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7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略の時代 18

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★ この時代はいろんなオモシロいことも多いのだが、 当時は私はカメラを持っていなくて、写真が殆どないのである。  将来、こんな時代が来ることが解っていたら、間違いなくカメラは使ったのだが、 当時は、『カメラなどで写さなくても、この目で確り見ればいい』などと、 エラそうなことを思っていて、海外などもいろんなところに行っているのだが、 そんな写真が全くないのは残念なのである。
 この時代のことを想い出すのは、日記を見ると記録は残っているので、 その当時、どんな風に思っていたのか、日記を切り取って紹介してみたい。

★これは当時のヤマハオートセンターの杉浦斎さんが、89年1月に 明石に来られた時のことを書いている。
 今は『レッドバロン』になっているのだが、杉浦さんお元気なのだろうか? 歳は私の方が上である。 業界では『うるさ型』で知られていて、杉浦さんと『さしで』長時間話された方など、 そんなに多いとは思わないが、私は結構何度もお話をさして頂いている。

  


 この時も、朝から晩まで二人きりで話しているのである。 それも殆ど『仕事の話』から脱線しないところが素晴らしい。 一言で言うと『猛烈に熱心』なのである。
 議論はかみ合わないことの方が多くて、激しい応酬になることが多いのだが、 厳しく文句を言われるのは常に、杉浦さんの方で、 私が『ヤマハオートセンター』に文句を言うことは少ないのである。

  今は『レッドバロン』 このようなホームページに、 このように紹介されている。   https://www.redbaron.co.jp/company/vision.html

  

  



★一番最初に杉浦さんにお会いしたのは、 ヤマハを辞めて『ヤマハオートセンター』を岡崎でスタートされた未だ1店の頃で、 カワサキの特約店制度に特約店として加入されたころである。
 そんな頃からのお付き合いだったが、当時1店だけの頃も、 横に安全運転コースを持ち、認証工場の資格も取っておられて、 『カワサキの特約店』などと言っても認証工場の資格のないところも多い。 と厳しく指摘されて、『確かに』その時分はそうだったのである。 大阪に戻って堺の伊藤モータースに『認証を』と言ったのは、 杉浦さんにそのように言われたからなのである。
 確かに、言われることは正論が多くて、それが厳しいので、 普通の人は話をするのを『嫌がる』方が多いのだが、 私は『杉浦さんとの話』は、やられることも多いのだが、結構楽しんでいた。
 杉浦さんも、流石に『言い過ぎた』と思われるのか、 最初にお会いした時は、すぐウイスキーか何かお酒が家に届いたし、
 我が家には『杉浦さんからの贈り物』それも結構立派なものが並んでいる。

 これも杉浦さんからの贈り物である。
 
  
 こちらも確か、そうである。 まだ、このほかにもいろいろある。
 結構、何度も話しているということなのである。






★『7万台、450億円の売上高』を目標にしてたこの時代も、 カワサキモータースジャパンとヤマハオートセンターは その売上高を競っていたりして、 杉浦さんは『カワサキに負けないように』と言われていて、
 当時も、ちょっとだけだが、ヤマハオートセンターの方が売上高で多かったように 記憶している。
 なかなか、スケールの大きい『世界一のオートバイ屋』さんになったと思う。
 私自身は、杉浦さんだけでなく、 業界で『うるさい』と言われてた方とは、何故か親密なのである。 船場の岡田博さんとは、ホントに身近な存在だったし、 船場さんのお弟子さんのような『伊藤彰』さんとも昵懇なのである。
 現役時代には、こんな方たちと いろいろと意見を戦わしたのが懐かしい。
 杉浦さんとは、この日記を見ると 昼は菊水の鮨、夜は金龍閣と『明石では最高の接待をする』と記録があるが、 多分間違いなく二人だけである。 そして、その後岡崎まで帰られたはずである。
 ホントに杉浦さん、今もご健在で頑張っておられるのだろうか? 大きくされているので、『後を引き受ける方』が大変だと思ったりする。 私にとっては『いい想い出』なのである。
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