★今日は12月21日、56回目の結婚記念日である。
昭和37年(1962)12月21日に結婚したので、50年以上にもなると、1年のうちの単なる1日になってしまっていて、特別な感慨もないのだが、二人とも何とか元気に過ごせているのは何よりだと思っている。
最近は、二人で写した写真なども殆どなくて、この秋もアメリカに1ヶ月半も一緒に行ってはいたのだが、その時の写真はこんなに沢山あるのに、二人で写した写真など、私のカメラの中には殆どないと言っていい。
これは、ロスの空港に着いた時、娘が撮った写真で、今回のアメリカ旅行第1号の写真で、これは二人で写っている。
この2枚も、エンゼルスの球場に、大谷翔平を観に行った時に誰かが写してくれたものである。
娘婿の勤めている会社 JAEがエンゼルスのスポンサーをしている関係で、こんなネット裏の特等席で、ビールを飲みながらの贅沢な観戦経験は、はじめての経験だった。
★まあ、二人とも何とか今のところ健康なので、何とかなっているのである。
4人いる孫たちも、一番下が18歳になって、3人は来年からは社会人になるということになってしまったが、それでも何となくそんな孫たちと付き合えているのは、私がFacebook などやってるからで、ホントにたまにだが、私のFacebook に『いいね』が届いたりして、それを喜んでいる私なのである。
孫たちが頼りにしてるのは圧倒的に『おばあちゃん』で、何かを頼もうとするときには、私は全く『頼りにならない』と思っているようである。何か欲しいものがあったり、いろんなことで相談する相手は『おばちゃん』なのである。
★ それにしても、結婚記念日がなぜ年末のこんな時期に?
56年前の頃は、会社が忙しくて年末の区切りのいい時でないと、結婚式や新婚旅行など、とても言いだせないくらい忙しかったのである。
カワサキの単車事業が始まったばかりで、未だ単車営業課が発動機事業部の一営業部門として初めて出来たころで、大袈裟に言うと今の企画室・関連事業部・品証部・営業部・広告宣伝などの各機能をすべて数人で担当していた時代なのである。カワサキ125B8の時代である。
因みに、明石工場に単車の一貫工場が出来たのが、昭和35年(1960)、初めて発動機部門の営業部門の中に『単車課』が出来たのが、昭和36年12月、その時私はその単車課に異動して、ちょうど1年目が結婚記念日なのである。
確かに、会社の仕事も忙しかったのかも知れぬが、家内とのデートも忙しかったのかも知れない。
それに比べたら、56年後は誠に静かな何もない1日なのである。