

 

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