★何となく私は『こどもの頃の経験』は『大人になっても』大いに影響を与えるのではと思ったりしている。
ちょっと具体的に言うと『初詣』や『恵比寿さん』には全く関心がないし『お祭り』にも殆ど関心がないのである。
子供の頃は、外地朝鮮で育ったから『初詣』も『お祭り』もなかったのである。
戦後明石に戻ってきたが、戦後の混乱期で、初詣にも行ったことがなかったし、戦後の混乱期でお祭りもなかったような気がする。
こどもの頃から『経験がない』ことのひとつに『修学旅行』がある。
小学校の頃は、戦時中でなかったし、戦後は食糧難や宿舎・ホテルなどがなかったので、やろうと思っても、出来なかったのではなかろうか。
★ 兎に角、85年生きて『初詣』は、一度も経験がない。 私が『行かない』から、息子も、娘も『初詣』など行ったことがあるのか、無いのかよく解らないのである。 一度だけ大学時代の娘を神戸の生田神社まで送ったことはあるのだが、それが初詣だったのか、友達との単なる遊びだったのかは不明である。
いま、娘家族はアメリカだから、間違いなく初詣はないし、日本のお祭りもないが『初日の出』だけは欠かさず観に行くようである。
『お祭り』は三木に来て40年以上だが、三木は旧い街でお祭りは多いので、2、3度行ったことはあるが、自分で参加したことはない。
三木も、神戸も『恵比寿さん』は盛んだと思うのだが、『行こうか』という気にならないのである。
★そういう意味では「花火大会」もわざわざ観に行ったことは一度もない。
そのような人が大勢集まるところが『あまり好きでない』のかも知れない。
さらに極言すると、神社にはお参りには行ったこともあるし、人並みに『2礼2拍手1礼』の形だけはちゃんと解っていてそのようにするのだが、これは小学校の時に先生が教えてくれたので、そうしているのだが、『神様に願い事』をしたことはないのである。
いつも形だけの礼拝はするのだが、願い事をしないのは、何故か自分でもよく解らないが、兎に角『願い事はしない』ことに決めているのである。
あまり、世の中の仕来りには拘らないのだが、ちゃんとやってるのは「墓参」ぐらいかなと思う。それはどうもこどもの頃からお寺には伯父によく連れて行かれたからかなと思ったりする。
世の中には、このような『仕来りに』に熱心な方のほうが普通だろうが、これらはみんな子供の頃の、経験がそうさせているような気がして仕方がないのである。
★『こどもの頃の経験は?』と検索したら
このようにいっぱい出てきた。
想像以上に影響があるようなのである。