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カワサキの二輪事業の黎明期    雑感

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★ふとしたことで書き出した日記だが20歳からだから、 もう70年も続いていて、たまに読み返すこともあるのだが、「自分の記憶」として覚えていないことも結構ある。
 この11月には「Z50周年記念祭」が明石であって、Zファンなど100人以上が集まるのだが、 その最初のスピーチで「カワサキの二輪事業の黎明期」の話をすることになっているのである。 大体は覚えてはいるのだが、単なる昔話の雑談でもないので、 もう一度当時の日記を読み返して確かめているのである。

     カワサキが二輪事業の一貫生産をスタートさせたのは、 昭和35年(1960)のことだが、営業部の中に単車課がスタートしたのは翌年の12月のことで、 最初に発売した125B7に欠陥があってとても順調とは言えないスタートだったのだが、 いろんな幸運が繋がって、単車事業再建が決定されたのは4年後のことで、 単車事業本部がスタートしたのは、1964年1月のことなのである。 これは日本能率協会が「単車事業継続の可否」について調査し、 その結果は「単車事業継続」の結論が出るのだが、 その条件の中に「広告宣伝課の設置」と言うのがあって、その新しい課を担当することになったのが私なのである。
 それまでは広告宣伝については、当時の「カワサキ自動車販売」が担当していて、 その責任者はあのフィリッピンの小野田敏郎さんの弟さんの小野田滋郎さんだったのである。 この写真の左の方で陸士出の秀才で、現役時代いろんな方に出会たが「この人にはとても敵わない」と思った数少ない方の一人である。


     
  小野田さんには「広告宣伝課」を引き継ぐに当たり、 ほんとに親身になっていろいろ教えて頂いたのである。  これがその年前半の日記からの抜粋だが、 私にとってそれまでのサラリーマン生活とは一変した「突然変異」した期間だったと言えるのである。


 
   広告宣伝課を新しく設置なのだが、与えられた予算は年間1億2000万円と言う膨大な予算で、今の金に換算すると10億円は軽く超す額だったし、その課の課長は次長が兼務で課長も掛長もおらずにまだ係長にもなっていない32歳の私に100%任されたのである。
上記のメモ書きにもあるように広告代理店は予算目当てに電通・博報堂などが押しかけてきて、その代理店選定基準を小野田さんと二人で創ってやったのだが、広告の専門家たちから、「お褒めの言葉」を頂いたような素人離れしたものだったのである。 「雑音に耳を貸すな」とは、その時小野田さんが私にくれた言葉で、その後の人生は「雑音に耳を貸すことなく」生き抜けたと思っている。
★人生にはいろんな時期があるが、思い返してみるとこの年の半年間は私にとって、今まで全く経験のなかったことへの挑戦の期間だったと言えるだろう。
「本格的な広告宣伝」に出会ったのも初めてだし、「マーケッテング」とか「広報・広告」についても広告代理店の本社メンバーとの間で本格的な理論の勉強もしたし、今までは横で眺めていた「レース活動」についても本格的に取り組み、ライダー契約なども広告宣伝費の中から負担していたのである。

 その当時の5人の契約ライダーである。 左から岡部能夫・歳森康師・山本隆・三橋実・梅津次郎で、 マシンは懐かしいB8モトクロス車である。  私より若いのに先に逝ってしまって今残っているのは 私より10歳若い山本隆さんだけである。
  
 同じような写真だが、これは安良岡健や星野一義もいるので もうすこし後の頃の写真である。




上記のメモにもあるように6月にはMCFAJの全日本で山本隆がオープンで優勝していて、これがカワサキの初めての全日本での優勝なのである。
すぐ後には、ヤマハと契約でトラブったとかで、荒井市次が勝手にカワサキに訪ねてきたりしている。こんなレース界のスター選手だった人たちとも面識が出来て話が出来るようになったりした。
 このようにこの年の「広告宣伝課」との出会いは、 突然1億2000万円と言うとてつもない額の広告宣伝費を任されて、 流石にこれは7000万円ぐらいしか使えずに  本社の担当専務に「お前らは金をやってもよう使わん」と怒られたりしたのだが、 私自身はいろんな「初めての経験」が出来て、その後の人生にも大いに役立ついい経験になった半年間だったのである。

★今日はここまでしか読めなかったがZが世に出る1972年まで日記を読み返してみて、自分の記憶を確かめておきたいと思っている。
Zの開発責任者だった大槻幸雄さんとは、こののちカワサキがロードレースを始めた時からレース監督をされたので、それ以降今日までのおつき合いなのでもう60年ものお付き合いになる。
そんないろいろなことのあった「カワサキの二輪事業の黎明期」だが、日記を読み返してみると、忘れていたことも思いだすかも知れないのである。

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