★ 私は人生で『何になりたい』と思ったことはホントに一度もない。
ただ、自分で『やりたいこと』をやって過ごしてきたし、 幸運にも恵まれて『やりたいことが出来た人生』を過ごせたと思っている。
社会の中では 会長・社長・専務・常務・部長・課長などいろいろな職位があるが 幸いにそのすべてを曲がりなりにも経験できたのである。 その職位も世の中には大小いろいろな企業があるから、 同じ社長でもピンキリであることは間違いない。
私の最終職位は川崎重工業の技監なのである。 技監とは技術屋さんで博士号をとった技術の権威者や 官公庁から川重に天下りしたお役人などを取締役待遇で遇する役職で、 そのすべてが技術屋さんだったのだが、 私は川重で初めての事務屋の技監だったのである。
これは間違いなく当時の川重社長だった大庭浩さんの人事で、 大庭さんからは直接私に『お前はマーケッテングの専門家だから』という 説明付きの人事だったのである。
大庭さんの最後の事業本部長が単車で、私はその番頭役の企画室長だったのだが、 技術以外の経営・財務に関することはほぼ100%任されていたのである。 大庭浩さんは『めちゃこわい』という評判の方だったが、 その怖い顔をものともせず自論を述べていくと、 その論理を納得されると『常にOK』が出るのである。 そんなことで私の現役時代に私の意見を一番多く聞いて頂いた上司は大庭さんなのである。
★ この技監という職位を私が気に入っているのは、
● 川崎重工業で初めての事務屋の技監であったこと ● その職位は大庭浩社長直々の決裁であったこと ● その職の理由を大庭さん自らがわざわざ私に説明されたこと
などから、私を取締役にせずに技監にされるまで、 大庭さんなりにいろい熟慮されたのは間違いないのである。
そして『技監』という職位は特に中央官庁では大いに役に立ったのである。 中央官庁に行くと会社の社長や専務の名刺を出しても特別なことはないのだが、 『技監』の名刺は結構尊重して頂けたのである。 多分それは官公庁の結構な地位の方が天下りされて『技監』になられているので、 多分、その方と同じ『技監』ということなのだ思うのである。
★ 今は川重の役職も形が変わって『技監』という職位があるのかどうか、 私には解らないのだが、 当時は私の実際の職務はカワサキの国内販社の専務して、 実質すべてを統括して国内7万台の達成の実績を上げることが出来たし、 当時の国内カワサキのイメージは最高の時代で、 大庭さんが言われる『マーケッテングの専門家』としての技監に恥じない実績が残せたのを嬉しく思っているのである。
社長は当時の川重副社長をされていた髙橋鐵郎さんが兼務されていたのである。
これは、国内販社の社長はずっと単車事業部の本部長が兼務されていたのだが、 当時の単車本部長は田崎雅元さんで、年次では私が1年上なものだから それを気にされて川重副社長の髙橋さんの社長兼務だったのだと思うのである。 長い歴史を誇るカワサキオートバイ販売(現在のKMJ)で川崎重工の副社長が社長を兼務されたのは、唯一私の専務時代だけなのである。
そんなことで、上の方たちが『私のこと』をいろいろ気を遣って頂いた『技監人事』だったので、 私は今でも一番気に入っている『私の職位』なのである。 本当にありがたかったと思っている懐かしい『技監』の職位なのである。
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