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父の絵 と 私の年賀状 と 孫の絵    雑感

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★ 師走である。 かっては12月は年賀状を書くのに結構大変だった。 1枚1枚手書きで書いていたので、時間も手間も掛ったのである。
 別に習字など習たことはないのだが、字を書くことは嫌いではなかった。 父は絵は橋本関雪に、書は関雪の父・橋本海関に習ったというのが自慢だった。 橋本海関は明石の出で長寿院にはその墓もある。 我が家とは「遠い親戚筋」だとは聞いていたが詳しくは解らない。 「嘉永五年、明石藩士の家に生まれる。 父方は剣術師範、母方は儒家の系統という出自もあり、文武に励んで藩校敬義館や維新後は兵庫県師範学校の教師を歴任、 晩年は明石に居を定めた」というから父はその頃書を習ったのかも知れない。「現代では息子の関雪のほうが有名であるが、 当時は海外にも知られるほどの名士であった海関は書画にも深い味わいのある作品が多く、 播州一円の旧家に多く遺されている。」などとある。
 戦災でみんな焼けてしまったが、関雪の絵も海関の書もいっぱいあったのだが、今は一つも残っていない。 剣術師範とあるが、ひょっとして明石松平藩の剣道指南番をしていたという 曾祖父「古谷満平」のことかも知れない。 阪神大震災で潰れてしまったが、長寿院にその墓はあった。

 「素雪」が父の号で、書はないがその絵は残っている。
    




★ そんな父の血を引いているのか、 絵は兎も角、書は何となく好きである。
 こんな年賀状を、毎年100枚出していたので、 12月はなかなか大変だったのである。

   



★ 以前は11月末から12月上旬は猛烈に忙しい毎日を何十年も過ごしていた。
毎年出していた100枚の年賀状を書き上げるのが大変だったのである。そんな年賀状を出さなくなったのは、2014年に母を亡くして、『印刷した喪中はがき』を発送したものだから、
それで「手書きの年賀状」が途切れてしまったのである。
 実はそれまでは、 個人的に『印刷した葉書』を発送したことはなかったのである。 「転勤時の連絡・挨拶状」などもすべて自筆で書いていたのだが、 
『喪中はがき』の発送で『私なりのやり方が途絶えてしまった』ので、 今までの仕来りも途絶えて『やる気』を失ってしまったのだと思う。

★ それは兎も角、世の中で「年賀状」を出す方の推移はこんなことのようである。 この表を見る限り、年賀状が始まったのは戦後のことなのである。 昨今は、ネットの発達もあって急激に低下している。 
 
 
★どんどん減ってしまうこんな状況を見ると、 時間もできたし、90歳になる年には、 「手書きの毛筆の年賀状」を再開してみようかなと思ったりする。
 1枚1枚相手の方に対して文章の違ったものを出すのは結構な労度で、 再開するにはそれなりの覚悟みたいなものが要るのだが、 若し、90歳も生きていたら希少価値もあるだろう。 来年は、「翌年90歳を迎える」年末になるので、 「手書きの毛筆の年賀状」を再開しようかと思ったりしているのである。 果たして、どんなことになるのだろうか?
  それはそうと、アメリカの孫・門野真也が 絵が好きで、こんな絵を毎日アップしている。 
       何となく、血を引いているのだろうか?
   
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