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カワサキオートバイ販売出向の10年間  その 8

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★ この時期が1回目の国内出向の10年間だった。 現役時代国内販社と親会社の間を往復していたのだが、川重に戻った時は営業第1線で得たノウハウを単車事業部が必要としたときに戻ったりしているので、何となく自分では『逆出向』のような感じも持っている。
その1回目の国内販社出向の10年間は、自分にとっても初めての経験ばかりだったのだが、ホントに末端の第1線を経験したことは、普通ではなかなか経験のできない貴重なものだったような気がする。
中でも『人との出会い』が貴重な経験で、大会社の従業員でない代理店の方たちや販売店の人たちと密接に繋がって、一緒にいろんなことが出来たのはよかったなと思っている。
『人は歳を取るにつれて成長する』というのだが、ホントかな?と思ったりもする。 特約店候補の人たちも、それを推進した所員も、私自身もみんな若かった。『若かったから』思い切って世の中で初めてのことだったのだが、推進できたのではと思ったりもする。
 ★このカワ販出向期間の10年改めて振り返ってみる。
● 昭和40年(65) カワ販出向・山本隆ジュニアロードレース● 昭和41年(66) カワサキ日本GP初出場・藤井敏雄マン島事故死● 昭和42年(67) 仙台事務所長・東北6県代理店営業● 昭和43年(68) マッハⅢ発売 カワサキ中・大型車分野へ本格的に● 昭和44年(69) 川崎重工業・川崎車両・川崎航空機3社合併● 昭和45年(70) 三木市に土地購入、10月に大阪母店長に● 昭和46年(71) 大阪カワサキ共栄会設立● 昭和47年(72) アメリカ視察団、特約店構想、中日本営業部長、● 昭和48年(73) 直営部長、 東名阪 特約店制実施、三木市転入● 昭和49年(74) 管理部長(本社異動)、特約店制全国推進● 昭和50年(75) 10月川重単車企画室企画部復帰、
 ざっとこんな10年だった。 明石での広告宣伝課でレースも担当、仙台に白紙から事務所を創っての代理店営業は初めての営業経験だった。4年間のうち、あとの2年は北海道も担当だったが、流石に広すぎて北海道には2度しか行けなかった。

  

   その間の3社合併やカワサキ二輪事業の中大型スポーツ分野への転身に伴っての大阪への異動は文字通りの第1線の初体験だった。 大阪でのカワサキ共栄会の設立から、特約店構想さらにその推進と目まぐるしく動いた。  直営部長時代のテリトリーである。 広かったが結構現地に行っている。


 

その間個人的には三木の土地購入。三木市への転入などあって、明石本社への異動し、全国の特約店制推進の旗を振った。1975年には全国特約店制がほぼ完成して、10月に10年ぶりに川重復帰。


 殆ど家のことは家内任せで放っておいたのだが、 子どもたちは小学生時代、息子は4年生ぐらいからサッカーを始めて、 小学校5年生ではオール三木で兵庫県優勝、 6年生では兵庫選抜で全国大会にも出場し優秀選手になったりしたので、 川重復帰して息子も中学生になってからは、そのサッカーを観るのも楽しみだった。
 兎に角、ガムシャラニ精一杯生きた「10年の出向期間」だった。
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