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紀元節 三連休     雑感

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★ 私たちの年代にとっては2月11日の紀元節は懐かしい。 今は「建国記念の日」だが、かつては「紀元節」と呼ばれた祝日であり、日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日が、明治政府によって紀元節と定められたものである。
私のこどものころは四大節という四つの祝日「四方拝・紀元節・天長節・明治節」があって、いまでいうなら「新年・建国記念日・みどりの日、文化の日」なのだが、
 紀元節にはこんな紀元節の歌もあったし、 学校で歌わされたので、その意味は兎も角、  紀元節の歌の歌詞などは2番までは今でも覚えている。
 雲に聳ゆる 高千穂の高根おろしに 草も木も
 なびきふしけん 大御世を仰ぐ今日こそ たのしけれ
 海原なせる 埴安(はにやす)の池のおもより 猶ひろき
 めぐみの波に 浴みし世を仰ぐ今日こそ たのしけれ 
   

 更に、昭和という年号とともに、現在の西暦ではなく紀元という年号が使われていて、 小学校2年生だった昭和15年がちょうど紀元2600年にあたったので、
 「紀元2600年」という国民歌もできて、 歌詞は難しかったのだが「紀元は2600年」というところだけを歌っていたのを覚えている。
 この紀元という年号は西暦より660年長いので、 紀元でいうと、今年・西暦2022年は、紀元2682年なのである。

★ そんな子供の頃の想い出があるので、 2月11日は紀元節だと思ってしまうのである。  私の小学生時代は、確かに戦時中ではあったのだが、 いまのように「こどもにやさしく」接するようなところはなくて、 子供が解らなくても「お構いなしに」ムツカシイことを先生は教えたような気がする。 紀元節の歌でも、紀元2600年の歌でも、歌詞の意味など解らぬままに唄っていたのである。
 よく戦前の教育はと言われるが、 小学校(当時は国民学校と言っていた)では、そんなに軍国主義的な教育が行われていたわけではなくて、 確かに教え方は厳しかったし、先生もやさしくなかったのは間違いないが、 それはそれでよかったのかなと思ったりする。
 
★ 紀元節について書いているが、 ここに書いたことを何も見ずに書けた訳ではなくて、 これは現在の「ネット時代の有難さ」で、 検索すると昔のことでもなんでも、詳しく現れるのである。
  「紀元節の歌」も  

「紀元は2600年」という国民歌もこんな動画があって その歌が聞けたりするのである。

 

 小学校時代から約80年の年月が流れているのだが、 この80年間の時代の変化は激動と言って間違いなく、 全く違った世の中になったと思う。
 こんなに変わった時代を生きた人は少ないのではないかと思っている。 特に昭和の時代はまさに激動そのものだったと思うし、 もう少なくなってしまったが、 昭和一桁=紀元節が懐かしい世代が、一番その変化を体験したのだと思う。

★ そんな昔流にいう紀元節は三連休で、 今日は珍しく息子が鎌倉からやってくる。 何を想ったのか、突然電話してきて来るというのである。 息子といってももう60近いのだが、 私と息子の関係は、子どもの頃から全く変わらないように思う。 子供の頃から息子を怒った記憶など全くない。 学校の勉強のことなど一切言わなかったが、 それは「父が私に対した態度」と全く同じだったのだと思う。
 私も子供の時から自由にさせて貰ったが、 息子にも何の注文もしたことはないし、受験も就職も相談に乗ったりはしていない。 子どもの頃は、魚釣りを一緒にしたり、サッカーを見に行ったり、 トモダチ付き合いのような関係だったが、今でも一緒なのである。 学校の勉強のことなど一切言わなかったが、  何となくだが、子供の育て方などは 「建国記念日流」よりは「紀元節時代」のほうがいいのではと思ったりする。
 さて、この3連休どんな3日間になるのだろうか?

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