★Wikipedia の成人式 はこのような記述で始まっている。
日本における今日の形態の成人式は、終戦間もない1946年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現:蕨市)において実施された「青年祭」がルーツとなっている。
敗戦により虚脱の状態にあった当時、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため、当時の埼玉県蕨町青年団長高橋庄次郎が主唱者となり青年祭を企画、会場となった蕨第一国民学校(現:蕨市立蕨北小学校)の校庭にテントを張り、青年祭のプログラムとして行われた。この「成年式」が全国に広まり現在の成人式となった。
蕨市の「青年祭」に影響を受けた国は、1948年に公布・施行された祝日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、翌年から1月15日を成人の日として制定した。
私個人で言うと、1933年生まれだから、20才を迎えた時には、成人式はあったのだろうが、
全然そんなことは記憶にも、何にも残っていない。多分当時は未だ一般的ではなかったのだろうと思う。
二人の子どもたちも全く成人式とは無縁で、成人していったような気がする。
我が家が関係なかったから、特にそう思うのかも知れぬが、何となく馬鹿げていて、あまり意味もないような気がしてならない。
★綺麗で華やかではあるが、
成人式というよりは、みんな同じで子供じみていて、『まだ子供ですよ大人になっていません』と宣言しているような感じさえする。
少し前までは、成人式と言えば酒に酔った男子が暴れまくるのが主役だったが、
最近は、こんな晴れ着の女子が主役になったような感じである。
成人式というよりも20才の同窓会的雰囲気なのである。
女性にとっては一生のうち、数えるほどしか着れない、晴れ着を着るチャンスなのかも知れない。
★若い時は、いずれの時代も自分の顕示意欲が旺盛で、その時代時代に若ものの形の上での独自の主張があるものだが、
それが最近は男女とも『髪型』かなと思う。
女子はよく解るが、
男子の髪型も、いろいろあってビックリである。
成人になった主張は『髪型や髪色』に一番現れているような気もする。
各自治体の首長さんたちも、式典での祝辞を述べられるのだろうが、
ホンネはどんなお気持ちなのだろう?
大人で選挙権はあるのだが、なかなか投票という行動には結び付かない子どもたちなのである。
大人は、『昔は・・・ 自分らの若いころは』 とよく言うが、
20才の時、自分たちは果たして大人になっていたかどうか?
私自身の場合はの20才は、大学1年のころになるのだが、
戦争や、終戦や、引揚げ、戦後の食糧難、朝鮮戦争などなど、経験だけはいっぱいしていて、
今のように同じ世の中がずっと続いていた訳ではない。
未だ子どものように思える新成人たちも、たった1日の成人式のお祝いが済んだら、また普通の『大人の世界』に戻るのかも知れない。
1月15日は、新しい大人が『子どもに戻る日』なのかも知れない。
そんなに目くじら立てなくてもみんな大丈夫成長していくのである。
そんなものだと、思った方がいいのかも知れない。
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