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人を点数で評価する方式    雑感

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★大学入学共通テストの問題をちょっと見たが どれも難しくて、とてもできるとは思えない。
 

ただ、難しくなりすぎて「6科目で平均点過去最低」だという報道も流れた。そんなに試験のレベルを上げてどのような効果があるというのだろうか?入学試験とは今から育てる人材を選ぶだけのもので、入学してからの大学の在り方のほうがより大きな課題だと思うのだが。
 私たちの時代にも「進学適正検査」というのがあったのだが、 これも「問題がある」ということで無くなってしまった。 大体「人を点数で評価する」ところに問題があるのではと思ったりする。
★ 私自身のことを振り返ってみると、 小学校時代は、卒業時に知事賞にあたる府伊賞を頂いたりした。 中学校も秀才が集まると言われた誉れ高い神戸一中だったが、 2年生までは10番以内にいたが、成績が良かったのはそこまでである。 それから先の数学でもほかの科目でも専門的知識のレベルになると、 全く興味を失って、全然勉強をしなくなってしまった。 そんな現実とはかけ離れた専門家の世界などには何の魅力も感じなかったのである。  従って私は「専門的知識」は皆無だが 現役時代は専門家と思われる方々にはいろいろお世話にはなったが、 結構、大きな課題に取り組むことが出来て、 89年になろうとする『自分の人生』に悔いなど全くなく満足している。
 一応は大学まで卒業したが、大学の成績は「可」ばかりで、 川崎航空機の入社試験の面接では「君は成績悪いね」で始まった。
 ただ、私は運転免許試験なども含めて、「試験に落ちたことはない」 そういう意味では「運」だけはよかったのだと思うし、 逆に言うと「運を呼び込む」人生の歩き方をしたようにも思う。

★社会に出てからの会社での評価は、 自分でも不思議に思うほど「最高のトップ評価」を頂いたが、 二輪業界というオートバイ屋さんがお客の業界だったから、 「学校での知識」など全く要らなかったのが幸いしたとも思う。 一体社会での「評価」と「学業成績」とはどんな関係があるのだろう?
 ところで、日本とアメリカでは大学入試の形態が全く違っていて、 
 日本 にお け る入学 試験の 形式は学力 テス ト中心だが、 アメリカで は適性 テス トが大 学 入試 に取 り入れ られ てい て、 高 校 の課 外活動 な ども加味 して、 大学 ご との基準 に よって選抜 して いる。 アメリカの大学入試 は正 に 多様性 を志 向 して いる と言 え るのである。
 娘のほうの孫の門野真也は、 世界的な大学のレベルでは東大よりはずっと格上のアメリカのバークレー大学卒業だが、 日本にいたら東大には多分入れなかっただろう。 勉強もしなかったわけではないだろうが、サッカー中心の高校生活だった。 バークレー大学にはサッカーでの推薦入学だが、 入学後はサッカーだけだはなく厳しい授業にも通って、無事卒業している。
★私などは間違いなく、アメリカ方式がいいと思うが、 日本がこのように変わるのはなかなかムツカシイような気がするのだが、 学生にこんな訓示をしている大学の学長さんもおられるのである。
『大学で学ぶ意義とは、結論から言えば、将来、自分の夢を実現するための力を養うことだと言えます。ただ、夢を実現するには、単に学問を修めて知識や技術だけではなく、人間的な成長、社会で生きていくための社会人としての基礎力を養うことが欠かせないのです。1.国際的な教養を身につけること。2.批判的思考ができるようになること。3.創造力を身につけることです。 また、人間的な成長の中には、柔軟な思考を持つことも含まれています。グローバル化が進む現代では、多くの企業が国際的に通用する人材の育成を、大学に強く求めています。』
     

 そういう意味も含めて 「人を点数で評価する方式」もいい加減にやめないのかなと思ったりしているのである。

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