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人生で一番頑張った時代、46歳からの10年間 その4 自分史

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★ 前回の最後に『運勢来年2月まで』1987年に記載があるのだが、    これはなかなか当たっているようにも思うが 長く生きてきたが、私の人生は概ね『好運に恵まれた』と言っていいだろう。
    運にも恵まれたし、いろんないい方にも出会った。 前回書いた『大庭浩さん』もその一人だが、 この時期も含めてずっと関係のあった人と言えば 『岩崎茂樹くん』かも知れない。
  早く亡くなってしまって残念なのだが、 私だけではなくて『カワサキの二輪事業』でみんなお世話になったと思う。
 めちゃ博学で、勉強家でバイクについても カワサキが二輪車など関係なかった時代に、 大阪の船場モータースとハーレーで繋がったりしているのである。
 生野高校の野球部の出身でもある。 当時『オール生野』には明石のOBがいっぱいいて強かったのだが、 そんなメンバーの指導を受けて、明石のOBである私より明石の野球部のことに詳しかったりした。
 田崎さんと私と岩崎だが、彼と一緒に造った『SPA直入』での写真である。
  
  私のレース担当の後を引き受けてくれたのが岩崎である。
 髙橋鐵郎さんが生産部門から国内販社に来られた時の営業の先生役が岩崎である。
 そして田崎雅元さんとのコンビでアメリカ市場を担当したのも岩崎だし、 私と髙橋さんで市場開発プロジェクトを担当した時、イランの現地で活躍してくれたのも岩崎なのである。

★ いろんな彼とのプロジェクトがあるのだが、 1987年から直入町に造った『SPA直入プロジェクト』がその最たるものである。 当時は各メーカーはレーサーレプリカ全盛期で、 そんなバイクを開発するのだが、それを走らせるところがなくて、 ユーザーたちは峠に集まって走らせるものだから『峠族』などと呼ばれていたのである。
 そんな時期『一般のユーザーが走れるサーキット』を作ろうと思い立って、 岩崎茂樹と二人でこのプロジェクトをやりかけたのである。
 大分県直入町にはテストコースを造るべく広大な土地を購入はしていたのだが、膨大な費用の掛かるテストコースはその後の事業本部の経営状況もあってそのままになっていたのである。
 『サーキットの建設』など全くの素人だったが、岩崎は勉強家で直ぐいろんなことが解ったのである。 テストコースは何故膨大な費用が掛かるのか? それは土地を平たくするための土を動かす費用が膨大なのである。 コースの舗装費用などはそんなに大したことはないのである。
 一般のライダーたちが走る短いコースを地形なりに造られた 『SPA直入』の開発費用は2億円も掛らなかったのである。
  

 こんなコースに仕上がった。 周囲の環境が良くて、 日本で一番美しいサーキットだと思っている。
 
  『SPA 直入』の名付け親も岩崎茂樹なのだが、 『SPA』は勿論直入温泉の『SPA』の意味もあるのだが、 ベルギーにある世界的に有名なサーキット  『スパ・フランコルシャン』の『スパ』ともかけているのである。

  そのスケールは異なるが、何となくその環境は似ているのである。   
  88年に『大分SPA直入計画』の記述があるが、 当時営業本部担当だったが、その業務は課長以下に任して、 私は殆ど『SPA直入プロジェクト』に掛かりきりだったのである。
 川崎重工業としても、本社財産課も、建設を担当してくれた建設会社も『サーキット』などはじめての経験だったし、 その設計の『基本コンセプト』は殆どが『岩崎茂樹の発想』なのである。  

  それから30年も経っているのだが 『SPA直入』は当初のコンセプト通りに 多くの二輪愛好者たちに可愛がられているようで何よりである。
 『YOUR RACING COURSE』と表現されている。
  

 私が人生で一番頑張った時代、 その仕上げは『SPA直入』だったのである。


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