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神武会

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★昭和32年、川崎航空機に入社した連中の同期会の名称を『神武会』と言う。

神武景気から名付けられたものだが、Wikipedia で調べてみると、

 

神武景気は、日本の高度経済成長始まりで1954年(昭和29年)12月から1957年(昭和32年)6月までに発生した、爆発的な好景気のことである。1955年(昭和30年)に数量景気(すうりょうけいき)、1957年(昭和32年)に投資景気(とうしけいき)とも呼ばれた。

日本初代の天皇とされる神武天皇が即位した年(紀元前660年)以来、例を見ない好景気という意味で名づけられた。

1950年(昭和25年)〜1953年(昭和28年)における朝鮮戦争中、朝鮮半島へと出兵したアメリカ軍への補給物資の支援、破損した戦車や戦闘機の修理などを日本が大々的に請け負ったこと(朝鮮特需)によって、日本経済が大幅に拡大されたために発生した。

この好景気によって日本経済は戦前の最高水準を上回るにまで回復し、1956年(昭和31年)の経済白書には「もはや戦後ではない」とまで記され、戦後復興の完了が宣言された。また、好景気の影響により、耐久消費財ブームが発生、三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ)が出現した。

などと書かれているが、その当時に就職活動などに直面した当事者としては、昭和31年度以前にはそんな実感はない。

神武景気、それは突如現れたような感じであった。

 

★私は本来なら、昭和31年の入社になるはずだったが、その年はまだまだ就職難で、大変だったのである。

事実川崎航空機も31年度入社した人数は極めて少ないし、私の大学の同期の連中も就職難で大会社には就職が難しく中小の企業に就職した人も多い。

私は、社長の砂野仁さんのコネの入社で『今年はダメだから、来年まで待て』と仰るものだから、大学の単位は全部取れていたのだが卒論を出さずに、1年延ばして野球部の監督をしていたのである。今思うと、そのころからのんびりして、運もよかったのだと思う。人の言葉を信じていてよかった。

 

それが1年経ったら、状況は一変して、川崎航空機なども技術系は無試験、面接だけでの入社だったし、一度に大量の新人達が入社したのである。

そんなことで名付けられたネーミングが『神武会』なのである。

東京、岐阜、神戸、明石で、30人に近かったのではなかろうか?

それまでは、旧制や新制で高校や大学の制度がややこしく入社年次ももう一つよく解らなかったし、大量に新人が入社したのは、神武会からなのである。

そのあと、33年、34年もそんなに派手な入社はなく、35年になってまた大量入社になっているのである。

 

 

 単車に関係した、当時の人たちを年次順に言うと

昭和31年  川崎(創始者、川崎正蔵さんのお孫さん、青野ケ原のレースの中心、商品開発など)柏木(本社、発動機から単車企画)

昭和32年  藤川(ジェットスキー開発)、石原(カワサキ東日本常務、故人)、山辺(カワサキ西日本常務)、久保(アメリカ7人の侍の1人)横山(市場開発プロジェクト)横山(本社、財務担当専務)、古谷など二輪事業に関係した人は結構多い。

昭和33年  田崎(レース、7人の侍、KMC、KHI社長) 稲村(Z1エンジン開発)、那波(営業、KMCなど、先月9月に亡くなった)

昭和34年  北村(営業、企画 など)

昭和35年になるとよく解ってはいないが、  百合草、大前、武本(故人)武本一郎(故人)、斎藤、種子島などその他いっぱい。カワサキ単車の実務展開の中心になった人たちが多い。入社時点からの単車担当で、カワサキの単車事業もこの年からスタートされたと言ってもいい。

 

 

★実は昨日、同期入社の築地が今度東京に移転するので、会い難くなるから一度飯でも食おうと、昼西神のとんかつ屋に集まったのである。

集まったのは7人だけだが、関西にも未だ何人かはいる。

もうみんな70代も後半、80歳に近いのだが、結構元気で亡くなった同期は数えても3名ぐらいしか思いださない。

集まったのはみんな元気だが、東京に行く築地だけがちょっと具合がよくないと言っていた。

彼は秀才で途中川崎航空機を辞めて長崎大学の教授などしていたそうである。技術屋さんのことであまり詳しくは知らなかったが、顔を見たらすぐ思い出した。

 

みんな長く会っていない人が多いので、会った瞬間は歳を取ったなと思うのだが、10分もすると、それで慣れてしまうから不思議である。

みんな一応は元気である。元気だからこそこんな会合にも出てくるのである。

でも、みんなゴルフもやっていたのに、今は止めてしまったと言っていた。

Z1会など、半ば強制される会に入っていないと、自分ではやる元気がなくなってしまうのだろう。

 

★神武会 という会も最近は集まっていないので、それこそ最後の会でもやろうかということにはなったのだが、

果たしてどうなるであろうか?

やるとすれば、Facebook も一応はおやりの『藤川哲三』さんが幹事なのである。 彼のことだから直ぐ旗を挙げるだろう。

岐阜と一緒で、とか言っていたが、果たして何人集まるだろうか?

 

そんな大層なことでなくても、Facebook でもやって『グループ』でも創れば簡単だと思うのだが、やっていない人にとっては、それもまた大層なのかも知れない。

『Facebook はひと月幾ら掛るのか?』 という質問が真面目に発せられたりするのである。

『タダ、無料』 というと驚いていた。ネットに対する知識など、世の中の年寄りの常識レベルはその程度なのである。

少なくとも、私よりは数段技術知識のある技術屋さんでも、そんなレベルである。

 

★健康の話が、話題としてはいっぱいだった。みんないろいろ言ってはいるが、つまるところ『運、寿命』だと思っている。

 

私自身は、『くも膜下出血』でもう10年も前に死にかけたが、手術も何にもせずに1ヶ月入院しただけで現在のようになっている。

あの時、手術などしていたら、多分こんなにはなっていないと本当にそう思う。何の処置もせずに放置を決定してくれた先生方に感謝なのである。

こんなのは、巡り合わせ、人間の運の問題だと思っている。

ひっくり返ったのが、駐車違反でレッカーで車を持っていかれて、文句を言いに行った警察本部。そこでアタマに来て怒っていたら血が上って、突如『くも膜下出血』。倒れた場所がよかったので、10分後には脳外科の先生が30人もいる脳外科専門病院、切れた場所が難しいところだったので、『手術をせずに放っておこう』と会議で私の処置方針は決まったという。

先生が2人や3人しかいない一般の大病院なら、間違いなく手術していたことだろう。

『放っておかれた訳でもナイ』だろうが、結果は何もせずに1ヶ月で退院できた。

 

こんなのは私の意思ではナイ。巡り合わせ『運』なのである。

昨日会った、同期の連中も、私の記憶では3人ほど亡くなってはいるが、その他はみんな運が良くて80歳近くまで生きている。

もう何年か、運よく生きながらえて欲しいと願っている。

神武会 もう一度開けるのだろうか?  そんなことを現実に考える年齢なのである。

 

 

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