★アジア大会、昨日までの水泳では日本チーム大活躍だった。池江璃花子が50メートル自由形で優勝して6個目の金メダルを獲得し、日本選手の1大会最多記録を更新したりしたのである。
今日からいよいよ陸上が始まりその幕開けの男子マラソンが、日本時間8時頃にスタートした。
30人足らずのマラソンで井上・園田の日本勢は優勝候補、女子マラソン並のゆっくりとしたペースで始まった。
タイムよりは、金を狙うという勝負のマラソンである。
こんなジャカルタの中心街の真ん中の道を2周するというコースである。
インドネシアは、カワサキの小型車対策としてCKDビジネスをスタートさせた頃、タイ・イラン・インドネシアの3国がその候補となり、私自身も現地調査と現地デイストリビューターとの交渉などで、3度ほど訪れたことのある懐かしい街である。
当時は、ジャカルタの道はバイクで満ち溢れていた。都会の道をあんなに多くのバイクが走るさまをそれ以外の国では見たことがなかった。
GTO110がめちゃくちゃ売れて、カワサキの二輪事業市場ダントツのヒット商品になったのだが、すべてがCKDなのでその台数の記録は残っていないのである。
そんな街の道もこんなに整備されて、ビルもいっぱいだし、当たり前のことかも知れぬが様変わりなのである。
スタートを見てから、私自身は三木市の体育館のジムに行って、30分のバイシクルなど筋力トレーニングをしてマラソンのゴールに間に合うように家に戻ってきたのである。
家に戻った時は35キロあたりで、園田を先頭に5人の集団になっていて、この5人でのメダル争いだったのである。
37キロあたりでエルアバシ(バーレーン)が先頭に立ち、井上がすぐさま追走し、エルアバシと並走。
園田は多布傑(中国)と並走し3位集団。
アビドゥ(バーレーン)は遅れて、二人づつとなってそれぞれが金と銅を争う戦いとなったのである。
その金メダル争いは競技場まで続き、井上とエルアバシ(バーレーン)の文字通りの『トラック勝負』となったのだが、
井上が先行し、残り100メートルからスプリント勝負。
残り50メートルでインをついてきたエルアバシと接触し並ばれたが、井上が逃げきって金メダルを獲得した。
日本勢の優勝は1986年ソウル大会の中山竹通以来、32年ぶりで、020年東京五輪と同じ夏場のレースを制し、五輪へ弾みをつけた。
園田隼は、多布傑(中国)に敗れて4位だった。
久しぶりに日本人のマラソンでの優勝シーンを見ることができた。
終盤の戦いは壮絶だったし、ホントの微差での金メダル獲得で、今から続く「陸上競技」に弾みをつけた感じである。
それにしてもインドネシアの人たちは、この大会に冷静というか、特にこのマラソンのスタート時には、競技場に観客はいなかったし、中心地のコースだったこともあるが、沿道で応援する人の姿も少なかった。