★若い頃から『育つものはいいな』とずっと思って生きてきた。
庭木も、子犬も、鯉も、薔薇も、みんな育って立派になる。みんな好きだった。
現役の頃、二輪車の世界で『二輪専門店の世界』にハマってしまったのも、日本では『零細な自転車屋』さんばかりで、あまり一般的ではなかったバイクの世界の二輪販売店が『育っていく』のに大いに関心があったのも、同じような想いであったのかも知れない。
その時々で、対象は変わって行ったが、今は『子犬も鯉も』いなくなって、最近になってちょっと関心があるのが、金魚だったのだが、金魚が池で毎年こどもを産むなど思いもしなっかったので、結構入れ込んでいたのである。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm33565863
今年も産まれたようで、コレで4年連続で、いま小さな池だが多分30匹近くにはなったのだと思う。
ただ生き物には命があって、生まれるものもいるが死んでしまうものもいる。寿命で死ぬのは仕方がないが、金魚も一番大きくて立派な親だったのは3匹も猫に獲られて死んでしまったのは残念である。
我が家の金魚は、餌をやるぐらいで何もしないのだが、勝手に毎年卵を産んで何匹かが育っている。卵を産む数はもっともっと多いのだろうが、その中の10匹ほどが運よく生き残っているのだと思う。別に何の世話もしていないのである。
何もしなくても自然に増えるのが『自然の世界』だが、この池でどんどん増えているのが『エビ』である。1000匹ではなく多分万の桁でいると思う。小さな網でどこをスクっても10匹以上獲れるそんなレベルである。これはもう15年も前に孫と三木の川で獲ったエビを池に入れたら、今はそんなことになってしまっているのである。
★こんな生き物たちに対して、放っておかずに『世話をして育てる』そんな喜びはまた格別なのである。
植木とももう40年以上のお付き合いである。当初は大きくなるのに喜びを感じていたのに、今では大きくなりすぎて『天』を切ってもう一度創り直しているところである。そういう意味では「100年も生きる」という鯉はよかったのだが、『鯉ヘルペス』で全滅してしまったし、『バラ』も育て初めて15年になるのだが、毎年花は咲くがそんなに『進歩がない』のが最近ちょっと熱っぽさがなくなった原因なのである。
そんなところにこの夏『メダカ』が登場した。
メダカも池にいたのだが、もう一つ増えないのである。子供を産んでも金魚の餌になってしまっていたのだと思う。
『よかたん』の温泉で10匹ほどの黒メダカを買ってきて。Amazonで白メダカも10匹ほど買ってみた。
それから丁度1ヶ月である。
黒メダカはこんな鉢を買ってきてそこに池のエビと池にいたメダカを2匹ほど入れたのだが、親は殆ど死んでしまったのに、卵を産んでそれがこの2・3日1ミリほどの小さなメダカになっているのである。
それも4・5日前から毎日増えて今は20匹以上もいるように思う。何匹いるのか数えられないのである。
これは初めての経験で、人間何事も『初めての経験』には興奮するもので、何事にも『好奇心の強い』私は今最高なのである。
ずっと鉢の中を覗き込んで長時間眺めて、動画を撮ってそれを切り取った写真である。
白く写っているのは小エビで、メダカは その横にいる『点』のように1ミリぐらいに映っているのがそうである。
こんなに小さいのでは、池ではみんな金魚に食われてしまっていたのだろう。
ここで生まれたのは、1ヶ月前に買ったメダカからではなくて、池にいた『メダカの腹』には卵が付いていたのでそれが孵化したに違いないのである。今までも池で腹に卵を持っているメダカは何度も見たので、その時このように鉢に移しておけば『メダカ』もいっぱい育ったかも知れないのである。
あと何日か生まれた『メダカ』たちが育つかどうか、ある程度育てば、池に放してやる方がいいのかも知れない。
そして、腹に卵を持ったら、スクってこんな鉢で産卵させたらいいのでは? といまそんなことばかり考えているのである。
★単に「育てる」のもいいが『生命を繋いでいく』のも楽しい。
薔薇も『挿し木で育った』ものには特別の愛着を感じるのである。
もっと言えば、孫までは『私のDNA』を繋いできた。
そんな孫たちのもう20歳を過ぎたが、『次の世代』を果たして見ることができるのだろうか?