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カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス    その 5

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★ 昭和45年(1970)10月、私は東北仙台から明石の本社には戻らずに、大阪に途中下車することになったのである。 この時期漸く国内市場も実用車から中大型スポーツ車への需要の移行も見え始めた時期で、 3社合併があって50ccの生産中止も決まったものだから、 カワサキは他メーカーに先駆けて、中大型市場の大市場対策に入ったのである。
 それまでのカワサキは『実用車のカワサキ時代』で九州や東北など、 地方市場がその主力であったため、特に大阪・名古屋市場が弱かったのである。

★当時の販売システムは『委託販売制度』で、50ccのモペットを大量に売るために、全国の自転車屋さんに車を委託していて、それを『サブ店』と称していた。  



 今では考えられないほど多くのサブ店を有していて ホンダさんはその数4万店とも言われたし、 カワサキでも1万店ほどのサブ店での販売展開だったのである。 



 私が異動した大阪市場は、カワサキの中でも最低の弱小市場で、 異動してすぐ挨拶に伺った『船場モータースの岡田博さん』には
 『東北ではどれくらい売っておられたかは知らぬが・・』と前置きがあって、 『大阪ではホンダは別格、世界のヤマハ、日本のスズキ、明石のカワサキ』 と言われてしまったほど、カワサキの存在感は薄かったのである。
 確かに、大阪でもサブ店だけは500店もあったのだが、 部品取引だけで完成車は1年に1台も売らない店も多かったのである。
 そんな大阪市場であったが、結構精力的に動いて、 その年の年末に中心になるであろう販売店20店ほどを勝浦温泉に招待して 今後の大阪市場対策についてその大綱を語ったのだが、 大いに賛同を得て、船場モータースの岡田さんを中心に 『カワサキ共栄会』を創ろうという動きになるのである。
 翌年2月4日の二輪車新聞のトップ記事には、 カワサキは『2年以内に実績倍増を見込み』 その対策として『販売網再編構想を』と大々的に発表されたのである。

 『
 『明石のカワサキ』と言われたカワサキが突如動き出したので、  大阪の業界でも大きな話題となったのである。  ホンダさんの営業会議では 『カワサキを双葉のうちに潰さねば』などと言われたとか・・・
  その考え方の骨子は、 ● 今後のカワサキは中・大型スポーツ車を中心に販売する ● 当然その台数は50ccに比べて少ないが ● 中・大型車を数多くの店に委託することは不可能なので、 ● 自転車屋ではなく、二輪専門店で販売されるべきで、 ● そのような『新しいカワサキの販売網構想』に賛同する店に絞る
 という方向を採ったのである。


 
 そして大阪にあった500店の販売店の中から カワサキの趣旨に賛同する25店に絞っての 『カワサキ共栄会活動』をスタートさせたのである。
 そして、8月には『特約店制度』のスタートに向け発進したのである。




 この時の『記事』を書かれた二輪車新聞の衛藤誠さんは ご自身の回顧録の中で、この間の事情を大要このように語られている。
● 古谷氏の狙い通り、事はトントン拍子に進み「半年あれば物事はある程度の現実をみる」とおっしゃる通り、この年の5月には「大阪カワサキ共栄会」の結成総会にこぎつけ、会長には船場モータースの岡田博社長が就任した。● このあと、府下の販売店のうち約500店もの販売店との取引中止を実施し、同時に「カワサキ特約店制度の基本構想」の検討にも着手した。● 71年1月には、“二輪車事業10周年” を記念して、全国の優良店100店を業界初の「米国視察旅行」に招待し、KMCとサンフランシスコなど西海岸の旅で、この視察旅行団長を古谷氏が務めた。● このあと、4月にはカワサキ本社に東京・大阪・名古屋地区を統括する直営部が社長直轄として設けられ、直営部長には古谷錬太郎氏が着任。● 前年から検討されていた「カワサキ特約店制度」の構想も急ピッチで進み、8月中にはその概要がまとまり、二輪車新聞の8月31日付けに掲載。● 9月8日、大阪の厚生年金会館で、この正式な発表説明会を開き、まずは直営部管内の東京・大阪・名古屋地区で先行することにして、正式なスタートは72年10月1日からとした。● さらに翌年の73年9月からは、この「カワサキ特約店制度」を全国的に導入することになり、首都圏全域や広島、福岡などで積極的な活動が展開された。● 当時のカワサキは“ZⅡ”をはじめとする中・大型車の販売が好調で、これも特約店契約促進の追い風になった。                 二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠

★ ここに衛藤さんが纏めて頂いたように、 私の大阪母店長着任の昭和45年(1970)10月からの4年間で、 カワサキの新しい販売制度『特約店制度』は全国的に実現したのだが、 その間私は、大阪母店長・直営部長・本社管理部長として、 まずは大阪母店から始まって、 続いて直営部長として東・名・阪、 さらに全国展開を仕上げて、 昭和50年(1975)10月には川崎重工業発動機事業本部企画室課長として、 10年間の販社出向を終わって帰任することになるのである。
 この時期未だ他銘柄の販売網の主力は全国の自転車屋さんだったし、 二輪専門の販売網を組織したのは『ひとりカワサキ』だけだったのである。
 カワサキアーカイブスでは、 メーカーのことではなく、販売会社のことなのでそんなに詳しくは取り上げてはいないのだが、
 

 私自身にとっては、初めての全国的な販売網システムで、 それも業界で初めての『二輪専門店販売網』であったことから その実現に漕ぎつけられたのは、非常に大きな成果であったと思っている。
 1975年と言えば、まだ43歳、 川重では課長任用されたばかりの頃のことなのである。 今思えば、若いのに『よく頑張ったな』と思っている。
 当時のカワサキオートバイ出向の10年間は 広告宣伝課長   3年間  広告宣伝とレース担当 仙台事務所長   3年間  東北6県代理店、最後の半年は北海道も担当 大阪母店長以降  4年間  特約店制度の全国展開だったのである。
 いま思うと全てが前任者のいない『初めての仕事』ばかりだったのである。

★ この時代から、もう50年が過ぎようとしているが、 二輪業界も各メーカーとも、中大型車が主力となり、 二輪専門店の販売網が敷かれている。 逆に言うと『50年間進歩がなかった』とも言えるのである。
 ずっと、『ネットでの販売を』と言い続けてきたが、
  やっと昨今、ホンダの新販売方式 が登場した。 『国内自動車メーカー初 新車オンラインストア「Honda ON」オープン』 10年遅かったと思っている。 今の時代、店舗などよりは当然『システム』だと思うのだが・・・
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