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カワサキの二輪事業の黎明期 その3   雑感

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★ カワサキの二輪事業の創成期とはいつごろまでのことか? 前回には「昭和41年(1966)までの5年間」などと書いたが、 川崎重工業・川崎車両・川崎航空機の3社合併で川崎重工業となる以前の「川崎航空機工業時代」かなと思ったりもする。 
 川崎航空機工業時代は三社合併の昭和44年(1969)4月までなのだが、 それまでに開発された車は、125B7/B8などの全くの実用機種に始まって、 1966年アメリカ市場用に開発された250A1から
  
 マッハⅢなど、 業界に先駆けたユニークなスポーツバイクが世に出ているのだが、
 

当時の国内市場は50㏄モペット全盛期で、ホンダ・スズキ・ヤマハの競合3社はモペットが主力だったのだがアメリカ市場中心に動き出したカワサキだけが、ユニークな250cc以上のスポーツバイクに開発の主力を移していたのである。

★今年11月の明石で開催される「Z50周年記念祭」には既にZのユーザーを中心に100名以上の出席者が決まっているのだが、これらA1やマッハⅢの開発を直接担当された大槻幸雄・百合草三佐雄さんや当時のアメリカ市場開拓に貢献した種子島径さんなどの出席も決まっていて、これは盛大な内容のある立派なイベントになることは間違いないのである。
 そんな会合での幕開けに「カワサキ二輪事業の創成期」と言うテーマでのスピーチをすることになっているのだが、 限られた時間の中でのスピーチなので、 当時の「写真を中心にした説明」にしようと思っていて、今その写真の選定に掛かっているのである。
 そんな中で冒頭に使おうと思っているのがこの写真である。

    
 私は昭和32年(1957)の入社なのだが、 その1年前の川崎航空機工業の65年も前の貴重な写真である。 現在の川崎重工業明石工場なのだが、当時は「神戸製作所」と呼ばれていた。
 川崎航空機工業は軍事産業だったという理由で戦後7年間ほどの中断があったのだが、 再開後は歯車・ミッション製作や米軍のジェットエンジンオーバーホール、 それにベル・ヘリコプターの生産などが行われていたのである。
 私は入社後財産課に配属されたのだが、再開後の経営はまだ苦しい時代で、 膨大な土地や戦前から残っていた機械などの財産物件の売り食いで、 経営を繋いだりもしていたのである。
 そんな時期に、生産から末端販売まで世界市場を手掛ける「二輪事業」は会社の命運を掛けた「失敗の許されない事業」だったのである。 そんなこともあって、非常に競争の激しかった50㏄モペットなどの小型機種は、三社合併を機にその生産を中止し、 独自の「中大型スポーツ機種」に開発・生産・販売を絞ったことが、良かったのかも知れない。

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