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私の人生 いろいろ  雑感


★私の父方の祖父は、私の生まれた時はもうこの世にはいなかったから知らないのだが、母方の祖父は知ってはいるが、孫が気軽に話をできるような存在ではなかった。
87年人生を生きているが、振り返ってみると、いい環境の中で生きられてよかったと思っている。私自身は物事に対して、『不満』などあまり感じたことはない。
『職業や職位』など『何になりたい』と思ったことは一度もない。何となく人が決めてくれた道を歩いてきた。人に頼まれたことを素直にやってきただけである。
現役時代も最高にオモシロかったが、1980年代からは、私の異動を決めてくれたのは川崎重工業の副社長の方たちで、結構内容はムツカシイ課題だったが『上手くやるように』と頼まれたので、『自分の思う通りに動けた』のである。
1990年代の最後の10年間は、国内市場を任されたのだが、当時の川重社長の大庭浩さんから、『君はマーケッテングは専門家だから技監を』と今まで技術屋さんしかなれなかった『技監』の職を頂いて大満足だったのである。

★ただ、強烈にその時々『自分のやりたいように』それには一直線に向かっていったようなところはある。
そんな性格や、生き方は『遺伝の要素』があるのだろうか?
私には男の子ばかりだが、4人の孫がいて、夫々違うのだが、何となくそれぞれ私に似たところを持っているようにも思う。 息子よりも、むしろ孫の方にそんな性格的なものは『似たもの』を持っているので、私の性格は、ひょっとしたら『祖父が持ってたもの』に似てるのかなと思ったりするのだが、その祖父がどんな性格だったのかがよく解らないのである。

★父は元気だったのに、戦後脊髄カリエスになって、52歳で亡くなってしまった。父とも、二人で話などすることもなく逝ってしまったが、厳しいところがあって、甘やかされた経験など一度もないのだが、私はそんな父が好きだった。

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伯父が本家だったが、私が子供の頃は、後継ぎがいなかったので、『お前が継げ』と可愛がってくれたし、小学生の低学年の頃から、伯父が遊ぶ夜の世界などにも連れまわされて、大人の宴席がどんなものかは、コドモの頃に知っていた。
 右が父、左が伯父である。    Image may be NSFW.
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父は、高校3年の時に亡くなってしまって、大学も、就職もすべて伯父の世話にはなったのだが、 私が『お金に何の興味もない』のは、お金があるのは『あまりいいことではない』と伯父の生活態度など見て、なんとなくそう思ったからだと思う。
『お金はないと困る』が、必要以上にあるのはいいことではないと思っている。だから『お金を増やそう』と思ったこともないし、増えたりもしていない。
父からも、子どもの頃から『こどもは金など持つものではない』などと言われて、小遣いもお年玉も貰ったことはないのである。
私は現役時代も今も『小遣い』など貰ったことはないし、財布の中には大金など入っていたことは一度もないのである。金のことは一切家内任せで、アメリカに行くときなども、私は一切ドルなど持っていかないのである。


★これは伯父も父も未だ早稲田の学生時代で、祖父・祖母など当時の一家の珍しい写真だが、私はここ明石市上ノ丸2丁目720番地で生まれた。

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 明石公園の外堀に面していて、今は何十軒の家が建っているので 『上ノ丸2丁目720番地』という住所は存在しなくて、 私の本籍だけが残っている。
 今頃になって、私が一番知りたいのは 祖父古谷虎雄のことで、ひょっとしたら、私は『祖父に似ているのでは』と思うのは、伯父とも父ともあまり似たところがないと思うからである。


★こんなブログをアップしたのも、昨日何となく『古谷虎雄』と検索したら、 こんなページが現われて、 その中にある『明石紳士録』の中に祖父のことが書かれていたのである。
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 はじめて知ったが、祖父は幼少の頃は『孤独で不幸な境遇』と書かれている。会社を立ち上げて『明石第一の大会社』にしたようである。


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さらに、その後朝鮮に渡り、太田電気の経営に当たり、私が物心ついた時はその太田にいたのはよく覚えている。

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 その後、南鮮合同電力となって、京城(今のソウル)に移ったのである。伯父はその南鮮合同電力のオーナー副社長で新聞に人事往来なども載ったりしていた。


★私自身は、子供の頃のこんな恵まれた境遇の中で育って、 上ノ丸の家には伯父がプールを作ってくれたり、 戦前なのに自家用車があったりしたのである。  戦後一転して大変な生活も経験するのだが、 不思議なほど自分の人生が不幸・不運だったと思ったことはなくて、 『常に最高の人生』だったと思って生きてきたのである。
 あまり一般の方は経験しないような、そんな人生だったのも 『運がよかった』と信じて疑わないのである。
 そんな人生だったが、私の孫たちは、『私と祖父との関係』とは全く違って、 今でも『トモダチづき合い』のような気軽な関係なのである。 孫たち4人の中で、特に意識したわけでもないのだが、  一番関係があるのは、息子の方の古谷仁と 娘の方では次男の門野真也で、
 真也の方は昨日もFacebookにこんな動画をいっぱい送ってきてアップしてくれ と言うし、こんな絵を画く才能は誰に似たのか、 コロナウイルスで閑なものだから、 弟の哲也のこんな似顔絵を毎日1枚書いてそれを私に送ってくるのである。
 3月から毎日1枚、書いていてもう2ヶ月も続いているようである。 何でも『熱心にやる』ところは似てるのだが、 その熱心さの『度合い』が半端ではなくて、真面目なのである。

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 絵を画くというと父も趣味でこんな絵を画いていた。

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今日はFacebook の『7日間 ブックカバーチェンジ』で古谷仁が責任者で纏めたこんな冊子の紹介をしてやろうと思っているのである。

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   古谷仁は、本当にちょっと変わっていて、慶応大学の卒論を書くために1年留年して世界を廻り、それを卒論にして優秀賞を頂いたりしたのだが、すぐ就職などせずに、この『Ripple Room 』などに携わり、好きなことをしていたが、今年『リクルート』に入社したようだが、今年入社出来てよかったなと思っている。『自分のやりたいように生きる』ところは、私にも似てるのかなと思っている。

★いろいろあった人生も『残り多い』とは流石に言えない歳になった。 ホントにコロナが、世の中を変えるだろうか?
 祖父も、伯父も、父もみんな早く亡くなってしまったのだが、 私がこんなに長生き出来てるのは、 間違いなく、103歳まで生きた母や、 102歳まで生きた祖母の遺伝子だろうと思う。
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 いろいろあるが、人の人生などホントは決まっていて、 素直に生きるのが一番だと思っている。

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